●仏壇のお供え物。缶ビール・惣菜・果物・お菓子・肉魚など。


故人の供養をする時に、仏壇にお供え物を供える時があるかと思います。

仏壇の無い方は、故人の写真の前に



私の場合、仏壇に、

①■毎日、新しいお水を。
②■ご飯を新しく炊いた時だけ、最初に供える。

という事をしていますが、

月命日には、なるべく父が好きだった筑前煮を買ってきて供えています。


ただ、

お供えについては、こういう様な質問を受ける事があります。

皆さんだったら、なんと答えますか?


①■スーパーで総菜を買ってきて、そのまま仏壇に供えてもいいでしょうか?
  
  それともお皿にもってからあげないといけませんか?

  

②■夫は生前とてもビールが好きでしたので、缶ビールを供えていますが、
  
  やっぱり供える時は、コップに注いで供えないとダメですか?

  

  私は飲まないので、いつも捨てる事になります。

③■果物を供える時がありますが、友人が来た時に、
  
  果物は切って供えないと、故人が食べられない。と言われました。  

  

  やっぱり切って食べやすくしてから供えないといけませんか?

④■亡くなった子供に、好きだったお菓子を供えていますが、
  
  はやり袋から出してあげた方がいいでしょうか? 

  

⑤■生前夫がステーキが大好物でした。

  ステーキを供えてもいいでしょうか?

 

 



上の5つの問題に、貴方だったら、何と答えますか?

少し考えてみてから、先をお読みください































上の5つの問題に対して、

私が霊能者の方から教えてもらったのは、


①■スーパーで総菜を買ってきて、そのまま仏壇に供えてもいいでしょうか?
  それともお皿にもってからあげないといけませんか?



スーパーで総菜を買ってきて、そのまま仏壇に供えてもいいです。

ただし、もし供えてから15分後に貴方が食べるなら、

皿に盛ってあげて、15分後に下げて貴方が食べてなら一石二鳥
です。

なぜ15分後かと言うと、霊能者の宜保愛子さんいわく、

15分というのは、お線香が消えるまでの大よその時間だそうです。

また、故人の命日とお盆の時期だけは、

ちゃんとすぐ食べれる様に、お皿に盛ってあげてください。




②■夫は生前とてもビールが好きでしたので、缶ビールを供えていますが、
  やっぱり供える時は、コップに注いで供えないとダメですか?
  私は飲まないので、いつも捨てる事になります。


缶のまま仏壇に供えていいです。

ただし、もし供えてから15分後に貴方が飲めるなら、

コップに注いであげて、15分後に下げて貴方が飲めるなら一石二鳥
です。

また、故人の命日とお盆の時期だけは、

ちゃんとすぐ飲める様に、コップに注いであげてあげてください。




③■果物を供える時がありますが、友人が来た時に、
  果物は切って供えないと、故人が食べられない。と言われました。
  やっぱり切って食べやすくしてから供えないといけませんか?


切らないで、そのまま備えていいです。

ただし、もし供えてから15分後に貴方が食べるなら、

皿に盛ってあげて、15分後に下げて貴方が食べてなら一石二鳥
です。

また、故人の命日とお盆の時期だけは、

ちゃんとすぐ食べれる様に、切ってお皿に盛ってあげてください。



④■亡くなった子供に、好きだったお菓子を供えていますが、
  はやり袋から出してあげた方がいいでしょうか?


袋に入ったままそなえていいですよ。

ただし、もし供えてから15分後に貴方が食べるなら、

袋から出してあげて、15分後に下げて貴方が食べてなら一石二鳥
です。

また、故人の命日とお盆の時期だけは、

ちゃんとすぐ食べれる様に袋から開けて、お皿に盛ってあげてください。



⑤■生前夫がステーキが大好物でした。
  ステーキを供えてもいいでしょうか?


いいですよ。

ただし、仏壇の中には入れず、

仏壇の前に机などを置いて、その上に供えてください。

と宜保愛子さんは言っていました。

END
 

●北九州マクドナルド女子中学生殺人事件で思った事。


2024年12月14日の20時30分頃、

福岡県北九州市小倉南区の「マクドナルド322徳力店」で、

中学生の男女2名殺傷事件が起きた。



そのうちまだ15歳の中島咲彩さんが搬送先の病院で亡くなられた。

事件の5日後の12月19日、

事件現場のマクドナルドから徒歩15分に住む平原政徳容疑者43歳が逮捕された。

 

そこで気になるのは、平原政徳とはどういう男だったのだろう。


平原容疑者は福岡県北九州市小倉南区守恒本町の出身で、

現在までずっとこの地域で育ったという。

北九州市内の私立の男子高校を卒業していて、

穏やかな性格で、明るくよく笑うタイプだったという事で、

今回の事件を起こすような印象は全くなかったという。

同級生によると「地味でおとなしい印象」で、

 

身長が高くバスケ部に所属していたという。

 

高校卒業後は大学へは進学せずに派遣の仕事や職業訓練校に通うなどしていた。

逮捕時は、「仕事せんでも生きていける」と無職だった。

平原政徳容疑者の実家は、

 

地域にマンションや土地をいくつも所有する資産家一族だった。


近隣住民によれば、地域の病院の土地も平原政徳の実家一族の所有。

容疑者の自宅は柵に囲まれた立派な二階建ての一軒家で、

家の前には「平原月極駐車場」と看板がついた駐車場がある。

 

つまり、彼には立派な家もあり、

大きな月極駐車場という安定収入もある悠々自適の生活だったのだ。

平原政徳容疑者は2009年5月頃に結婚しており嫁がいて女の子も生まれていた。

近くに住む女性は、娘と遊ぶ姿を覚えているという。

「あいさつもして礼儀正しく、口数は少ないけど普通のお父さんだった」と話す。

しかし、その後何年かして、近隣住民の方は、

平原容疑者が奥さんに対して、汚い言葉を投げつけているのを何度も聞いたと言う。

『きさま』とか『おまえ』とか。

「おとなしそうな感じのいい奥さん」だったのにね。

「子供に対しても怒鳴ってるみたいだった。」という。


そして、事件の1年以上前に離婚。

娘さんは奥さんが連れて出て行ったが、娘さんの年齢は現在14歳で

今回の事件で平原が殺した女子中学生と近い年齢だった。

近くで理髪店を営む店主は、離婚後に訪れた平原について、

「問いかけても会話にならず、目の焦点が合っていない様子だった。」

「完全に人が変わってしまっていた。」と振り返る。



平原政徳容疑者は捕まった後、

「確かに、その行為を私はしました。」と容疑を認めるも、

中島咲彩さんを標的にした動機だけは話そうとしかった。




しかし、つい先日の1月14日にやっと犯行の動機をはなしはじめたのである。


平原政徳容疑者は当時、犯行の15分前に車で現場に乗り付けていた。

その時、入店前の二人と目が合ったという。

彼いわく、「入店前に2人と目が合って、バカにされたと思った。」という。

それで追いかけて刺したというのだ。



私がこの事件を知って、一番気になったのは、

彼がなぜ、こんな事件を起こしたのかだが、

占い師として1つ気になったのは、事件前、彼が住民トラブルを起こしていた事だ。


一人暮らしをしていたという平原容疑者は、近所ではとても評判が悪かったようで、

とにかく、騒音がひどかったという。

■マイクでスピーカーに繋げて歌を歌ったり、
■車のカーステレオで軍歌を大音量で流すんです。
■庭に爆竹投げて鳴らしたり、大声で叫んだりする。
■拡声機を使って奇声を上げては“おいコラァ!と外に向かって喚き散らす。
■昼も夜も軍歌や進軍ラッパを大音量で流すこともあった。

今年の夏ごろには近所の人が通報して、警察が来たこともあったという。


また、夜になると、家が緑や青く光って不気味だったという。




その中で、占い師として1つ気になったのは、

進軍ラッパです。

皆さんは、こんな言い伝えを聞いた事ありますか?

夜、口笛を吹いてはいけない。

「夜、口笛を吹くと、蛇(へび)が来る。


霊能者の方いわく、それは事実だと言う。

ただし、来るのは、ヘビではないと言う。

蛇(ヘビ)=邪。つまり邪悪なものが来るという。


つまり、夜、口笛を吹くと、

 

邪(じゃ)という未浄化霊や浮遊霊を呼び寄せてしまうのだと。

そして、寄って来た未浄化霊や浮遊霊が笛を吹いている人に取り付く事もあると。


霊能者の方は、口笛だけじゃなく、縦笛やフルートやラッパも入るという。


だから、貴方の近隣住民で夜、騒いで笛の様な音を出していたら、

要注意人物になってしまうかもしれないので、注意
しましょう。









最後に、ついでですが、

皆さんは、こんな言い伝えも聞いた事ありませんか?


夜、爪(つめ)を切ると、親の死に目に会えない。


ある時の夜、友人の家に行った時、食事の後に友人が爪を切っていたんですね。

その友人のお父さんが病院に入院している時だったのですが、

私はそれを見て、

「夜、爪(つめ)を切ると、親の死に目に会えない。」って言うよ。と言うと、

友人は、「病院遠いから、死に目に会えなくてもしょうがないよ。」

 

と言ったんですね。


それを聞いて、私は「えっ、僕が伝え聞いているのと違うなぁ」って言ったんです。

友人は、夜に爪を切ると、親が死んだ時、

 

その死に目に立ち会えない。事だと思っていたんですね。


でも、私が伝え聞いているのは、

夜、爪を切ると⇒⇒夜つめ⇒⇒世詰め⇒⇒世を詰める⇒⇒つまり、早く死ぬ。

という事で、今、爪を切っている人が早死にする事なんだよ。

つまり、君が早く死ぬから、親の死に目に会えない。という意味なんだよ。

と言うと、友人は爪切りを放り投げた。


言い伝えなので、実際はどうか分かりませんが、

子供が夜つめを切っていたら、そう言うと切るのやめると思いますよ。


END


参考:

MATOMEDIA  https://newsmatomedia.com/hirabaru-masanori




 

●お化けの美佳ちゃんが来た!


1972年3月25日、韓国の済州島(チェジュ島)に一人の女の子が生まれる。

彼女が3歳の時、家族全員で大阪市生野区に引っ越す。

ただ貧乏だった家族は家を借りることさえも出来ず、

頼み込んで長屋の他人の家の2階の一室を借りて住むことに。

ただ、後から考えたら酷い部屋で、すきま風がひどく、

 

布団も薄くて寒くて眠れない様な部屋だったから貸したのかもしれません。

だから寒い時は、外に出て焚火をしていました。

防寒具を買うお金が無いので、新聞紙で服を作りました。

他人の家ですから、当然家に入る時は、お辞儀をしながら

よそ様の家の中を通って家族のいる2階に帰っていました。



しかし、家族7人で4畳半はとても狭く、テーブルを置く場所も無い。

食事は床に置いて食べました。

まともな食事を買うお金も無かったので、

家から徒歩で3駅くらい離れた青果市場に行き、

売れ残った野菜を頼み込んでもらったり、

捨てられる果物をもらったり拾ったりするのが、彼女の役目だった。


ある時、青果市場に行くと、お宝があった。

割れて売り物にならないスイカがあったのだ。

家に持って帰りみんなで食べた後、

スイカの種を大事に保管した。

そして、お腹がどうしてもへった時、

そのスイカの種をなめると、スイカの味がして幸せだった。

母は、美佳が拾って来た腐りかけた果物も、

 

工夫して美味しいおやつを作ってくれた。

また家にはお風呂が無かったので、

部活のシャワーが借りれない時は、スイカの皮の白い部分で体を洗った。

家での唯一の楽しみは、お兄ちゃんが拾って来た小さなテレビを見る事だった。

ただ、チャンネルを回す取っ手が無いので棒みたない所をペンチでつかんで回した。

家族の主食はすいとん汁

よっぽど苦しい時は、物乞いもした。

ただ、家族はカトリックだったので、「清貧」は素晴らしいという考えで、

持たざる者は美しい。他人に与えよ」を実践していることは、

むしろ、誇りでもありました。





背が低く、

太っていて、

貧乏だった美佳は、穴の開いたパンツをはいたりもして、

学校ではイジメられた。

6歳の時に、階段から転げ落ちるという事故にあい、口の中を切る大怪我をした。

顔に大けがをしたのもあり、顔を他人に見られるのが嫌でした。

「美佳ちゃん、笑うと怖い!」とか、

お化けが来た!」と言われた。


 


元々は笑顔が素敵だった子だったが、笑顔が消え、

下を向いて自宅に帰る日々、

そんな姿を見た母は美佳に、

「美佳はスタイルもいいし、笑顔も可愛いから、

 モデルさんになれるかもしれないわよ。」と言ってくれた。

母は、いつも前向きでポジティブでした。

いつも美佳の良いところを褒めてくれます。

母は化粧品の会社で働いていたのもあって、美佳に、

美しい人になる4つの秘訣を教えてくれました。

①■いつも姿勢を良くする事。
②■口角を上げて笑顔を作る事。
③■話す時は、ちゃんと相手の目を見て話す事。
④■相手に分かりやすく、ゆっくり話す事。

美佳は母の教えを覚えて実践しました。

そのお陰で段々と自信をつけ元気な少女になっていきました。

その頃、母が生まれて初めて誕生日プレゼントをもらいました。

「エチケット入門」という本でした。



とても優しかった母親は貧乏だった家庭のため、

■美容部員のお仕事の他にも
■生命保険の営業や
■ラーメン屋などをかけもち、過労がたたったのか

美佳が11歳の時、母がガンになった。

母の治療費の助けになる為にも、美佳は新聞配達を始める。

毎朝3時半に起きて、新聞配達をした。(その後7年間)

ちなみに、毎日休まず新聞を配っても月1万円だったという。


しかし、美佳が中学生になった頃から、母が寝たきりになった。

そうだ「母さんが死ぬまでに、モデルになってみせる。

そう決心した美佳は、あらゆるモデル事務所20ヶ所に履歴書を送った。

しかし、当時は身長が160cmしかなく、

体型も陸上をやっていたためにモデル体型ではなかった。

案の定、全部のモデル事務所から不合格の門前払い。


普通の人なら、ここであきらめる所ですが、美佳はあきらめなかった。

母さんが死ぬまでに、モデルにならないと。

 

 時間が無い。


中学3年生になった時、1つのモデル事務所に狙いをつけて、

履歴書を送った。

しかし、不合格。


きっと写真の映りが悪かったんだ。写真を取り直しまた履歴書を送る。

不合格。

また写真を取り直して、また履歴書を送る。

また不合格。


これを繰り返す事5回。

しかし、全部不合格。


普通の人なら、さすがにここであきらめる所ですが、美佳はあきらめなかった。

「母さんが死ぬまでに、モデルに。


今度は、モデル事務所に直接電話した。


「写真写りが悪いので、実物を見た方が得だと思います。」と

面接のアポイントを取り付け社長に会った。


不合格。




面接した事務所の社長は笑いながら、

また、大きくなったら遊びにおいで」と言った。


普通の人なら、さすがにここであきらめる所ですが、美佳はあきらめなかった。





不合格だったのに、遊びにおいでと言ってくれたのを、すぐ実践。

 

家から8駅も離れたそのモデル事務所に、

毎週自転車で通ったのだ。


これには、社長も根負け。

たまたま、キャンセルがあった1つのレッスン枠に参加する事を許したのである。



新聞配達の他にもパン屋でもアルバイトをして、レッスンを続けていると、

いつの間にか所属している様なことになっていた。


しかし、母さんは、それを見届けるかのうようにして、亡くなりました。


毎日の新聞配達やモデル事務所への自転車通勤や陸上部での練習などもあってか、

身長が中学時代より11㎝も伸びていた。



そんなある日、

仮所属だった事務所のマネージャーから京都でのファッションショーに誘われました

ただ、大阪から京都までの交通費が3000円もかかったのです。

貧乏な美佳には、大金でした。

それに、素人モデルのショーと聞き、気が進みませんでした。


せっかく勧められたのですが、行かないと決めました。

ところが、昼ごはんを食べに行った時、財布を無くしてしまいます。

お金を借りたので、急いで自宅の貯金箱のお金を取りに行くと、

父からの手紙がありました。

手紙には、「チャンスは突然やって来る」という様な事が書いてありました。

その言葉を見た美佳は、何かを感じました。

それは今かもしれない。

マネージャーに京都のファッションショーに行くを伝えたのです。

アルバイト終わりで待ち合わせて京都へ向かいました。




すると、

 

たまたまそのファッションショーにカメラマンとして来ていた

ドイツ人カメラマンのノーバート・ショルナー氏に声を掛けられます。

「モデルとして撮影してみないか?」

その時の撮影がロンドン雑誌の『i-D』に掲載されたのです。

 

やがてヨーロッパでも広まって有名になった美佳は、

その時に出会ったデザイナーが起用し続けてくれた結果、

そのデザイナーさんのパリコレが決まり、美佳のパリコレ出演が決まりました。


「母さん見てる、

美佳はモデルになったのよ。

パリコレに出るのよ。


父は、美佳がパリコレに出たのを見届けると、亡くなりました。






いつも前向きでポジティブだった母の

話すコツなどの教えと明るい性格が、今の彼女の元となっている。

今、アンミカ(安美佳)さんは

 

通販の女王と言われるようになって頑張っている。




END