●余命宣告された人が奇跡を引き寄せるもの。
占いの仕事をしていると、時々、
「もうガンの末期 で余命半年と言われました。」
と嘆かれる方もいらっしゃる。
そもそも私がこのブログを始めたのも、
そんな一人の若いお母さんと出会ったからでした。
●たった一言だけの占い
https://ameblo.jp/hirosu/entry-10487941150.html
また、今までも癌になった方にお勧めしたブログがあるので、
参考にされたい方は、下記を。
●水素水 https://ameblo.jp/hirosu/entry-12138460178.html
●医者のガン見落としで、末期ガンになる
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12527112583.html
●末期がんから生還する方法
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12432759905.html
●病気に呪われた人生
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12341320175.html
そして今日は、
多分その最終章とも言える●余命宣告された人が奇跡を引き寄せるもの。
を書いてみたいと思います。
スキルス性胃がん 。という恐ろしいガンがあります。
ある時、53歳の女性がそのスキルス性胃がんになりました。
しかも、ステージV !
彼女は突然末期がんを宣告されてしまったのです。
緊急手術の後も、彼女は4日間意識が戻りませんでした。
医者は家族にもうダメ だろうと宣言しました。
ところが、その時でした。
彼女は寝言で、
「この川は渡らない! 」と寝言を言うと、
奇跡的に目を覚ましたそうです。
その後、彼女が入院している南三陸町 の病院が、
あの東日本大震災 の巨大津波が襲います。
津波で街が全壊し、入院中だった彼女は死ぬ寸前の所でを助けられます。
前途ある若者が死んで、こんな余命幾ばくも無い私が生き残るなんて・・・・
申し訳ない。
こんなすぐ死ぬ命 を助けてもらって、何もしない訳にはいかない。
そう思うと、無理な体 を動かし、
翌日から自分の家に備蓄していた食材を全部使って、
避難している人達に炊き出しを行い、各地を駈けずり回りました。
もう自分が末期ガンである事なんて、忘れて 料理を作っていました。
すると、
化学では証明できない奇跡がおきたのです。
その後、精密検査をしてみると、
全身に転移していたガンが全て消えている のです。
現在、彼女は、
宮城県南三陸町で、農漁家レストラン松野を営んでいます(松野三枝子さん)
最後に、こんな実話を。
今から約38年前、
6歳の少年ダヴィッド・マランジェは脳腫瘍 になり、
余命3カ月 と宣告されていました。
少年は、小児がんで脳を冒されていたので、平衡感覚を失い、
もう歩くことも出来ず車いす 生活になっていました。
それでもお母さんは、最後の思い出にと、
ダヴィッドの車いすを引いてカナダのモントリオールで開かれた
昆虫標本の展示会に連れて行ったあげました。
ダヴィッドは目を輝かせて、「うわっ、きれい」と感激し、
「こんな綺麗な蝶が飛んでいる所を見たい よ。捕まえてみたい!」
とお母さんにねだりました。
しかし、少年が綺麗だと感激した蝶は、
ブルーモルフォと言って、南米の蝶でカナダにはいない蝶でした。
シングルマザーで生活にも余裕がなかった ので、
とても南米へなど連れて行ってあげられません。
その後、家に帰ってもダヴィッドは、あの幻の青い蝶
ブルーモルフォを生きているうちに実際に自分自身の手で触りたい。
という夢を持ち続けていました。
不憫に思った母親は、最後の望みをかけて、
メイク・ア・ウィッシュ 財団に依頼しました。
メイク・ア・ウィッシュ財団とは、
難病に苦しむ子供たちの願いを叶える活動をしている団体 です。
以前、以下のブログでも紹介したことがあります。
●ある小学生の将来の夢
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12142782267.html
その結果、
ダヴィッド少年は最も尊敬する昆虫学者の
ジョルジュ・ブロッサール博士に会いに行ける事に。
当初、博士は依頼を断りました。
なぜなら、幻の青い蝶のブルーモルフォは、
そんな簡単に見つけられる蝶ではない上に、
見れる季節も過ぎようとしていたのです。だから来年にしよう 。と。
しかし、ダヴィッドは嘆願します。
来年までは待てないんだ。多分死んでいる。
ジョルジュ・ブロッサール博士も心を動かされて、
一緒にジャングルに行くことを決意します。
博士は多くの仕事をキャンセルしました。
少年は健康上の理由から、行動出来ても6日間だけ という医師からの忠告もあり、
南米に到着すると、さっそく蝶を探しにジャングルに入りました。
しかし、少年の車いすの音と振動で蝶はすぐ逃げてしまうのです。
ダヴィッドもそれに気がつき、車いすを降り、自らの足で歩こうとしました。
車いすを使わず、杖をついて・・・
「死ぬまでに幻の青い蝶を見てみたい。」
博士はダヴィッドが夢を叶える強い気持ちを見て決心します。
よし、今日から僕が君を肩車してジャングルに行くぞ!
それから連日、朝早くから夕方まで、
博士と少年と母親の3人は山の中を歩いて蝶を探しました。
しかし、さすがに蝶がいる時期からもう2か月も過ぎているので、
青い蝶どころか普通の蝶さえも少なかったのです。
4日過ぎても青い蝶を見つける事は出来ませんでした。
少年をおぶっていた博士の体力も少年の体力も限界でした。
その時、博士が足を滑らせて転倒してしまいました。
ダヴィッド少年は「死ぬかと思った」と口にしました。
それを聞いたブロッサール博士は
「死ぬ、死ぬ、言うな!君は気持ちで病気に負けているんだ!
病気に勝とうという気持ちを持て! もう私を頼るな。
もう君を担ぐのは止めた。
自分で考え、自分で歩き、自分の力で蝶を捕まえろ!
立てダヴイッド!やらずに諦めるのか!」
と怒鳴ってしまいます。
ダヴィッド少年はなんと自身の力で立ち上がり歩き始めたのでした。
それからのダヴィッドは、自分自身の脚で蝶を探し、
段々と歩ける距離も伸びていきました。
ダヴィッドは必死で歩き、必死に蝶を探しました。
もう自分が余命3ヶ月だという事すら頭の中にありませんでした。
わずか6歳の少年は懸命に歩き、懸命に蝶を探しました。
しかし、青い蝶は姿を現しませんでした。
いよいよ最後の1日です。
最初は二人で探しましたが、もう時間がありません。
別行動で、2カ所を探す事にしました。
すると、奇跡が起きます。
ダヴィッドが探していた場所に青い蝶が現れたのです。
それはまるで、神様がくれたプレゼントの様でした。
最初で最後のチャンス。
ついにダヴィッドは青い蝶を自分の手で捕まえたのです。
ただ、この青い蝶は正確には、幻のブルーモルフォではなく、
メアンデールルリオビタテハという青い蝶でした。
それでもこの蝶がこの地域で見られるのは5月から10月です。
この12月に見る事が出来たのは奇跡に近かったのです。
博士は少年に言いました。
「君は大した男だ!
今日、君は人生で信じられないほど重要な事をしたのだから、
生きるんだ。」
それからおよそ7ヵ月が過ぎた頃、
博士の所に一通のハガキが届きました。
差出人は、あのダヴィッド少年でした。
「I still alive」(私はまだ生きてますよ。)
博士と蝶を取ったあの余命3ヶ月の少年は、まだ生きていたのだ。
実は、あの時ジャングルから帰って来て、
診察してみたら、
なんとガンが無くなっていたのです。
その後、この実話は「天国の青い蝶」という映画になり、
あのダヴィッド少年は22歳になり、映画の宣伝もかねて日本にも来ました。
今の夢は、
『多くの蝶を放し飼い にして、人に見てもらう施設を作ること』だと言います
さて、先に挙げた53歳の女性のスキルス性胃がんと、
小児がんで余命3ヶ月だったダヴィッド少年のガンはどうして消えたのでしょうか?
そこには、1つの共通点 があります。
それは、自分がガンである事を忘れた事。
ガンである事を忘れて、夢中で体を動かす事をした事。
ガンになられた方の一縷の望みに繋がれば幸いです。
END
参考:致知出版社 https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2020/04_matsuno/
天国の青い蝶のモデル 少年ダヴィッドの奇跡と現在は?
https://kangaerunakanjiro.com/blue-buttafly/
フジテレビ・奇跡体験!アンビリバボー
https://www.fujitv.co.jp/unb/contents/240821_5.html
CINEMATOPICS
https://report.cinematopics.com/archives/24322