●運がとても悪い時の乗り切り方。


占いの仕事で、電話相談を受けていると、

今、とても運が悪いと訴える方が多いです。


しかし、自分は運が悪い。と思えば思うほど、

悪い運をもっと引き寄せてしまう事になってしまいます。






では、運がとても悪い時。どうしたらいいのでしょうか?








私がお勧めしているのは、

あえて、「自分は運が良い。」と思う事です。

苦しい時ほど、「自分は運が良い。」と3回口にしてみてください。

運が良くなっていく事が多いのです。


ただ、大切な人が亡くなったり、大切なペットが亡くなった時などは、

とても辛いですよね。

そんな時は、思いっきり悲しんでいいんです。

ただ、占い的に言うと、

とても悲しい死別の49日以降に、

とても良い運が巡って来る事が多い
のです。

今まで出来なかった事が出来る様になったり、

良い出会いがあるのです。

ただし、家に中で悲しみ続けていては、どんなに運が良くなっても、

それが影響しませんので、多く外出する事が大切です。







他にも、悪い出来事も、悪いと思わず、

きっと、何かこれには意味があると信じて、

あえて、「自分は運が良い。」と思う事です。







1954年、

1人の12歳の少年がお父さんから、誕生日のプレゼントとして、

シュウィンの赤と白の新品の自転車を買ってもらいました。

彼はそれを宝物として大事にしました。

それから9ヶ月後、彼は友人とバザーに出かけて、

無料のポップコーンとキャンディーを食べながら楽しい時を過ごしました。


ところが、家に帰ろうとすると、父から贈られた大事な自転車がありません。

なんと、誰かに盗まれてしまったのです。


すぐに警察に行ったのですが、当然届けられている事は無く、

かと言って、一緒に探してくれる訳でもありませんでした。

「ちくしょー。なんて、ツイて無いんだ。」

彼は、取り乱し、泣いていました。

「誰だろうが、僕のバイクを盗んだ奴はやっつけてやる!」

「盗んだ奴を見つけたら、ぶちのめしてやる!!





もし、皆さんが、お父さんから誕生日プレゼントにもらった、

高価な自転車を盗まれてしまったら、どう思いますか?





当然、落ち込んで、なんてツイて無いんだ。と嘆く事でしょう。

しかし、どんなに嘆いても、自転車は戻って来ないでしょう。

それよりも、嘆く事で、更に落ち込んで、どんどん運勢がわるくなったりします。



それよりも、こう思う事をお勧めします。

「きっと盗まれた事も、何か意味があるのだろう。」

「自分は運が良い。」と3回口にします。

どんなに運が悪い時でも、

「自分は運が良い。」と3回口にすると、運が良くなっていく事が多いのです。



実は、私も自転車を盗まれた事があります。

その時、どう思ったかと言うと、

その直後は、「ちきしょー、誰か盗みやがった。」と思ったのですが、

すぐに、「これは神様が歩きなさい。と言ってるんだな。」と

 

考え直した事があります。 ものは考えようで、

神様が、私を試しているんだな。」と思った事もありますし、

家に帰った後、悔しいと思ったら、

「自転車に乗っていて、車とぶつかって怪我をするよりも、

 盗まれた方が、はるかに良かった。
」と考える事に変えた事もありました。






さて、さっきの物語には、続きがあります。

大切な自転車を盗まれて、泣いていた少年が、

「盗んだ奴を見つけたら、ぶちのめしてやる!!」と、

言っているのを聞いた警官が、彼にこう言いました。


「いいか坊主、

 ぶちのめす相手に立ち向かう前に、

 ケンカの仕方を習っておいた方がいいぞ!



やがて、彼はその警官の助言に従って、ボクシングを習う様になります。

強くなって、泥棒と対する為に彼は必死で頑張りました。

人一番の負けん気で、どの子よりも練習にはげんだといいます。

そして、わずか6年後、オリンピックローマ大会で金メダルを獲るのである。

その彼は改名し、モハメド・アリとなった。



皆さんは、どう思いますか?

大切な自転車を盗まれなくても、彼はボクサーに成れたでしょうか?

自転車が盗まれた時点では、とてもツイて無い事ですが、

それもきっと何か意味がある。

きっと、良い意味が隠れていると思う事で、それが不運じゃ無くなる事が多いのです。

中には、自転車を盗まれたのも、

ボクシングを始めたのも偶然だと思う方もいらっしゃるでしょう。




でも、もし、

たまたま、アリが自転車の避難届を出した警官が、

 

ボクシングのトレーナーをしていた警官だったとしたら・・・・・

アメリカの警官の中で、ボクシングのトレーナーをしている人は何人いるのでしょうか。

それを考えた時、運命の導きかもしれないと思いませんか?




現在、ケンタッキー州のメイビルにある、

当時モハメド・アリが練習に励んだボクシングジムの建物の入り口に、

一台の自転車が記念碑として飾られている。

 

言わずと知れた、あのアリが盗まれた自転車と同じものだ。

 









今現在の自分を認める事。

その繰り返しが、信念になり、

その信念が、確信に変わる時、

貴方の夢が実現し始める。


モハメド・アリ








貴方も、運が悪い時、

あえて「自分は運が良い。」と3回口にしてみてください。

貴方の運が良くなっていく事が多いですよ。



END






参考:モハメド・アリ 勇気の連鎖 NHK映像の世紀バタフライエフェクトhttps://www.youtube.com/watch?v=jVE3qV0NOoI&t=314s


 

●海外で実力が発揮できない謎。



今日は何を書こうかと、ニュースを見て見ると、

今から5時間前、白血病からの復帰した池江璃花子さんが、

 

日本選手権最終日、女子50メートル自由形で優勝を果たし、

9月の杭州アジア大会の派遣標準記録も突破し代表入りを確実にした。


池江璃花子さんは、インタビューで、

「もう最後に海外に行ったのが4年前なので、

 どういう感じだったか、どう行動すれば自分のルーティンを保てるか

 ほとんど覚えていない状態です。」

「また一からになるが、新しい自分のルーティンを見つけながら、

 結果を出すためにどんどん頑張っていきたい。」と語った。


私も彼女と同じ病気で半年入院してブログを休んだ事があるので、彼女には頑張って欲しい。





さて、昔、アジア大会に2度目の選出だというアスリートの方から

電話相談された事がありました。

相談内容は、「日本を経つ直前までは、とても順調な仕上がりなのだが、

海外に行くと、決まって不調になり、まったく活躍出来ない
のだという。」

それは練習で海外に行く時も、同じ結果などだという。

今回、またアジア大会に選出していただいたのだが、

 

再び不調に終わるのではないかと、

嬉しさよりも不安の方が大きいのだと言う。


そこで詳しく話を聞くと、

現地に着いた翌朝から段々と体調が良く無くっていくのだと言う。

つまり、現地に着いた日が一番良い状態で、

翌日から日にちが経つほど、体調が思わしくなくなるというのだ。


最終的に私がアドバイスした1つに、

試しに実行してみてください。とアドバイスをしたものがある。

それは、

現地の水を飲まない事。

現地の水を多く使ったと思われる料理も控える。 でした。



実は、私達の体の約60%は水分で出来ている。

だから、水の変化は全身に影響を与えるのである。


そして、この事は、海外に行く行かないの問題だけでは無い。

占いの世界では、

引っ越すと運勢が変わる事があると言うが、


その1つが、現地の水と貴方の体の相性が関係する。

つまり、東京の人が九州に引っ越した時、

九州の水との相性が悪いと、それに慣れるまで調子が悪くなったりする。

旅行先で、腹痛になったり、下痢をしたり、

せっかくの旅行なのに、具合が悪くなり観光バスに乗れず、

旅行中ずっとホテルで過ごすという方もいましたが、

帰宅したらケロッと治ったという場合も、

はやり水との相性が悪かったのかもしれません。



従って、短期間の出張や旅行・試合での遠征なら、

飲み水は買うとか、水以外のものを飲むとかして、

 

現地の水や水を多く使った料理は控えた方が、


普段の実力を発揮しやすいです。







引っ越し先旅行先出張先

水が貴方の運勢を左右させる時もある。

という事を頭の片隅に置いておいてください。


END

●日本人が大・大・大嫌い!!。



1945年9月。第二次世界大戦が終結した。

しかし、その約5年後、朝鮮戦争が始まる。

アメリカの海軍作戦部長は、極東艦隊参謀副長として

アーレイ・バーク提督を日本へ派遣した。



アーレイ・バーク提督は、第二次世界大戦中、

駆逐艦の司令官として、ソロモン海戦など22の海戦で日本軍を苦しめ、

日本海軍の巡洋艦1隻、駆逐艦9隻を撃沈させた功績があった。

しかし、多くの親友を真珠湾やソロモン海戦などで失い、

沖縄戦では、特攻機の攻撃を受けた。

そんな事もあり、バーク提督は、日本人に対して強い敵対心を抱いていた。

戦時中は、部下に「日本人を一人でも多く殺す事が重要だ」と、

言っていたほどで、戦争が終わっても、

公の場では、わざと日本人の事を「ジャップ!」と呼び捨てにしたり、

黄色い猿ども」と屈辱的に呼んでいた。


バーク提督は、当時日本で最高のホテル・帝国ホテルに滞在した。

 

しかし、日本人のホテル従業員が彼に声をかけても、全て無視した。

「オレに声をかけるなんて腹立たしい。黄色い猿どもめが

彼はアメリカ軍人の中でも、筋金入りの日本人嫌いだったのだ。

帝国ホテルにチェックインした時も、

ポーターが「バーク様、お荷物をお持ちいたします。」

と荷物に触ろうとした瞬間、

「さわるな!最低限のこと以外は、私に関わるな!」と叫んだほどだった。



そんなホテルの滞在も1ヶ月経ったある日、

彼は疲れて部屋に戻って来ると、

ベッドと鏡台と椅子だけしかない自分の部屋を見て、こう思った。

「なんて殺風景な部屋なんだ!」

そう思うと、せめてもの癒しにと、

一輪の花を買って来て、部屋にあったコップに生けて鏡台の上に飾った。


 

 

 

 

ところが、翌日、

バーク提督が夜勤から戻ってみると、

コップに生けた花が、花瓶に移されていたのです。

 

バーク提督は、苦情を言いにフロントに行った。

なぜ、余計なことをした。

 誰が花を花瓶に移せと言った!
」とフロントに噛みつきました。


しかし、ホテルのフロントの答えは意外なものでした。




「恐れ入りますが、バーク様、

 ホテルではそのような指示は出しておりません。




何だって?




この時、誰がコップの花を花瓶に移し変えたのか分かりませんでした。




さらに数日後、


なんと、今度は花瓶には、昨日まではなかった新しい花が生けられていました。


「一体誰がこんなことを?」





花はその後も増え続け、部屋を華やかにしていきました。






バーク提督は、再びフロントへ行くと、

「私の部屋に、勝手に花を飾っているのが誰なのか、探し出せ!」と訴えた。




ホテルが調査した結果、

花を飾っていた人物が分かった。





それは、

バーク提督の部屋を担当していた一人の女性従業員でした。


バーク提督はこの日本人女性を呼び出し、厳しく問いただした。

君はなぜ、こんな余計なことをした?


すると、女性従業員は、


お花が、お好きだと思いましたので・・・


実は、彼女はバーク提督がお花が好きなのだろうと思い、

貧しい給料の中から、少しずつお金を出してバーク提督の為に、

自腹で綺麗な花や花瓶を買ってきて生けていた
のでした。


バークは、一応納得すると、

「それでは、その花代は払うよ。受け取りなさい。」と、お金を差し出しました。

しかし、彼女は頑としてお金を受け取りません。


「お客様に、気持ちよく過ごしてもらいたいというだけなので、

 お金はいりません。」


その後、話は家族の話になると、

彼女が戦争未亡人だという事が分かります。

それも、亡きご主人は、海軍の駆逐艦の艦長で、

あのソロモン海戦で艦と共にし戦死したというのです。


その話を聞いたバーク提督は、

「それは申し訳ないことをした。

 もしかしたら、私がご主人を殺したのかもしれない。」と謝った。


すると、彼女は、

 



「提督、提督と夫が戦い、

 提督が何もしなかったら提督が戦死していたでしょう。

 誰も悪いわけではありません。

 悪いとすれば、それは戦争です。」と語ったのでした。






この一件があってから、

バーク提督は、考え込んでしまいます。

「自分は心の底から日本人を毛嫌いしているというのに、

 この女性は夫を殺したかもしれない敵国の軍人に出来る限りのもてなしをしている。

 敵味方の立場を超えた、この違いは、一体何なんだ?


「そもそも私の日本人嫌いは、正当なものなのか?」と考える様になったという。


そして、朝鮮半島の戦いから日本に戻った時、

アメリカ人からの出迎えも無く、寂しく一人でホテルに帰ると、

なんとホテルの従業員全員がバーク提督を暖かく出迎えたのだった。

バーク提督は、その心遣いに思わず涙が出そうになった。




バーク提督は、後にこう語ったという。

「彼女の行動から、わたしは日本人の心意気と礼儀というものを知った。

 日本人の心には、自分の立場に縛られず、公平に物事を見ることができる資質があるのだ。

 また、親切に金で感謝するのは日本の礼儀に反する事。

 親切には親切で返すしかない事を学んだ。」

それでもバーク提督は、ホテルをチェックアウトする時、

彼女の退職手当用にと、匿名でホテル側にお金を寄付して立ち去っている。






この時から、バーク提督の日本人に対する見方は一変したのでした。

まだ、第二次世界大戦が終わって5年後の事ですから、

アメリカ政府をはじめ多くのアメリカ人は反日感情を持っていました。

そんな中、バーク提督は一刻も早く米軍による日本の占領を解き、

日本の独立を回復させるように、GHQとアメリカ政府に訴えたのです。

日本海軍の再建も説き、海上自衛隊創設に力を尽くしました。

その後、アメリカ海軍のトップに就任すると、バーク提督は、

最新鋭の哨戒機 P2Vを16機、

小型哨戒機S2F-1を60機も海上自衛隊に無償で供給し、

海上自衛隊の創設に大きな力を尽くしてくれた功績で、

日本から勲一等旭日大綬章を贈られました。



バーク提督は、アメリカ政府から、数々の勲章をもらった。

■海軍十字章
■海軍殊勲章
■シルバースター
■レジオン・オブ・メリット
■パープルハート章

しかし、1996年1月1日にベセスダの海軍病院で94歳で亡くなった時、

家族は、バーク提督の遺言を実行したという。

その遺言とは、

「葬儀の時には、胸にたった1つだけ勲章をつけて葬って欲しい。」
天国に一緒に持って行きたい唯一の勲章を棺に


その勲章は、なんとアメリカ政府からもらった勲章ではなく、

戦争で得た勲章ではなく

天皇から貰った勲一等旭日大綬章だった。

バーク提督は、生前、家族に、

「日本人の親切に対して、自分は親切で返えす事が出来なかった」事を、

残念に思っていたという。









時は流れ、2011年3月11日。

あの東日本大震災が起きる。マグニチュード9.1

 

この戦後最大の国難が起きた時、

もっとも早く被災地に来てくれた外国船が、

アメリカの原子力空母ロナルド・レーガンでした。


実は、この空母、本来は韓国に向かう任務の最中だった。

当然、東北に行く事は出来ません。

しかし当時の艦長の独断で、東北の救援に駆けつけたのです。

後にトモダチ作戦と呼ばれたものです。

このクビ覚悟で、東北の救援に駆けつけた艦長の名前は、

海軍大佐トム・バーク。 運命のいたずらか、

 

あのアーレイ・バーク提督のだったのです。

「親切に対して、親切で返えす。」

亡き祖父さんの願いを、孫が返した瞬間でした。



バーク大佐は、ヘリコプターのパイロット出身だったので、

空母のことは副長に任せ、自分は救援物資を積んだヘリを操縦して、

避難所に救援物資を運ぶ役目を買って出ました。


バーク大佐は、世界中で救援活動をしていたので、

こういう自然災害が起きた時に、現地で何が起きるかを良く知っていました。

救援物資が届くか届かないかの瞬間に、住民たちによる食料の取り合いが始まるのです。

被災民たちがヘリが到着した途端に、銃で食料を奪いに来たり、

ヘリに住民たちが群がって来て、危険で着陸出来ない事もあるのです。


しかし、東北地方の人達は違ったと言います。

まず、ヘリが到着しやすいように、着陸地点にHの印が書かれていて、

ヘリが到着すると、自分の為の食料を取り来るのではなく、

ヘリから食料を荷降ろすのを手伝ってくれた上に、

 

それが終わると、全員がお礼を言って見送ってくれるのです。

「東北地方では、一件の略奪も殺し合いもなかったのです。



バーク大佐が驚いたのは、それだけではありませんでした。

 



なんと、

 

東北地方の被災者の方の多くが、彼に必ずこう言ったというのです。

 

 



「ここはこれだけで良いから、

 別の避難所に持って行ってやってくれ。」




そんなことを言われたのは、日本だけだったそうです。


「祖父さん、花の親切は返したよ。」










最後に、

もし、夫や家族と喧嘩をしたり、

険悪状態になったり、

仲が悪くなってしまったら、




食卓に一輪の花を飾ってみてはどうですか。

 

 


END



参考:草の根の真心、一輪の花から始まった絆が世界を救う  吉田ひろみhttp://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail139/id=3951
『海の友情―米国海軍と海上自衛隊』阿川尚之 (中公新書)
ビーバップ!ハイヒール「半世紀の時を超えて…『一輪の花』から始まった絆の物語」
  ABC(朝日放送)2013年放送
あんな話こんな話 今週の朝礼 https://www.nohkai.ne.jp/tyorei/?p=2811
授業づくりJAPANの『日本人を育てる授業』服部剛 http://jdjapan.blog.fc2.com/blog-entry-23.html?sp
ガーベラの写真 イーフローラより https://www.eflora.co.jp/shop/hasegawa-sk/9105130025/