●病院の霊安室での不思議な体験。


これは、約10年前、私が突然ブログを長期休んで、

白血病で半年間入院していた時のお話です。

無菌室に入ったり、面会謝絶だったりしたので、

ほぼ会話は担当医師か病棟の看護師さんとだけでした。

一応小さいテレビはあったのですが、

有料なので、2時間ドラマを見ると120円取られました。

小さい冷蔵庫もあったのですが、1日140円取られます。

2、3日の入院ならいいけど、これを半年って、大変でしたよ。

たまに、テレビつけっぱなしで寝てしまい、がっくりきた事もあります。

ひろしのバカ、バカ、バカ、なんでここで寝ちまうかなぁ!!」

入院あるあるでしょうか。

あっ、そうそう。

もし、貴方、もしくは家族友人が入院する時は、

テレビ・ラジオ用のイヤホンを持って行った方がいいですよ。

イヤホンは備え付けじゃない上に、ほぼマストですから、

無いと病院の売店で買う事になりますよ。

家にあったのにぃ!!とか、

家のワイヤレスイヤホン持って来れば良かったとか、

持って来たワイヤレスイヤホンが、テレビに合わないとか、

100円ショップで買っておけば良かったと後悔しますよ。

家の人に頼んで翌日持ってきてもらえば済む事ですが、

貴方のイヤホンを探すついでに、

カバンの中とか机の中とか色々見られてしまいますから。

あと、血圧問題なければ、醤油も。

あれば、辛子明太子やイカの塩辛は最高のご飯のお供でした。

あとフリカケや味付けノリも持って行った方がいいと思う。









さいぶ話が脱線してしまいましたので、本題に入りましょう。

商売柄、看護師さん達に、

何か怖い経験した事ありますか?」と聞いたりしていました。

何しろ、日本人が亡くなる時、8割が病院で。と言われてますから、

看護師さんが働いているのは死と隣り合わせの職場とも言える大変な職業です。



そんなある時、他の病院から転職してきたという看護婦さんがいたので、

いつもの様に、「何か怖い経験した事ありますか?」と聞くと、

怖い体験じゃないけど、不思議な体験をした事があると言います。



それは、病院の霊安室での事だったと言います。


霊安室とは、病室で亡くなってから、

遺族がその遺体を引き取りに来るまで、もしくは、

葬儀屋さんが来るまでの待機場所です。


基本、霊安室の利用は、無料なので、

病院として、なるべく早く遺体を引き取って欲しいと願っています。

最大3時間までとしている病院が多いですが、

遺族が遠くに住んでいる場合、病院に駆けつけるまで24時間待つ場合もあります。

ご臨終の時に、側に遺族がいれば、そのまま自宅などに引き取るので、

霊安室を利用しない事になったりします。

だから、今回の安倍さんの場合も霊安室は使用しなかったでしょう。

ちなみに、霊安室はの場所は、普通は、

①■病院の地下室

②■病院の裏口の近く

のどちらかが多いそうですが、霊安室の近くの部屋って嫌ですよね。

だから、病院の案内図には霊安室の場所を載せていない事が多いそうです。

ただ、近年になって、霊安室の考え方が違って来ていて、

ここ千葉県の南房総にある亀田総合病院の霊安室は、

なんと病院の最上階にあり、「天国に一番近い霊安室」と歌って、

全室一面ガラス張りのオーシャンビューを眺める事が出来ます。

 




では、入院患者さんが亡くなられたら、誰が遺体を霊安室に運ぶかと言うと、

その入院患者さんの病棟の看護師と、婦長さんの場合が多いそうです。

霊安室への搬送は、なるべく人目のつかないルートを通る様にするといいます。

病室から遺体を霊安室の運び、

遺族の方が来たら、その霊安室に案内して、

間違いなく故人かどうか確認してもらてから、引き取ってもらいます。

普通は連絡すると、1時間以内に遺族が病院に駆けつけて来られるそうです。

彼女も、そんな経験を10回以上経験したといいます。


ところがある時、

病院に担ぎ込まれた時には、すでに意識不明で、

そのまま3日間意識が戻らないまま亡くなられた女性がいたそうです。

彼女は、すぐにご遺族であるご主人の携帯に電話しました。

すると、ご主人は仕事があるので、すぐには行けないという返事。

しかも、それまでに妻の意識が戻った事があるのか、しつこく聞いて来たそうです。

いいえ、奥さんの意識は一度も戻らなかったと思います。」と答えると、

「ああ、そうですか。間違いありませんね。」と言うとぶっきら棒に切ったそうです。

ご主人がやっと病院に来られたのは、それから4時間後だったと言います。

「仕事の方が大事なんて・・」と思いながらも、

ご主人を霊安室に案内しました。

ところが、彼女が奥さんの顔にかかっていた布をめくった時です。


凄く冷たい空気が、彼女の手に絡みついたといいます。

部屋はそうでも無かったのですが、

奥さんの死体の周りだけ、冷たい空気が包んでいる様だったと言います。

今まで10回以上体験した事ですが、そんな事は始めてだったので、

彼女は思わず、「あっ」と小さい声をあげてしまったそうです。

ご主人は、すぐに火葬にしてあげたいと、手を合わせると

一緒に連れて来た葬儀屋さんに引き渡していました。



あれは、一体なんだったのだろう?



ずっと、そんな事を考えていたそうです。


ところが、それから2週間後の事です。


あのご主人が、妻殺しとして逮捕されたというのです。






私は、その話を聞かせてもらって、彼女にこう言いました。


アメリカの霊能者の方が、言った事があるのですが、

亡くなった後、

強烈に訴えたい事がある時や、

絶対話しておきたい事があるのに亡くなってしまった無念がある時、

 

 



死体の周りに冷た~い空気が漂う事があるそうなのです。






もしかしたら、奥さんは、

自分を殺したのは、この夫だと言いたかったのかもしれません。


END


参考:写真はみずほ台井上病院スタジオより http://www.planear.co.jp/studio/multi/mizuhodai.html


 

●安倍氏銃撃事件、霊能者だったら防げたか?


こういう大きな事件が起きると、

こんな質問を受ける事があります。

「もし、霊能者が選挙スタッフの一員としていたら、

 この事件防げたでしょうか?」


さて、皆さんは、どう思いますか?



①■防げた。

②■防げなかった。




少し考えてみてから、先をお読みください。


 






































霊能者と名乗る方は沢山いますが、今回は、

私が知るアメリカの霊能者の方の例を挙げてお話します。



実は、アメリカの霊能者の所に、

選挙スタッフの方が、相談に来た事があります。

党首が、今回の全米を遊説するにあたって、

 死の危険が無いか診て欲しい。
」という相談だったそうです。

皆さんもご存知の通り、アメリカは銃社会ですから、

遊説も命がけです。

だから、遊説中に狙撃されたり、爆弾を仕掛けられたり、

遊説先へ行く間に飛行機が墜落したりして死ぬ事はないか。

霊能者に診て欲しいという相談です。



さて、霊能者の方は、それに対して何と答えたかと言うと、

「それは分かりません。」と言ったのです。


霊能者の方いわく、

彼女自身は、普通の人間で予言したりする事は出来ません。

出来るのは、亡くなった人に聞く事だったり、

亡くなった誰かが、彼女に映像を見せたりして知らせてくれる事
です。

つまり、その遊説する党首の方の守護霊だったり先祖霊だったりが、

霊能者の方の前に現れたりして、教えてくれるのですが、

こと死については、教えてくれないのだと言います。

と言うか、知ってはならない事になっている様なのです。

だから、例え先祖霊が、党首の死を知っていたとしても、

その事を生きている人に教えてはならないという暗黙のルールがある様なのです。

ただ、例外はあるそうで、

例えば、医者から余命3ヵ月と言われた人が、

霊能者の所に来た時があったそうですが、

そういう病気などで、もう肉体の死が決まっている場合は診える事があるそうです。

だから、そういう時は、本人が望めば、確かに3ヵ月ですね。とか、

3ヵ月よりはもう少し長く生きますよ。と言ってあげるそうです。


では、まったく不可能かと言うと、

霊能者の方も、嫌な予感がする。という捉え方はするそうです。

そういう時は、危険かどうか断言出来ませんが、嫌な予感はします。

と言うそうです。


でも、今回の安倍元首相襲撃事件の場合を考えて見ても、

霊能者がいて、「嫌な予感がする。」と言ったら、

安倍さんは、全ての応援演説を中止にしたでしょうか?

多分それは無理でしょう。

応援される候補者も、待っているし、

応援に行ってあげるという約束もしていたかもしれません。

それを、「嫌な予感がする。」だけで中止には出来ないと思います。

つまり、

霊能者には、②■防げなかった。と言えると思います。





ただ、今回の安倍さんの警備は、ホントお粗末でした。

アメリカの警備のプロが、この事件の警備を見て、

5つの大きな問題点がある言い、

アメリカの警備だったら、100%安倍さんは助かっていたと言います。

100%ですよ。


①■まず、アメリカの警備なら、

  安倍さん極近くに2人は警備のプロを配置します。

  そして、銃声がしたら、すぐに安倍さんを伏せさせ、誰かが銃声の方に盾となり、

  安倍さんの頭を下げさせたまま、避難させます。

  例えそれが車のタイヤのパンクの音であってもです。

  ところが、安倍さんの場合、1発目の大音響の発射音がしたのに、

  それから2.7秒後の2発目の発射まで、誰も安倍さんを避難させたり、

  頭を下に下げさせたりしていません。

  もしかしたら、あれだけ大勢いて、誰も安倍さんに、

  「伏せて!!」と言った人さえいなかったかもしれません。

  1発目の大音響から2.7秒って、結構長いですよ。

  皆さんも2.7秒試しに数えてみてください。

  
②■アメリカの警備のプロは、警備する遊説場所に1時間以上早く到着して、

  爆発物は無いかチェックするだけではなく、

  現場を撮影するそうです。なぜなら、

  演説する人を殺そうとする人は、早くから現場に現れて、

  狙撃場所を決めたり、逃走経路を考えたりするそうです。

  だから、遊説場所に早くから来ている車や人は、要注意だと言います。

  今回の安倍さんを殺した犯人も、現場に1時間半前から居て、

  ウロウロしていたと言います。

  遊説場所に1時間半前に居るなら普通は、

  一番聞きやすい良い場所を確保しますよね。

  それなのに、山上容疑者は、1時間半前に来ていて、

  後ろから聞くなんて、まっさきに要注意人物として、荷物チェックです。


  ある安倍さんの警備をしていた人が、

  「大勢の人がいて、一人一人の荷物を検査する事が出来なかった。」

  と言い訳していましたが、警備のド素人が言う事だそうです。


③■遊説場所が、アメリカならありえない場所。

  普通、狙撃犯が一番先に考えるのが、銃撃後の逃走経路だそうです。

  それを考えた場合、安倍さんのすぐ後ろは一般道路でした。

  安倍さんが演説中にも、車が後ろを走っています。

  山上容疑者はしませんでしたが、

  これって、銃で狙うなら、安倍さんのすぐ後ろに車を停めて、

  素早く車の中から銃撃して、あとは車を走らせて逃げるだけですから、

  アメリカなら、こんな所で演説するなど有りえない場所だそうです。

 

  もし、どうしてもこの場所しか無いのであれば、

  せめて安倍さんの後ろに高い車を停めて、片側通行にするべきだと言います。


④■警備の大失敗は、銃撃後にもあるとアメリカの警備のプロは指摘します。

  山上容疑者が2発目を発砲した後、警備の人が山上容疑者を捕まえます。

  そこまでは良いとして、山上容疑者を2人が取り押さえますが、

  問題はそこからです。

  今回は、犯行は山上容疑者一人でしたら、良かったですが、

  犯人が他にもいて、二の矢・三の矢がある可能性があります。

  それなのに、安倍さんの警備は一斉に山上容疑者の所に駆けつけます。

  もう山上容疑者は2人に確保されているので、急いで駆けつける必要がありません。

  10人以上も山上容疑者の周りに集まって、どうすんの? 

 



⑤■狙撃されてから、救急車の到着が41分後って、どういう事?

  アメリカの警備なら、ありえない。アホだ。

  もう遊説場所が決まった時点で、病院を決めて、

  遊説場所の近くに救急車を待機させる
といいます。

  万が一の事をまったく考えていない。

      これじゃ、助かる命も助かりません。

  最低でも、担架と担架を乗せられる車

  応急処置道具と医師1人・AEDを用意しておく位は出来るでしょう。






最後に、

では、死ぬのが分からないとしても、

何か、助かる方法は無かったのでしょうか?

霊能者の方いわく、

先祖霊や守護霊は、死を教える事は出来ないけど、

それを匂わす予兆として、知らせて守ろうとする
事があるそうです。


例えば、今回の安倍元首相銃撃事件について可能性があるとすれば、

①■当初、安倍さんは奈良に来る予定ではありませんでした。

  当初の予定では、長野に行き、自民新人の松山三四六候補の応援演説を

  行う方向で調整されていたのです。

  それが、急きょ中止になり、奈良に行ったのです。

  ここに第一の問題があります。

  実は、安倍さんが長野の応援演説を止めたのには、理由があったと言われます。

  それは、今週発売の一部週刊誌が松山氏の過去の女性問題を報じる事が分かり、

  これを受けての応援演説中止と見られているのです。

  霊能者の方が言った事があるのですが、

  急きょ予定が変更になった時、その変更理由が悪い事なら、

  悪魔の誘導の可能性があるので、一応注意した方がいい。と

②■長野の応援演説を中止した安倍さんは、
  
  奈良と京都が追い上げを受けているという連絡を受け、

  急きょ行き先を変えます。

  ところが、ここで問題が起きます。

  急きょ決めたので、高い所から演説出来る選挙カーが準備できないというのです。

  不吉な前兆です。

  安全な選挙カーが用意出来なければ、

 

  演説を中止するという選択があっても良かった。

  

 

しかし、安倍さんは奈良に向かい、

  地面に置いた小さい踏み台に乗り、マイクを握ったのでした。


 

 



③■安倍さんが奈良に向かっている時でした。

  安倍さんが急きょ奈良に来る事を知った、

 

  奈良が地元の高市政調会長からメールが届きます。

  「党情勢調査で奈良県は優勢の旨を送信。」

  これはアンに、安倍さんに、

 

 「奈良は大丈夫だから来なくてもいいですよ。京都に向かってください。」と、

  提案したと取れるメールでした。 救いの手が入りました。

  ここで、奈良は止めて京都に行く事も出来きましたが、

  安倍さんは少し考えてから、高市さんにこうメールしたのでした。


  「問題ないとは思うけど、

   京都に行くことが決まったので、奈良まで行きます。

   毎日(新聞)と日経(新聞)が厳しく出ているので・・・」





結局、防ぐ事は出来ませんでした。残念です。



高市氏は、その後、涙で、

京都も奈良も当選した事を御霊前に報告したそうです。」


END
  
 

●子供に恵まれなかった人生。


今日、7月12日午後、

安倍晋三元首相(享年67)の葬儀が営まれた。



そんな今、安倍さんが4ヶ月前に、

近畿大学の卒業式に向けた心のこもったスピーチが注目を集めている。

 

 

 

 



近畿大学卒業生約6000人を前に、原稿に目を落とすこともなく、

学生らを見つめながら語った15分にわたる熱弁を見て、

動画へのコメント数は増え続けており、追悼の言葉とともに、

「心に刺さる。」

「このスピーチは絶対に忘れません。」

涙が止まりません。」などの称賛が送られている。






「卒業生の皆さん、ご両親、ご家族の皆様また関係者の皆様、

 本日はおめでとうございます。」

 

「今日まで色々なことがあったと思います。

 幼稚園や保育園への送り迎え、お弁当を作ったり

 叱ったり、褒めたり、ぶつかったり大変な日々もあったでしょう。

 でもそうした皆さんの努力が報われて、今日の晴れの卒業式

 皆さんのお子さんたちは立派に社会人として巣立っていきます。

 本当におめでとうございます。」





卒業式に向けたスピーチと一緒に、

安倍さんが「花は咲く」をピアノ演奏する姿も流された。

 



この「花は咲く」はご存知、東日本大震災復興支援ソングです。

「私はド素人(ピアノ)で、小学校に入った時に

 母親から勧められてピアノの練習を始めた。

 それ以来ですから約60年ぶりにピアノに挑戦しました。

 結構忙しかったんですが、仕事が終わった後

 夜、毎日毎日遅くまで一生懸命練習した
んですよ。」




実は、東日本大震災が起きた当時、

安倍晋三さんは、野党だった。

そんな中、東日本大震災が起きたのである。

「この曲を弾いていると

 あの日の光景が思い起こされます。」


津波で家族を失い、愛する人を失い

 絶望的な状況の中でたくさんの人達が苦しんでいた。

 そんな時に私たちは人としてまた政治家として何ができるか

 世耕理事長とそう語り合って、私たちの手で物資を集めて

 そして私たちの手で被災地に届けよう、そう考えました。」

 11年前の3月26日(震災発生の15日後)

 被災地、避難所から要望のあった物資を

 ありったけの物資を2台のトラックに積んで

 そしてちょうど東北自動車道が

 一般車両に開通された日、福島に向かいました。

 トラックを出してくれたのは

 運送会社を経営している、須磨德裕さん。

 皆さんの先輩、近大OBです。

 そして現地では自衛隊、消防、警察、役所の皆さん、

 またボランティアの皆さんと一緒に

 被災者の方々も悲しみをこらえながら

 捜索活動、そして避難所の運営に黙々と汗を流しておられた。

 そしてその日、遅い時間にやっと着いたある町の漁協の組合長さんは

 安倍さん、よく来てくれたね、ありがとう。

 



 こう言って明るく迎えてくれました。

 でもその後、こう続けられた。

 今朝やっと女房の葬儀を終えたんだよ。

 でも俺は負けないよ。

 絶対に街を復活させるからね。

 安倍さんも頑張れよ。

 この力強さと、雄々しさに私たちは圧倒される思いでした。




そんな思い出を語った後、こう卒業生らを送り出した。


「皆さんもこれからの長い人生、失敗はつきものです。

 何回も何回も何回も失敗するかもしれない。

 でも大切なことはそこから立ち上がること、


 そして失敗から学べればもっと素晴らしい。」

 どうかチャレンジして

 そして失敗しても立ち上がってください。

 そして、皆さんの溢れる若い力で

 よりよい世界を創ってください。」






安倍晋三元首相の葬儀が営まれ、喪主をつとめた安倍昭恵夫人(60)は、

「あまりに突然の出来事で、まだ夢の中にいるようです。と語った。





昭恵さんが安倍元首相と結婚したのは1987年6月。

 

つい先月には珊瑚婚式となる35周年目の夫婦生活を迎えたばかりだった。





昭恵夫人は勤め先の上司から安倍氏を紹介され、

見合いには乗り気ではなかったものの

「食事くらいしませんか」と勧められるままに承諾した。

しかし店に行く途中で迷ってしまい、

初めての待ち合わせに30分以上遅刻したという。

昭恵夫人は『主人はニコニコ待ってくれていて良い人だった』と振り返っていますが、

さすがに安倍さんは遅刻に内心モヤッとしていたそうです。

ですが、話してみると意気投合し、すっかり昭恵夫人にぞっこんに。

当時は職場に迎えに行くなどべた惚れで、約2年半の交際を経てゴールインしました。



昭恵さんが安倍晋三さんと結婚したのは24歳の時。

結婚当初は「子供は自然に出来るだろう」とのんびりしていたそうですが、

子供は授かりませんでした。

安倍さんも子供を持つことを望んでいましたが、

なかなか子宝に恵まれませんでした。

昭恵さんは三箇所ほど不妊治療に通ったこともあったものの、

妊娠には至りませんでした。

安倍首相のお母さまで、昭恵さんのである安倍洋子さんとは、

 

ソリが合わなかったようです。

お子さんに恵まれなかったことについて洋子さんから

本来なら、離婚ねと、言われた事があり、

 

選挙区の後援者らとの酒席では、

 

嫁として失格だ!」などと責められた。

インタビューで泣きながら『つらかった』と語ったこともあります。
 

 

周りに何か言われても、友達と飲みに行けば気が晴れるという感じでした。


酔いつぶれた昭恵さんを、安倍さんが背負って帰った事もありました。





30代まではプレッシャーがありましたが、40歳を過ぎると、

周囲も「なんだかお気の毒」という感じで、何も言われなくなりました。


養子縁組を検討したこともあったそうですが、選択しなかった。

昭恵さんは06年にBBCのインタビューで、

『すべて運命。目の前の事実を受け入れる』と語っており、

安倍さんもそんな昭恵さんの決断を尊重していました。

傷つく昭恵さんに対して、

安倍さんは優しい言葉をかけてフォローしたといいます。

また『絶対に産んでくれ』など、プレッシャーをかけることもいっさいありませんでした。

昭恵さんはそんな安倍さんの姿勢に救われた気がします。と語った。

 

自身の子供には恵まれなかった昭恵さんですが、その後、

「困難な状況にいる子供達にとって、生きていく希望になる」と、

ミャンマーでの寺子屋づくりを支援し、

バングラディッシュでは女子大設立に貢献しました。

 




当時から昭恵さんは明るく天真爛漫な性格で、お酒の席にも好んで出かけていました。

彼女の性格とは正反対な晋三さんでしたが、むしろそこに惚れたようです。

安倍晋三首相の持病である潰瘍性大腸炎は、難病の一種で、

再燃と寛解を繰り返すことが特徴の病気でした。

晋三さんが政治家となってからは、支援者の集会に夫婦で挨拶に出向くことも。

持病のためにお酒が飲めない晋三さんをかばって、

昭恵さんがお酌を受けていました。





あの事件の日は、朝8時にご飯を一緒に食べてお見送りをした。


そうしたら、11時半過ぎに撃たれたという連絡があって、
 

昭恵さんはすぐに都内の自宅を出発、電車を乗り継ぎ奈良へ。

午後4時55分に治療が続けられていた奈良県立医科大学附属病院に到着するも、

その8分後の午後5時3分に安倍元首相は息を引き取りました。


奈良の病院に駆けつけたとき、

駆け付けた妻の昭恵さんは、安倍氏の意識の回復を願って名前を繰り返し呼んだという。

「晋ちゃん、晋ちゃん。」 夫の意識回復願い名前繰り返す

ものの、思いは届かなかった。

昭恵夫人は夫のなきがらに頬ずりしていたという。



私はこの話を聞いて、

妻の昭恵さんが、病院に到着して8分後に亡くなったって、

決して偶然じゃ無いと思いますよ。

安倍氏は、必死になって頑張って頑張って、最後の力を振り絞って、

妻・昭恵さんの到着を待っていた
と思いますよ。

愛する妻と、最後の別れをする為に。



実際、ギリギリ病院に到着した昭恵さんは、こう語った。


夫の手を握ると、

握り返してくれた
ような気がしました。


昭恵さんは雑誌の取材で、こう語ったという。


来世でも、また、夫と結婚したい。

 

 

 

END


参考:WEB女性自身
画像は、和田 政宗さんのツイッター