●子供に恵まれなかった人生。
今日、7月12日午後、
安倍晋三元首相(享年67)の葬儀が営まれた。

そんな今、安倍さんが4ヶ月前に、
近畿大学の卒業式に向けた心のこもったスピーチが注目を集めている。
近畿大学卒業生約6000人を前に、原稿に目を落とすこともなく、
学生らを見つめながら語った15分にわたる熱弁を見て、
動画へのコメント数は増え続けており、追悼の言葉とともに、
「心に刺さる。」
「このスピーチは絶対に忘れません。」
「涙が止まりません。」などの称賛が送られている。
「卒業生の皆さん、ご両親、ご家族の皆様また関係者の皆様、
本日はおめでとうございます。」

「今日まで色々なことがあったと思います。
幼稚園や保育園への送り迎え、お弁当を作ったり
叱ったり、褒めたり、ぶつかったり大変な日々もあったでしょう。
でもそうした皆さんの努力が報われて、今日の晴れの卒業式
皆さんのお子さんたちは立派に社会人として巣立っていきます。
本当におめでとうございます。」
卒業式に向けたスピーチと一緒に、
安倍さんが「花は咲く」をピアノ演奏する姿も流された。

この「花は咲く」はご存知、東日本大震災の復興支援ソングです。
「私はド素人(ピアノ)で、小学校に入った時に
母親から勧められてピアノの練習を始めた。
それ以来ですから約60年ぶりにピアノに挑戦しました。
結構忙しかったんですが、仕事が終わった後
夜、毎日毎日遅くまで一生懸命練習したんですよ。」
実は、東日本大震災が起きた当時、
安倍晋三さんは、野党だった。
そんな中、東日本大震災が起きたのである。
「この曲を弾いていると
あの日の光景が思い起こされます。」
「津波で家族を失い、愛する人を失い
絶望的な状況の中でたくさんの人達が苦しんでいた。
そんな時に私たちは人としてまた政治家として何ができるか
世耕理事長とそう語り合って、私たちの手で物資を集めて
そして私たちの手で被災地に届けよう、そう考えました。」
11年前の3月26日(震災発生の15日後)
被災地、避難所から要望のあった物資を
ありったけの物資を2台のトラックに積んで
そしてちょうど東北自動車道が
一般車両に開通された日、福島に向かいました。
トラックを出してくれたのは
運送会社を経営している、須磨德裕さん。
皆さんの先輩、近大OBです。
そして現地では自衛隊、消防、警察、役所の皆さん、
またボランティアの皆さんと一緒に
被災者の方々も悲しみをこらえながら
捜索活動、そして避難所の運営に黙々と汗を流しておられた。
そしてその日、遅い時間にやっと着いたある町の漁協の組合長さんは
安倍さん、よく来てくれたね、ありがとう。

こう言って明るく迎えてくれました。
でもその後、こう続けられた。
今朝やっと女房の葬儀を終えたんだよ。
でも俺は負けないよ。
絶対に街を復活させるからね。
安倍さんも頑張れよ。
この力強さと、雄々しさに私たちは圧倒される思いでした。
そんな思い出を語った後、こう卒業生らを送り出した。
「皆さんもこれからの長い人生、失敗はつきものです。
何回も何回も何回も失敗するかもしれない。
でも大切なことはそこから立ち上がること、
そして失敗から学べればもっと素晴らしい。」
どうかチャレンジして
そして失敗しても立ち上がってください。
そして、皆さんの溢れる若い力で
よりよい世界を創ってください。」
安倍晋三元首相の葬儀が営まれ、喪主をつとめた安倍昭恵夫人(60)は、
「あまりに突然の出来事で、まだ夢の中にいるようです。と語った。
昭恵さんが安倍元首相と結婚したのは1987年6月。

つい先月には珊瑚婚式となる35周年目の夫婦生活を迎えたばかりだった。
昭恵夫人は勤め先の上司から安倍氏を紹介され、
見合いには乗り気ではなかったものの
「食事くらいしませんか」と勧められるままに承諾した。
しかし店に行く途中で迷ってしまい、
初めての待ち合わせに30分以上遅刻したという。
昭恵夫人は『主人はニコニコ待ってくれていて良い人だった』と振り返っていますが、
さすがに安倍さんは遅刻に内心モヤッとしていたそうです。
ですが、話してみると意気投合し、すっかり昭恵夫人にぞっこんに。
当時は職場に迎えに行くなどべた惚れで、約2年半の交際を経てゴールインしました。
昭恵さんが安倍晋三さんと結婚したのは24歳の時。
結婚当初は「子供は自然に出来るだろう」とのんびりしていたそうですが、
子供は授かりませんでした。
安倍さんも子供を持つことを望んでいましたが、
なかなか子宝に恵まれませんでした。
昭恵さんは三箇所ほど不妊治療に通ったこともあったものの、
妊娠には至りませんでした。
安倍首相のお母さまで、昭恵さんの姑である安倍洋子さんとは、
ソリが合わなかったようです。
お子さんに恵まれなかったことについて洋子さんから
『本来なら、離婚ね』と、言われた事があり、
選挙区の後援者らとの酒席では、
「嫁として失格だ!」などと責められた。
インタビューで泣きながら『つらかった』と語ったこともあります。
周りに何か言われても、友達と飲みに行けば気が晴れるという感じでした。
酔いつぶれた昭恵さんを、安倍さんが背負って帰った事もありました。
30代まではプレッシャーがありましたが、40歳を過ぎると、
周囲も「なんだかお気の毒」という感じで、何も言われなくなりました。
養子縁組を検討したこともあったそうですが、選択しなかった。
昭恵さんは06年にBBCのインタビューで、
『すべて運命。目の前の事実を受け入れる』と語っており、
安倍さんもそんな昭恵さんの決断を尊重していました。
傷つく昭恵さんに対して、
安倍さんは優しい言葉をかけてフォローしたといいます。
また『絶対に産んでくれ』など、プレッシャーをかけることもいっさいありませんでした。
昭恵さんはそんな安倍さんの姿勢に救われた気がします。と語った。
自身の子供には恵まれなかった昭恵さんですが、その後、
「困難な状況にいる子供達にとって、生きていく希望になる」と、
ミャンマーでの寺子屋づくりを支援し、
バングラディッシュでは女子大設立に貢献しました。
当時から昭恵さんは明るく天真爛漫な性格で、お酒の席にも好んで出かけていました。
彼女の性格とは正反対な晋三さんでしたが、むしろそこに惚れたようです。
安倍晋三首相の持病である潰瘍性大腸炎は、難病の一種で、
再燃と寛解を繰り返すことが特徴の病気でした。
晋三さんが政治家となってからは、支援者の集会に夫婦で挨拶に出向くことも。
持病のためにお酒が飲めない晋三さんをかばって、
昭恵さんがお酌を受けていました。
あの事件の日は、朝8時にご飯を一緒に食べてお見送りをした。
そうしたら、11時半過ぎに撃たれたという連絡があって、
昭恵さんはすぐに都内の自宅を出発、電車を乗り継ぎ奈良へ。
午後4時55分に治療が続けられていた奈良県立医科大学附属病院に到着するも、
その8分後の午後5時3分に安倍元首相は息を引き取りました。
奈良の病院に駆けつけたとき、
駆け付けた妻の昭恵さんは、安倍氏の意識の回復を願って名前を繰り返し呼んだという。
「晋ちゃん、晋ちゃん。」 夫の意識回復願い名前繰り返す
ものの、思いは届かなかった。
昭恵夫人は夫のなきがらに頬ずりしていたという。
私はこの話を聞いて、
妻の昭恵さんが、病院に到着して8分後に亡くなったって、
決して偶然じゃ無いと思いますよ。
安倍氏は、必死になって頑張って頑張って、最後の力を振り絞って、
妻・昭恵さんの到着を待っていたと思いますよ。
愛する妻と、最後の別れをする為に。
実際、ギリギリ病院に到着した昭恵さんは、こう語った。
夫の手を握ると、
握り返してくれたような気がしました。
昭恵さんは雑誌の取材で、こう語ったという。
「来世でも、また、夫と結婚したい。」
END
参考:WEB女性自身
画像は、和田 政宗さんのツイッター


