●貴方の周りにいますよ合図。


個人的な事ですが、母が亡くなって9月15日までの49日間

亡き霊は今まで住んでいた家、もしくは家の周りにいて、

この時期、親しかった人を訪れたりもします。

そして、この49日間に、愛する遺族に、

私は貴方の身の周りにいますよ。と合図を送ってくれる事があります。

特に今はお盆の時期なので他の親族の霊にも助けられて、

 

よりその可能性が高くなります。


そこで問題です。

霊能者のが言う、

亡くなった人が「私は貴方の身の周りにいますよ。」と

 

遺族に合図を送ってくれるのですが、

その合図とは、

どんなものだと思いますか?


少し考えてみてから、先をお読みください

































霊能者のが言う、

亡くなった人が「私は貴方の身の周りにいますよ。」と

 

遺族に合図を送ってくれるのですが、

その合図とは、

霊が小さな生き物や動物に憑依して、貴方の目の前に現れるという。

例えば、

■多いのが、昆虫やカエル・鳥などが帰宅した時に門や玄関ドアの近くの、

 貴方にわざと見える高い位置まで登って来て、

 お帰りなさい。と出迎えてくれる
ケース。

■小鳥や蝶などに憑依して、貴方の周りに不自然に現れる。

 貴方の近くを飛んでくれたり、留まったり、窓からずっと見ていたり。


 霊能者の方いわく、小鳥は自由を意味していて、

 今は天国で幸せという意味も表すという。


蝶が貴方の顔に止まったり、

蝶が貴方の周りをグルグル回ったり、

貴方の前を横切ったり、

蝶が貴方について来たり
する時、

それは、貴方にとっての親しい霊が、その蝶に憑依して

貴方を応援に来ていたり、励ましに来てくれてたり、

私は元気だよ。と伝えにきたり、

お祝いに来ていたり、一緒に旅行に来ている
事が多いといいます。




他にも、霊が憑依する小さな生き物や動物で多いのは、


■小さいカエル。

■クモ

■カメ

だといいます。



実は、なんで今日、こんな記事を書いたかと言うと、

昨日、家の中で私の目の前に小さなカエルが現れたんです。

 

私はすぐに、母だと思いました。

アメリカの霊能者の方いわく、

カエルや蝶などを見て、瞬時に亡きお母さんの事が頭に浮かんだら、

それは、ほぼ貴方のお母さんだと思って正解
だと霊能者の方はいいます。

それに、この49日間内とお盆の時期だし、

私はこの家に20数年は住んでいますが、

家の中にカエルが現れたのは、今回が初めてです。

とても偶然とは思えません。

もちろん、網で保護して外に逃がしました。

「見守ってくれてありがとう。母さん」と言って。






貴方も、亡き愛する人が貴方を励ましに、

生き物に姿を借りて来てくれるかもしれませんよ。


母さんが見守っているから、頑張って!」と。



END

●亡くなった人の一番の宝物


私事ですが、先日母が亡くなった時、

霊能者の宜保愛子さんに教えてもらった、

亡くなった人の一番の宝物。を棺に入れて送り出しました。


皆さんにも、そういう場合に、お勧めしたいものです。


そこで問題です。


亡くなった人の棺に入れた方がいい。という

霊能者の宜保愛子さんがお勧めしている

亡くなった人にとっての一番の宝物とは、

 

何だと思いますか?

少し考えてみてから、先をお読みください


















































霊能者の宜保愛子さんがお勧めしている

亡くなった人の棺に入れた方がいい。という

亡くなった人にとっての一番の宝物とは、


家族写真です。

もし、故人が可愛がっていたペットがいるなら、その子の写真も入れます。

私の時も、家族写真と母が保護した保護猫のミミの写真を入れました。

 

ちなみに、亡くなった霊は宜保愛子さんに、こう言ったそうです。
 

「家族の写真は、一番のおみやげだよ。」




ここまでは、以前も書いたことがありますが、

大抵こういう事を書くと、

棺に家族写真を入れて忘れてしまいました。

どうしたらいいでしょうか? と質問されます。


そこで最後の問題です。


亡くなった人にとっての一番の宝物である家族写真を、

棺に入れ忘れてしまった場合、どうしたらいいでしょうか?

少し考えてみてから、先をお読みください


































棺に入れ忘れてしまった場合、

宜保愛子さんいわく、棺に入れ忘れた場合、

故人に家族写真を届ける方法は、2つ
あると言います。


①■まず、小さくても良いので家族写真を用意して、
 その写真を半紙に包み、さらにビニール袋に入れて封をし、
 お墓の外側でかまわないので、土を掘って埋めてあげる。

②■お墓の側に埋める場所が無い場合は、
 故人の命日にお墓参りに行き、お墓の前で、
「家族写真を受け取ってくださいね。」と言って、
 家族写真を燃やしてあげます。
 そして、その灰をお墓の近くに埋めてあげます。



ちなみに、中には、お墓が無く、

お寺の納骨堂で遺骨を預かってもらっている方もいらっしゃるでしょう。

その場合は、写真を半紙で包み、骨壺の下に置きます。(家にある方も)


END

 

●臨死体験。


臨死体験とは、

」という字は、臨む(のぞむ)と使いますね。


臨む(のぞむ)死の体験。

そう、つまり、ちょっとだけ死んだ時の事をのぞいた体験の事です。

それは交通事故や事故・手術中に起きる事が多いとされます。

母も何度か肺炎で危なくなった時があり、生還しているので、

臨死体験したと思います。


大体ですが、心停止した人の10人に一人は、

臨死体験を経験するそうです。









1973年7月4日、

沖縄の糸満市に一人の男の子が生まれます。

名前をさとる

父親はトランペット奏者でしたが、とても厳格な父親で、

食事中は、いっさいの私語は厳禁でした。

家では常にクラシック音楽が流れていたといいます。

さとるは、体が弱く、幼稚園も休みがちでした。

後に父親とは離婚して母親と暮らすのですが、

そんなまだ子供のさとるに悲劇が訪れます。

小学校2年生の時(7歳)

沖縄の海で遊んでいると、

突然、水の中でもがいてももがいても足が地面に付かなくなったのです。

しかも、どんどん水中に引っ張られ沈んでいきました。

パニックでもがく中、とにかく息がしたいと海水を飲むだけ飲んでしまいました。

息を吸おうとしても、塩辛い水が口に入ってくるだけでした。

さとるの中から音が消えました。

 

さとるは溺れてしまったのです。

そして何かに抱かれているようなすごく優しくてあたたかい感覚と、

これまで感じたことのない安堵感を感じました。

そして次の瞬間、

頭の中で急に走馬灯が回り始めました。

生まれた時からこれまでの記憶が順番通りに事細かに見えるのです。

ああ、自分は間違いなく死ぬんだ。と思いました。

怖かった。


しかし、それは恐怖の序章に過ぎませんでした。

さとるが海で溺れてから何とか助かったのですが、

臨死体験を経験してから、目が覚めた後、

今まで全く見えていなかったものが、完全にみえるようになっていた。

さとるは、周りの人には見えないものが見える様になってしまったのです。

つまり、霊が見える様になってしまったのです。


霊は余りにリアルだったので、さとるには、

生きている人と死んでいる人の区別がつけられませんでした。

なので、さとるが幽霊と話しているのを見た周りの人たちは彼を異質扱いしました。

霊が見えると言うと、周りから気味悪がられました。

両親もです。

親ですらも彼の話を信じてくれなかったので、彼は子供心にすごく傷つきました。

さとるが10歳の頃、胃や内臓に突然動けなくなるほどの激痛が走り、倒れました。

発見されていない伝染病かもしれない。と言われ、

それまで霊が見えるとか言っていた事もあり、

さとるは、すぐに隔離・監禁され、鉄格子のついた病棟に入れられました。

そこは子供ばかりがいたのでおそらく小児病棟だったようですが、

その病棟には伝染病など重症の子が多くいました。

悪く言えば、鉄格子のついた精神病院の隔離病棟です。

そんな中で、さとるは、そこの子たちと関わる中で、こう感じたのです。

この子は明日、死んじゃう。

その予言通り、多くの子供たちが亡くなっていきました。


せっかく仲良くなっても次々と亡くなっていく友達。

そこは地獄そのものでした。


このままここにいると、

自分も精神が壊れ、死んでしまう。

そう思ったさとるは、退院する方法を模索し始めます。


さとるは考えました。

何とか、医師たちに自分は正常だと思ってもらおう。

そこで、さとるは、

担当医をジッと観察し、担当医の動作や話し方、話の内容まで全てを覚え、

それをコピーしてそっくり真似をして笑わせたり、楽しませたりしました。

そうやって、やっと正常な子という事で鉄格子の病棟から脱出する事が出来たのです



その後、さとるは学校を卒業すると、

水商売やディーラー、スタジオの音響などの仕事の傍らドラムの腕をあげ、

それまでの名前、学(さとる)を「ガク」と読むようにし、

ガクト(GACKT)として、MALICE MIZERへの加入を決め上京。



その後の活躍は、皆さんのよく知るところかと思います。


ガクトさんは、ソロデビューした26歳の頃、

成功する為に、一大決心をします。


「一番好きなことをやめよう。」

それまで大好きだった米を食べるのを止めたのです。

米は死ぬときまでなるべく食べない様にしよう。

「人生最後は、米を食べて死にたい。」


もしかしたら、ガクトさんの成功も、

そんな引き換え条件も大きな力となっているのかもしれません。





臨死体験をされた方は、他にも、

■6チャンの「ひるおび!」にレギュラー出演されている八代英輝さん。

 弁護士であり、元札幌地方裁判所判事補(裁判官)。

八代英輝さんは、心臓カテーテル手術をした時に、

枕元にあった心電図がピーっという音と共に一直線になり、

数分間心臓が停止したことがあるそうです。

心電図が一直線に時に、八代さんは視界が一気に暗くなり、

体外離脱をして、手術室の隅から自分の体を眺めていました。

 

そして、三途の川とお花畑が見えたそうです。

「お花畑の向こうに川があって、その向こうで人が受付していて道案内をしていて、

 戻らなきゃって思った。」って助かったそうです。




松村邦洋さんは、ビートたけしさんの物まねで有名になりましたが、



2009年3月に東京マラソンに出場した時に、途中で倒れて心肺停止となりました。

倒れている時に、三途の川を渡りかけたという臨死体験をしました。

三途の川を目の前にした時、

2008年に急逝した亡くなった大親友のウガンダさんが夢の中に出てきて、

「こっちの川じゃなくて、そっちを通れよ」
と言われて、

その通りにしたら、三途の川が神田川につながっていて、目が覚めて助かったそうです。


加山雄三さんは、

19歳の時にスキー場で風邪をひきましたが、大会に出なくてはいけないため、

抗生物質の注射を打って、早く風邪を治そうとしました。

しかし、抗生物質のアレルギーがあったようで、

注射を打ってすぐに心肺停止となってしまいました。

 

この時、加山雄三さんは自分が暗闇にいて、

小さな光が見えていたとのことです。

そして、その光が大きくなって、お花畑にいるように感じたそうです。
 

母親は数珠を思い出し、加山雄三さんの首に数珠を首をかけたら、

体が温かくなって、息を吹き返し蘇生することができたといいます。
 
「体が温かくなって、ボーッとして人が見えてきて、

 

 みんなが『心臓動いた!』って騒いで。

お袋ワンワン泣きながらわめいているのもよくわかった」と、

蘇生直後の様子も鮮明に覚えていると明かしていました。





END


参考:GACKT 著書『自白』~幼少期(子供時代)の臨死体験と隔離病棟生活~