●赤字でも、お客が喜ぶなら、それが私の宝です。

 

1936年、

ペンシルベニア州ピッツバーグの労働者階級の家庭に一人の男の子が生まれました。

名前をジェームズと言います。

 

父親は炭鉱夫や製鉄所労働者として働き、

家族はカトリックの信仰を持つ堅実な家庭でした。

幼少期から決して裕福ではない環境で育ちました。

 

ジェームズは医者になる夢を抱いていた。

しかし高校時代の成績は平凡で、周囲からはまず地域の短期大学に進むよう勧められました。

結局サンディエゴの短期大学(コミュニティカレッジ)に進学した彼は、

学費を稼ぐために小売店でアルバイトを始めます。

 

サンディエゴにあったディスカウントストア「FedMart」で

雑用係として働き始めました。

 

仕事は、グロサリーバッガー(袋詰め)としての入社でした。

レジ周りでの接客・手早い袋詰めで顧客対するのです。

 

アルバイトなので、色々な仕事をやらされました。

マットレスの荷下ろしや大型商品の運搬などの重い荷物を運ぶ肉体労働。

 

働くうちに小売業の面白さに目覚め彼はそのまま販売の道にのめり込んでいきます。

 

実は当時、FedMartの創業者ソル・プライス氏は、小売業の先駆者として知られる人物でした。

ジェームスは、たまたまこのディスカウントストアをアルバイト先に選んだのですが、それはとても幸運な事でした。

 

FedMartが南部のダラスで新店舗を開設しようとした際です。

店にトイレが1つしかないことについて、「白人用と黒人用の2つに分けるべきだ」

という業者からの提案がありました。当時の1960年代初頭は、まだまだ人種差別が根強く残っていた南部です。

しかし、このときプライス氏は毅然として「そんな必要はない」と拒絶しました。

 

人種による分け隔てをしないというこの姿勢は、若いジェームスにとって衝撃であり、ビジネスにおいて、誠実さとお客への公平さを貫く事の大切さを肌で感じる学びとなりました。

他にも、プライス氏から仕事を通して、

 

■法律を遵守すること

顧客に対して正直であること

従業員を大切にすること

在庫を無駄に抱えないこと

といった小売経営の原則を叩き込まれました。

 

ジェームスは社内で昇進を重ね、最終的には商品仕入れと店舗運営を統括する副社長にまで昇りつめていました。

 

ところが、ここで大きな転機が訪れます。

 

突然ジェームスが働いていたFedMartが外国資本(ドイツの小売企業)に買収されてしまったのです。

 

FedMartの経営者でありジェームスに仕事のいろはを教えてくれた恩師・ソル・プライス氏は首になり退社しました。

 

新しいドイツの経営のもとで古き良きFedMartの企業文化は揺らぎ始めます。

 

師を失ったジェームスはひとつの決断を迫られました。

 

安定した副社長の地位に留まるか、それとも辞めて新たな挑戦に踏み出すかです。

 

当時ジャームスは40代半ばで結婚して3人の子供がいました。

 

普通なら副社長までになった安定した地位を捨てるなんて事はしないでしょう。

下手したら家族5人が路頭に迷ってしまいかねません。

 

しかし、ジャームスは会社を辞めました。

 

会社を辞めたジェームスは、恩師プライス氏が新たに立ち上げていた会員制のお店「プライス・クラブ(Price Club)」に合流します。

しかし、新事業には困難がつきものです。事業者会員を対象にした当初のモデルは思ったほど成長せず、すぐに一般顧客を対象にする必要に迫られました。

 

この挑戦から得た学びは大きなものでした。

 

■ビジネスは市場のニーズに応じて柔軟に変えていく必要があるという事。

一般消費者にも会員資格を拡大することで事業の軌道に乗せられる。

■商品構成は低価格と高品質が最も大事な事。

 

それと同時に、上の事さえ実行していれば、

自分は一から事業を立ち上げられる」という自信にもなったのでした。

 

ジェームスは恩師の会社でも活躍し、「プライス・クラブ(Price Club)」でも副社長になっていました。

 

そんなある日、シアトル出身の弁護士ブロットマン氏から突然の電話を受けました。

 

ブロットマン氏はフランスで倉庫型店舗の成功例を目にし、このビジネスに可能性を感じてジェームスに協業を持ちかけてきたのです。

 

ジェームスは、今までの経験からオペレーション(現場運営)の専門家でした。

逆にブロットマン氏は現場経験は無いが、資金力・地元の小売ネットワーク・経営センス(弁護士で起業家)を持ち、ジェームスの現場運営力と補完関係を築ける人物でした。

 

ジェームスは、自分の理想の店を作りたい。という気持ちが起きます。

 

こうして、またしても安定した副社長の地位を捨てました

 

こうしてシアトルの倉庫を借り、最初の店が1983年9月にオープンしました。

そう、私が学生時代に居たシアトルの地に。

 

しかし、その門出は必ずしも順調ではありませんでした。

開店直後の顧客の反応は芳しくなく、人出はさっぱりでした。

 

それでも彼らは諦めず、地道に会員を増やし、サービスを改善させ、

1年後にはワシントン州内に次々と新店舗を開くまでに成長したのです。

 

この時、ジェームスは、

良いものを安く提供すれば必ずお客様は戻ってくる。

という信念が確信へと変わったのです。

 

それと同時に彼の理想の店を完成させました。

それは、

■飾りなど無い倉庫のような簡素な店舗に徹し、

■過剰なサービスや広告を一切省くことで経費を削減し、

■節約出来たその分価格を下げる。

■会員から年会費を徴収する代わりに、商品マージンはわずか14%に制限する。

通常の小売店が何十%もの利幅を取るところを、極限まで薄利にする戦略です。

 

この徹底した低価格路線により、徐々に口コミで評判が広がり、固定客が増えていきました。

 

成功して10年が経過した1993年、ジェームスはもう一つの大きな決断をします。

 

それは、当時やや苦戦していた恩師の会社プライスとの合弁です。

合併後の新会社は「プライスコストコ」と称し、両社の会員は相互に店舗を利用できるようになりました。

 

ちなみに、日本語でこそコストコという名称ですが、本家本元の米国では

COSTCOと綴りコスコと読みます。

 

 

10万種類以上の製品を販売するウォルマートとは違って、

コストコの製品数はわずか4000個以内です。

どんな商品にも手をだすのではなく、

お客に売る商品を厳選に選び、

販売製品一つ一つに「信頼」をかけ、不必要なマーケティングはしない。

年会費が収益の半分以上を占めるので、

安く売るからといって安物は売らない

という原則が守られています。

コストコでは、新しいサービスや商品を検討する前に必ず検討する事がある。

それは、その商品を売る事で、顧客の節約につながるのかという事。

 

ちなみに、コストコには、大きく2つ個人会員制がある。

■1つは、年会費5280円のゴールドスター会員

基本個人会員。家族カード1枚無料。

■もう1つは、年会費¥10,560円のエグゼクティブ会員

年間購入額の2%リワード(上限11万円)。

つまり5万円の買い物をすれば 1,000円分買い物無料権がもらえる。

だから、一緒に連れて行ったお友達の会計を含めて、年間25万円以上買う方は、

エグゼクティブ会員になった方が得になるという事になります。

 

 

■ただ、貴方が会員ではなくても、もし貴方の友人が会員なら、

会員1名につき大人(18歳以上)2名まで同伴入店可。

子ども(18歳未満)は人数制限なし。 会員が同行し会員カードで入場します。

会計は会員が行う必要あり。

 

コストコは、成長に成長を続け、世界の小売業界で7番目の売上高を誇ると報じられているコストコは、今や世界で最も注目されている企業である。

 

コストコではとにかく徹底した節約が行われている。

 

宣伝広告や店内の装飾などに経費を使わない。

買い物袋や包装紙などもありません。顧客は空になった商品のダンボール箱に買い物を入れて車まで運ぶのです。

 

しかしそんな節約方針をとっていても、人件費だけは節約をしない。

コストコ社員の平均給与の高さは全米小売業界では他社を抜いて第1位

給与だけではない、健康保険の内容も全米1位

だから、米国小売・卸売業の従業員離職率は約26.7%で従業員の確保や募集で苦しんでいるのに、コストコの従業員離職率はわずか8%なのである。

コストコでは、節約した分が顧客と従業員への利益として還元されているのである。

 

それに対して、労働者階級出身の最高経営責任者ジェームス・シネガルの年収は驚くほど低く抑えている。「社員の平均給料よりもとらせてもらっています。それだけあれば十分なのです。」と彼は言う。

私への給料よりもお客に安く良い物を買ってもらうために。

社長室も小さくて質素である。

 

時間を作っては、店内をみてまわり、誰とでも親しく接している。

最高経営責任者であることを偉ぶらない。

自然体の彼は、フロアで働く気のいい高齢の社員と間違えられることも度々あるという。客のカートの取り出しを手伝うなど、一般社員と同じ仕事を率先して行っている。客はまさか目の前にいるのがCEO(社長)だとは思ってもいないだろう。

コストコで買い物をする家族と店員

 

 

1999年、コストコは日本に進出する。(九州の博多)

進出にあたり、多くの小売業者に一緒にやれないかと声をかけたが、

■商品マージンはわずか14%に制限

■宣伝広告や店内の装飾などに経費を使わない。

などという経営方針に賛成してくれるような日本の会社は無かった。

 

しかたなく、ジェームス・シネガルは全てのリスクを背負って日本進出を実行した。

コストコは、世界中で事業展開をしている中、長男のマイク・シネガル氏を立ち上げ時から日本に送り込んでいる。日本市場への大きな期待感が氏の胸の内に秘められているのである。

 

 

 

 

 

最後に、

コストコと言えば、ホットドックであろう。

なにしろ、大きくて太いソーセージがとても美味しいのだ。

コストコのホットドッグ

実は、私もコストコに行く時があれば、必ずホットドックを買う。絶対。

このホットドックを食べる為だけにコストコに行きたいくらいである。

 

なにしろ、この巨大なホットドックは、

■中に入っている巨大ソーセージの長さが20cmを超える。太いし。

マスタードとケチャップかけ放題。

ピクルスと玉ねぎの細切れ入れ放題。私は玉ねぎを5人分は入れる。

飲み物が飲み放題。なのである。

ちなみに飲み物は、

▲炭酸系:ペプシコーラ、ペプシゼロ、マウンテンデュー。

▲果汁系:なっちゃんオレンジ(オレンジジュース)。

▲お茶系:烏龍茶

それでもって全部で、たった180円なのだ。

アメリカでもこのホットドックの人気はすさまじく、

コストコはMLB(メジャーリーグベースボール)全球場の合計販売数の約10倍

ものホットドッグを販売しているのだ。

 

 

以前、材料費が値上がり、1ドル50セントでは提供出来ないとなった事があった。

しかし、ジェームス・シネガル氏はその業者を切り、

自分の会社で作る事に切り替えたのである。

 

しかし、それでも値上げの波には限界を迎え、

当時ジェームス・シネガル氏の後を継いだCEOがホットドックの値上げを検討した。

それを聞いたジェームス・シネガル氏は、もしホットドックを値上げするなら、お前を首にすると言ったのである。

ジェームス・シネガル氏はホットドックの為だけに専用の工場を立ち上げて、

1ドル50セントという値段を守ったのだった。

 

ホットドッグは赤字でも、お客が喜ぶなら、それが私の宝です。

 

コストコは1985年以来、今でも、

ドリンク付きのホットドッグセットを1.50ドル(約180円)で販売し続けている。

 

END

 

 

 

参考:GOETHE コストコ創業者を直撃。売上高世界7位への秘密は徹底した節約!? | GOETHE

 

 

●共演者の言葉。

 

 

これは、ある駆け出しの役者さんの体験談です。

 

彼女は大学時代から役者志望で、芸能事務所に所属していたのですが、

 

まだ一度もオーディションの受かった事がなく、

 

夢の舞台に立った事はありませんでした。

 

その間、ずっと彼女のお母さんが活動を支えてくれていたそうです。

 

母子家庭なだけに、お母さんは昼夜を問わず働いてくれていたそうです。

 

皆さんは、きっと芸能事務所に入っているだけで、

 

仕事があれば、すぐに紹介してくれると思うかもしれませんが、

 

実際は、とても厳しい世界だと言います。

 

まず、宣材写真といって、テレビやあちこちのオーディションで、

あなたを売り込む為の写真をプロのカメラマンが撮るのですが、

これに20000円かかったそうです。

 

また、月謝/レッスン料(ボイトレ等)が約20000円

 

稽古場使用料が1日数千円かかり、

 

交通費・宿泊費は、全て実費。

 

事務所公演か共演の劇がある時は、チケット販売ノルマもあるそうで、

 

役者になる夢を断念して芸能事務所を辞める人も多いそうです。

 

それでも、将来役者になってお母さんを楽させてあげたいと、

 

親子二人三脚で頑張って来たのですが、2024年末、

 

お母さんが突然亡くなってしまったのです。

 

彼女は大学を辞めました。

 

アルバイトをしながら、あちこちのオーディションを受ける日々。

 

事務所推薦のオーディションは、もちろん全て受け、

 

外部ドラマ・映画のキャスティングオーディションも受けました。

 

しかし、実績が全く無い彼女は、当然落ちまくります。

 

そんなある日、テレビドラマの配役のオーディションに合格したのです。

 

脇役ですが、セリフもあったそうです。

 

無事テレビドラマが終わり、千秋楽の時、

 

近くのホテルの宴会場で撮影スタッフと役者・関係者で打ち上げがあったそうです。

 

ただ、彼女はドラマに出てはいましたが、端役だったので、打ち上げには呼ばれませんでした。

 

しかし、別の場所で行われたスタッフの二次会に呼ばれて打ち上げ慰労会が行われたそうです。

 

それでも、彼女にとっては、初めてのテレビドラマ、初めての打ち上げで、とても嬉しい気持ちでした。

 

「お母さん、私、初めてテレビドラマに出たんだよ。」そう心の中でお母さんに呼びかけました。

 

お母さん、喜んでいるかな?」そう心の中で思った時でした。

 

隣にいた音声さんが、急にこんな事を言ったのです。

 

きっと、お母さんも喜んでいるよ。

 

彼女が「えっ?」と振り向くと、

 

その音声さんは、「今、オレなんでそんな事を言ったのかな。酔ってるのかな。

と言ったそうです。

 

 

私は彼女から電話でその話を聞いた時、

 

それは、天国のお母さまが、その音声さんを通して言った言葉だと思いますよ。と言いました。

 

アメリカの霊能者の方いわく、

 

子供や孫が晴舞台で頑張った時など、必ず傍にいて見ていてくれて、

 

そばにいた人の口を通して、メッセージを子供に伝える事あると言います。

 

 

 

「母さんがいなくなっても、よく頑張ったね。

 

 偉かったよ。母さん嬉しい。」

 

END

 

●ライバルからの贈り物。

 

今日は、何を書こうかとニュースを見てみると、

 

4月から始まった自転車の取り締まりの話題が放送されていました。

 

取り締まりは嫌ですが、それも私たちが事故などを起こさない為です。

 

自転車の事故で思い出した事があります。

 

 

 

 

 

 

 

これは、霊能者の宜保愛子さんが講演会でお話しされたものです。

 

当時、宜保愛子さんは日本テレビの「あなたの知らない世界」という番組に

 

出演していましたが、その時に知り合った作家の新倉イワオさんと

 

食事に行った時の事です。

 

新倉さんの友人で宜保愛子さんの大ファンだというある有名石油会社の重役さんも

 

同席されていました。

 

その時は、重役さんの驕りという事で、楽しい食事会だったのですが、

 

それからしばらく経った時、その重役さんが大怪我をされたというのを、

 

番組収録後に新倉イワオさんから聞いたそうです。

 

重役さんが週末のお休みの日に、

 

ふと、たまには自転車にでも乗って散歩に行ってみるかと思い立ったそうです。

 

そして、今まで乗った事も無い奥さんの自転車を借りて散歩に出かけました。

 

ところが、急な坂を下りていた時でした。

 

石か何かにつまずいたのか急にハンドルを取られて、

 

坂道の垣根を飛び越えて崖下に落ちてしまったのだと言います。

 

重役さんは、酷い打撲と骨折で何か月も会社をお休みする事になったのです。

 

その後、やっと一人で歩けるようになり、会社にも出勤出来る様になったので、

 

快気祝いという事で、また新倉さんと宜保愛子さんと3人で食事会をしました。

 

その時、宜保愛子さんが重役さんに怪我の具合はどうですか?と聞くと、

 

「まだ体はキツイのですが、仕事の事が心配で、

 そろそろ職場に戻ろうと思っています。それにしても今まで怪我などの災難には

 遭った事など無かったのに、どうした事かと気になっています。」と重役さん。

 

 

すると、その時です。

 

宜保さんの目には、その重役さんの背後に、何かの植物の絵が現れはじめたのです。

 

そこで宜保さんは、重役さんに尋ねました。

 

「ねぇ、あなた、

 山茶花か椿の様な、小さくてピンク色の木を垣根に植えてなーい?

 その木の間から、凄く怖い顔をした人が睨んでいるのが見えるのよ。

 顔は面長で、アゴひげを生やしている人よ。」

 

それを聞いた重役さんが、

 

「それは間違いなく私の会社の同僚で、大嫌いな奴だ

 実は、大怪我をする少し前に、

 そいつから沢山山茶花をもらったんです。

 それを先生がおっしゃる通り、隣の家との境に目隠しとして植えたんですよ。」

 

その人は、重役さんの会社の同年齢のライバルの重役だと言います。

 

二人は昇進スピードも速く社内では、将来はどちらかが専務か副社長になるだろうと言われていました。

 

そんな関係ですから、普段から二人はそりが合わず、お互いに邪魔をしたり、

 

足の引っ張り合いをしあう関係だと言います。

 

 

そんな時、そのライバルの重役が引っ越す事になったそうです。

 

引っ越しの間際に、彼からこう言われたそうです。

 

「君、うちの庭に沢山の山茶花があるんだけど、いらないかい?

 どっちみち捨てる事になるから、良かったらもっていってくれよ。」

と言われたという。

 

しかし、それは親切心から出た言葉ではありませんでした。

 

なにしろ、その人は重役さんの事が憎くてしょうがなかったのです。

 

出来ることなら殺してやりたい。と思うほど憎い存在だったのです。

 

実は、前から重役さんが山茶花が大好きだという事も知っていました。

 

 

山茶花が大好きだった重役さんは、

 

アイツが俺に声をかけてくれるなんて、と少し意外な気がしたそうですが、

 

嫌いな奴からとはいえ、山茶花は大好きだったので、彼はいただく事にして、

 

さっそく隣の家との境に目隠しとして植えて喜んでいました。

 

 

しかし、それから間もなくでした。

 

自転車の大事故で長い間会社を休まなければならなくなったのは。

 

 

 

それを聞いた宜保愛子さんは、

 

「そんなの絶対ダメよ。

 すぐに他の木に植え替えなさい。」とアドバイスしました。

 

それを聞いた重役さんは、家に帰るとすぐに、

 

ライバルからもらった山茶花を全部会社とは関係が無い人にあげてしまいました。

 

それからは彼の怪我も見違えるほど回復に向かったそうです。

 

 

 

 

宜保愛子さんいわく、植木によっては念が入りやすいものがあって、

 

八つ手とか、紅葉といった木は念がこもりにくいので安心して植えられますが、

 

山茶花とか柊とかサボテンなどは、憎いという念が入りやすいので、

 

植物に限らず、

 

ライバルや貴方を良く思っていない人からはもらわない方が良いと言う。

 

END