●運を悪くする庭木をいっぱつで見抜く方法。


以前私は、庭も家相の内です。

と言った事がありますが、

庭に生えている木も、そういう事で家相に入ります。



私が家相の鑑定を依頼された時や、

リモートで写真で庭を診せてもらった時などは、

その家の庭に生えている木にも注目します。


そこで今日は、貴方にもすぐ出来る、

運を悪くする庭木をいっぱつで見抜く方法。の1つを教えたいと思います。


ちなみに、この方法は、

霊能者の宜保愛子さんが、

講演会で庭木について質問を受けた時に教えていたものです。



さて、ここで問題です。

下に、2本の庭木がある家があります。

 

写真の庭木は、問題無い庭木ですが、

この庭木が、もしどうなっていたら、

運を悪くする庭木になると思いますか?



少し考えてみてから、先をお読みください























運を悪くする庭木。

それは、その木の中心線が傾いている木です。



それも、家の方向に傾いている木です。

そういう木があると、その家に住む人の運勢を悪くすると、

宜保愛子さんは言います。


ただ、家からだいぶ離れていれば大丈夫です。

目安は、その木が倒れたら、家に当たるかです。



その木が倒れたら、家に当たる位置にあると、

家にプレッシャーがかかり、

 

それがその家に住む人にも悪影響を与えるので良く無いそうです。
 

ちなみに、倒れても家に損害が及ばない小さい木は大丈夫です。






最後に、

そんな木が庭にあるという場合の対処法ですが、

①■まず、屋根に触りそうな枝や、

  家の方向にある枝葉を切ってすっきりさせます。


②■それでも木が家に傾いているという場合は、伐採します。

③■伐採するのがもったいない場合や、長年家の主だった木や、

  切るのは可哀想という場合は、

  その木にしめ縄を巻いてあげて、

  どうか家に災いを及ぼさない様にお願いしますと手を合わせます。

  そして、根っこにお酒をコップ半杯をかけてあげます。

  その後は、年一回、根っこにお酒をコップ半杯をかけてあげます。


END

 

徳川家康という男。


誰も知っている天下人、戦国武将・徳川家康

日本を統一し、平和な世界・江戸260年を築いたその人です。

私は個人的に、日本人で最も成功した人ではないかと思っています。


そんな徳川家康とは、どんな人だったのでしょうか?

当時の徳川家康の性格をよく表している言葉があります。

日本の歴史で最も有名な武将と言えば、

織田信長・豊臣秀吉そして、徳川家康。

その代表的な3人の性格を、ホトトギスにちなんだ句で表したものがあります。

当時、夜に鳴く鳥として、ホトトギスは珍重されました。



特に正月、年初めに初めて聞くホトトギスの鳴き声を聞くのは縁起が良いされ、

誰よりも早くホトトギスの鳴き声を聞きたいと

 

夜どうし寝ずに待ったとも言われています。


①■織田信長



鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。

②■豊臣秀吉



鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス。

③■そして、徳川家康



鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス。



それぞれの武将の性格を表しています。

①■織田信長は、短気で気難しい性格として知られ、

天下統一に邪魔だった比叡山延暦寺を焼き討ちし、
延暦寺の伽藍を焼き払い、僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言い、
その死者は1,500人~4,000人と言われています。


②■豊臣秀吉は、どんな事も自分の才能で、実現させてやる。

という自信にあふれる人だった様子がうかがえますね。
昔、彼がまだ織田家の下僕として働いていた頃、
普通であれば下僕の身分では、信長と話すこともできません。
しかし、ある雪の降る夜、信長の草履が雪で冷たくなっていました。
そこで、自分のふところに草履を入れて温めていました。
信長がその草履を履いた時、なぜ草履が温かくなっていたのかを問いただすと、
秀吉は「自分が懐で温めておきました。」と言い、
信長はその心意気を気に入り草履頭にしたのでした。
つまり、自分の実力で上に上がっていったのが豊臣秀吉なのです。

③■それに対して、徳川家康の句は、

我慢強く、忍耐強く機会をうかがって待つ性格を表しています。



その3人の結果は、その後の歴史が証明しています。

①■短気だった織田信長は、天下を統一せず亡くなり、

②■才能があった豊臣秀吉は、わずか7年しか天下人になれず、

③■それに対して徳川家康は、260年もの天下平和の世を築いたのでした。


ちなみに、

松下電器(現:パナソニック)の創業者である松下幸之助は生前、

鳴かぬなら それもまた良し ホトトギス」と詠んだそうですよ。







私が今回、皆さんに一番知ってもらいたい徳川家康は、下です。


小田原征伐の時、徳川家康率いる軍勢は、ある山のにさしかかります。

その崖には、人がやっと通れる丸太の橋がかかっていました。

 

それは、歩いて渡るにしても、とても恐ろしい橋でした。

 



ただ、馬術にたける武将は、馬に乗りながら悠然と橋を渡った。



 

当時、馬の扱いなら、家康は「海道一の馬乗り」と言われるほど巧みでした。




さて、ここで問題です。

当時、馬術の名手と言われていた徳川家康は、多くの家来が見ている前で、

どうやって、その橋を渡ったと思いますか?

下からお選びください。


①■馬に乗り走って、橋をあっという間に渡った。

②■馬に乗ったまま、ゆっくりと橋を渡った。

③■馬を降りて、馬をひきながら歩いて渡った。

④■馬を降りて、誰かに馬をまかせて歩いて渡った。

⑤■馬を降りて、家来の背中におんぶしてもらって橋を渡った。

⑥■怖いので、橋を渡らなかった。


少し考えてみてから、先をお読みください






























正解は、

⑤■馬を降りて、家来の背中におんぶしてもらって橋を渡った。

 

橋を渡るのが上手い家来を呼び寄せ、その家来の背中に。

しかも、徳川家康は崖から30mも手前から馬を降りて、橋まで歩いています。

つまり、馬が何かの拍子で驚いて崖に突っ込む可能性をも排除しているのです。


その様子を見ていた多くの家来たちは、

あれが、海道一の乗りざまか」と、大笑いしたと言います。

しかし、当の徳川家康は、どこ吹く風。

家康にとって、一番大事なのは、橋を安全に渡る事。

その為なら、誰に笑われようと、

 

誰に中傷されようとも関係ないのです。




私を含め、多くの人は、

つい見栄を張って、周りに合わせて高いランチを食べたり、

必要も無い高い物を、見栄で買ってしまったりしますが、

誰に笑われようと、誰に中傷されようとも、

本当に自分が正しいと信じる道を選びたいものですね。

徳川家康さんの様に。







最後に、
  
徳川家康の我慢強く慎重な性質をよく表した名言があります。

皆さんが生きていく参考になれば、幸いです。


①■人の一生は、

  重き荷を負うて、遠き道を行くがごとし、

  急ぐべからず


②■不自由を常と思えば、

  不足なし


END


参考:画像は100分de名著 覇王の家 司馬遼太郎
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P202300355200000/index.html


 

●18年ぶりの「アレ」。


今日は何を書こうかと、ニュースを見て見ると、

やっぱり、これでしょう。阪神優勝

 

私は阪神ファンでは無いのですが、

18年ぶりで多くの阪神ファンの人々が喜んでいる姿を見ると、

なんとなく私も嬉しくなります。


さて、占い師として、今回の阪神優勝を見ていると、

スピリチュアル的に言って、良い方法を行っていました。

それが、「アレ」です。


つまり、優勝と言わずに「アレ」を使っていた事です。

 

この優勝と言わずに「アレ」を使うのは、

優勝の可能性がみえた頃から使い始めたのではなく、

岡田彰布監督(65)が就任してからすでに使い始めていた言葉だったといいます。

当時、今季のスローガンを「A.R.E.(エーアールイー)」にして、

選手たちが優勝を意識しすぎないように配慮した言葉でした。

つまり、「アレ」とは、「A.R.E.(エーアールイー)」の事でした。


実は、岡田監督が「アレ」を使い始めたのは、今回が最初ではありません。

2010年、岡田監督がオリックス・バファローズの監督だった時、

優勝しそうな勢いの時に、優勝!優勝!と言ってから、

急にチームの調子がおかしくなった
そうです。

そこで、その年の交流戦の時期、チーム内で優勝と言う言葉を禁句にして、

言うなら「アレ」にしました。

すると、その効果もあって、オリックスは交流戦で初優勝したのでした。

だから、岡田監督が「アレ」を使って成功したのは、もう実証済だった訳です。



スピリチュアル的・霊的に言っても、

あえて優勝と言う言葉を使わないのは良い事です。

勿論、選手たちにプレッシャーを与えないという意味でも良いのですが、

霊能者の方いわく、

自分が今持っている力以上の事を口にしていると、

それがおごりとなり、運勢が下降する事がある
といいます。

 

そして、優勝と言ってしまうと、

 

逆に「また出来ないんじゃないか」と思ってしまう

 

否定的な事も考えてしまう事があります。



また、優勝!優勝!と言って優勝したのと、

淡々とプレーして、結果優勝したのでは、違うといいます。

どういう事かと言うと、

優勝!優勝!と言って優勝した場合、

願いが叶って、そこで運を使い果たすという事があるそうです。

でも、優勝と言わず、淡々とプレーして、結果優勝した場合、

まだ運を使い果たしていない。となるそうです。

優勝と言わずに優勝した阪神。

 

超順調に勝ちを積み重ね、結果、

阪神は史上最速の優勝となった訳です。









今回の阪神優勝の裏に、もう1つ、

私が個人的に、いいなぁと感じた事があります。

それは、今年の7月18日。

阪神の優勝を願いながら亡くなった横田慎太郎選手の事です。

 

横田慎太郎選手は6年間阪神でプレーしていましたが、

現役中に脳腫瘍となり、引退病気療養中でした。

一時は脳腫瘍を克服して、奇跡のバックホームを演じるなど、

多くの脳腫瘍患者に勇気と希望を与え、

片目が見えなくなっても、リモートで野球少年たちに講義を行ったといいます。

 

岡田監督は入院中の横田慎太郎選手をお見舞いし、

「復活」と書いた色紙をあげ、元気になって戻って来いと励ましたといいます。


昨日優勝した阪神の最終回、

阪神の守護神・岩崎優が登場した時、

亡くなった横田慎太郎選手と同期入団だった岩崎優選手は、

かつて横田選手の登場曲であった「栄光の架橋」をかけて入場。

そこにいた多くの阪神ファンは、それを知ってか、

ほぼ全員で一緒に「栄光の架橋」を歌ったのである。

 

 

横田さんの母親 まなみさんは、

「曲を聞いたとたんに涙が出ました。

 ここまでやってもらえるとは思いもせず、ファンの皆さんも

 『栄光の架橋』を歌ってくださり、息子もすごく喜んでいる
と思います」



そして、優勝・胴上げ投手になった時、

岩崎優選手の手には、なんと同期の横田慎太郎選手の24番のユニホームが・・・



それをテレビで見ていた横田慎太郎選手のお母さんは、

一瞬、息子がユニフォームを着て舞い上がっているように見え、

 うれしかったです。


 息子もきっと、甲子園にいるのだろうなと思いました。



 選手たちは一番大きな舞台で勝つために一生懸命やってこられた中で、

 息子のことも思ってくださり、ユニフォームという形で優勝の瞬間、

 輪の中に入らせてもらったことは本当に感謝しかありません。

 息子がすばらしい方たちに囲まれて野球をやっていたんだと改めて思いました」


岩崎優投手は優勝後の記者会見で

同期入団の横田慎太郎さんが登場曲として使っていた

ゆずの「栄光の架橋」でマウンドに上がった理由を聞かれ

「亡くなられたあと横田さんの分も背負って戦うと決めていたので、

 そういう思いでマウンドに上がりました」

と目に涙を浮かべながら話した。




阪神・優勝おめでとうございます。

END

 

参考:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR9F41Y9R9FOXIE008.html
南日本新聞 https://373news.com/_news/photo.php?storyid=161353&mediaid=1&topicid=177&page=2