●殺人マシーン
このお話は、昨日のブログ(●国家機密を知ってしまう)の続きです。
従って、昨日のブログ(https://ameblo.jp/hirosu/entry-12417014687.html)
を先にお読みください。
そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ]
占い師や霊能者が国家機密を知ってしまう事はあります。
なぜなら、相談者の方は多種多様な仕事についている方であり、
ある時は、大企業のOLさんだったり、有名人の奥さんだったり、企業の社長さんだったりします。
私はありませんが、もし相談者が国の重要人物だったりすると、鑑定する過程で、
国家機密を知ってしまう事すらある訳です。
実は、私が知りあったアメリカの霊能者の方が、ひとりの女性の相談にのっている過程で、
アメリカの国家機密を知ってしまった事がありました。
ある時、霊能者の所にひとりの女性が相談に来たそうです。
彼女の父親は、1年前に亡くなったそうですが、
その翌月から、家で不思議な現象が起きるのだそうです。
例えば、部屋に飾ってあった写真たてが、風も無いのに急に倒れたり、
勝手に電気が点いたり消えたりして、新しい電球に変えてもそれは起きると言う。
彼女は、それらの現象が、亡くなった父親の霊がやっているのでは、と感じると言うのです。
なぜなら、倒れる写真は決まって亡くなったお父さんの写真なのだそうです。
それに真夜中に、生前父親が使っていた書斎から音がする事があるのだという。
「父は何か言いたい事があるんじゃないでしょうか。
父は何か、私達に言い残した事があるんじゃないでしょうか。」
それを知りたくて、彼女は遠くからわざわざ訪ねて来たのでした。
さっそく霊視が始まった。
しばらくすると、彼女の父親の霊が現れたという。
しかし、その顔は苦悩に満ちていて、笑顔一つ無い疲れ果てた霊の姿だった。
そして、静かにこう繰り返して言うのだそうだ。
「私は、医者としてあるまじき行為をしてしまった。
いや、人間として、あるまじき行為をしてしまった。」
ただ、それを繰り返して言うのだそうだ。
そこで、霊能者が彼女に、
「亡くなったお父様は、お医者様だったのですね。
何か、仕事上、やってはいけない行為とかして悩まれていた事はありませんか?」
すると、彼女は亡くなった父親が抱えていた悩みの一端を話してくれたのである。
それは、生前父親が家族だけに明かした壮絶な体験談だった。
そして、当時、それはアメリカの国家機密とも思われた。
すみません、
ここからは、残酷な表現や画像が含まれます。
お子様や、そういうモノを見たくないという方は、ここから先は読まないで下さいね。
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彼女は、「やっぱりそうですか。」と言ってから、
「父は、亡くなるまで自分を責めていました。
亡くなった後も、自分を責め続けているのですね。」
「生前、父はとても優秀な医師でした。
それが、あのベトナム戦争に行ってから変わってしまったんです。」
1967年、彼女の父親は、祖国アメリカの為になればと思い、
1人でも怪我人を助ける事が出来ればと、
ベトナム行を志願したという。任期は1年だったそうだ。
アメリカがベトナム戦争に本格的に参入した1965年当時は、
戦争はすぐに終結すると思っていました。
まさかこんな泥沼に引き込まれるとは、政府も国民も思っていなかったのです。
大した武器も持っていない北ベトナム軍は、ゲリラ戦が精一杯だろう。
北ベトナム軍はすぐに白旗をあげて、南ベトナムの勝利になるだろう。と。
しかし、この時アメリカは知らなかったのだ。
丁度その時、ソ連が北ベトナムを支援し始めたのである。
軍事顧問団をハノイの送り、ソ連から最新式の戦闘機や戦車、それに対戦車砲などの武器を、
北ベトナム軍に供与し始めたのである。
そして、それを見た中国もソ連に遅れをとってはいけないと、秘密裏に、
中国人民解放軍の軍事顧問団の派遣をおこなったのだった。
つまり、アメリカの敵は弱小北ベトナム軍では無く、ソ連と中国となっていたのだ。
そんなすぐに終わると思われていたベトナム戦争が、
好転する事無く、ずるずると2年が経とうとしていた1967年、
彼女の父親は、軍医として、ベトナム戦争に出兵したのだった。
そして、歴史上の事件が起きる。
1968年1月30日に起きた、テト攻勢である。
テトとは、ベトナムの旧正月の事言う。
旧正月であるテトの期間は、南ベトナム軍も北ベトナム軍も、
休戦期間として戦わないというのが、暗黙の慣例だった。
しかし、この日を狙って北ベトナム軍は、南ベトナム全土のあちこちで、
ゲリラ攻撃を一斉に起こしたのである。
結果から言うと、北ベトナム軍の惨敗だった。
なにしろ、北ベトナム軍は4万人の勢力を失ったのに対して、
南ベトナム軍は1万人程度の勢力を失ったに留まった。
しかし、心理的には北ベトナム軍のテト攻勢は、大成功だったのだ。
なにしろ、一瞬ではあったが、南ベトナムにあったアメリカ大使館が、
北ベトナム軍に占領されたのである。
その時、アメリカの特命全権大使は、間一髪の所で難を逃れたが、
アメリカ大使館が占領されたというニュースは全世界を駆け巡り、
もうじき戦争は終わると思っていたアメリカ国民に衝撃を与えたのである。
この瞬間から、アメリカ国民の反戦運動が激しさを増したの言うまでも無い。
これには、大統領をはじめ軍部は焦りを感じていた。
アメリカ軍の敵は、北ベトナム兵士だけでは無かった。
敵が隠れる事が出来る密林のジャングルも敵だった。
密林のジャングルを利用したゲリラ戦に苦戦していたのである。
そこで、思いついたのが、ジャングルの密林を無くしてしまえばいいと、
前年から枯葉剤作戦を行う事にしたのである。
空から猛毒のダイオキシン等の薬剤を飛行機から散布して、
密林に生えている木々を一気に枯らせてしまおうという作戦である。
1969年まで行われたこの作戦は、結果的にベトナムの森林の20%を枯れさせたという。
しかし、猛毒のダイオキシンを浴びた無関係の住民や兵士達に、多くのガン患者や
奇形児出産が発生した。1つの体に2つ顔があるベトちゃん・ドクちゃんが誕生したり、
眼球が飛び出た子や目が無い胎児や、脳の無い胎児などが生まれ、
現在も15万人以上の人が、この無差別枯葉剤散布に苦しんでいる。
そして、このベトナム戦争に参加した彼女の父親も、この理不尽な作戦に無縁では無かったのだ。
軍医とて、上官の命令は絶対だった。
当初は、怪我人を助けるという本来の医者としての務めに従事したのだが、
戦況が厳しくなるにつれ、本来の目的が失われ、
殺される前に相手を殺す。という事ばかり考える様になったという。
戦場で怪我して、助けを求めてテントにやってくる兵士にモルヒネを打って、
またすぐに戦場に送り出した。
24時間寝ないでも偵察業務を続行してもらう為に、元気が出る薬として、
アンフェタミンやデキセドリンを飲む様に常時持たせた。
それだけでは無かったという。
上官の命令で、医者の彼でも分からない得体のしれない薬を、兵士に与える事もあったという。
そういう時は、兵士に分からない様に、こっそり夕食に混入させた。
上官と医師は、先に薬の入っていない夕食を食べ、その後に混ぜたと言う。
その時、料理担当兵には、ビタミン剤だと言って誤魔化したが、
やがて、料理担当兵もそれが薄々ビタミン剤では無いと気付いたらしく、
何も言わなかったが、料理担当兵もみんなと夕食を食べなくなったという。
薬を入れる前に、味見と称して、夕食をとっていた。
なにしろ、ビタミン剤なら上官や医師がそれを入れる前に食べるのは不自然だったのだ。
戦場は、さながら人体実験場だった。
人を平気で殺しても罪悪感を感じない薬や、怪我をしても戦いつづける肉体にする薬、
そして薬を飲んだ兵士は平気で捕まえた捕虜を虐待したという。
やがて軍医の仕事は、いかに兵士達を有能な殺人マシーンにしていくかに傾いて行ったのである。
実は、こういう事例は今に始まった事では無かった。
先の第二次世界大戦では、兵士に薬を盛るのは常識になっていたのである。
彼女が父親に生前聞いた話に寄ると、
第二次世界大戦中、アメリカ軍は亡くなったドイツ軍の兵士を解剖したという。
すると、ドイツ軍兵士達はみなペルビチンなどの薬漬けだったと言うのだ。
誇りある強いゲルマン民族ではなく、ただの薬漬けの今で言うドーピング兵士だったのである。
しかし、密かに当時味方だったソ連の兵士の死体や、イギリス空軍の兵士の死体も、
こっそり解剖して調べると、ソ連の兵士もイギリスの兵士も薬物反応が出たという。
つまり、薬物化された殺人マシーン同士が戦っていたのである。
彼女の父親が生前家族に話したのはここまでだった。
しかし、亡くなった父親が本当に心に傷を負っていた部分は、
家族にも話していない所にあったのである。
霊能者が、父親の霊に「それが貴方自身を責めている事ですか?」と問うと、
いきなり、古いテレビ画面の様なイメージが伝わって来たと言う。
それは、彼女の父親が戦場で見た、悪魔の所業だった。
彼は上官に呼び出され、戦闘に備えて兵士達にある薬を投与する事を命令されている。
それはヘロイン、もしくはヘロインに似た薬。
薬を投与された兵士達の目の色が変わった。
より攻撃的になり、人を殺しても平気な殺人マシーンの様になった。
その日は軍医だった彼も作戦に加わって最前線に赴いた。
やがて、ある村に到着する部隊。
村には、お年寄りや女、子供が普通に生活している。
すると兵士達は、無差別に無抵抗な住民たちを撃ちはじめた。
逃げまどう女・子供達。
そこで映像は、消えたという。
当時、歴史的な大事件が起きた頃だった。
ソンミ村虐殺事件というものが1968年3月16日に起きている。
霊能者が見た映像がそれだったのか、それとも他の村で起きた事だったのかは分からない。
ただ、南ベトナム・クアンガイ省ソン・ティン県にあるソンミ村のミライ集落で、
アメリカ軍は無抵抗の村民504人を無差別射撃などで虐殺した。
ターゲットは老人を含む男149人、妊婦を含む女183人、乳幼児を含む子供173人。
その内、奇跡的に助かったのは、わずか3人だった。
人を助けるはずの医者が、無抵抗の住民を殺す手助けをしてしまった。
人間として、あるまじき行為に加担してしまった。
彼女の父親は帰国後も、死ぬまで自分を責め続け後悔したのだった。
そして、死後も。
霊能者は、そんな父親の霊を説得して成仏させたという。
そんなアメリカが、この戦争に勝つハズも無く、
1975年 、サイゴンが陥落する。
アメリカが威信をかけて守ろうとした南ベトナムは破れた。
アメリカ史上、初めての敗戦となった。
戦争が終わっても、薬を投与された兵士達の苦難は続いた。
アメリカ軍兵士全体の15%以上がヘロイン中毒になり、
多くの兵士が今も薬の副作用でPTSDになったり、自殺している。
殺人マシーンの成れの果てである。
ベトナム戦争時のアメリカ軍人の死者数、 約5万8千人
ベトナム戦争後のアメリカ軍人の自殺者 約12万人。
END




