●死ぬ直前に残した、最後の言葉。
今日は何を書こうかと、テレビを見ていると、
日本が、今行われているアジア大会のバドミントンで、
女子団体が、今まで5連覇中の絶対王者中国を破り、48年ぶりの金メダルに輝いたという。
多分これで、日本は世界最強のバドミントン王国になった感がある。凄いの一言だ。
そんなバドミントンで思い出した事がああります。
よく有名人が亡くなると、
その人が語った、最後の言葉というのが話題になったりします。
(ちなみに、海老蔵さんの奥さん小林麻央さんの最後の言葉もブログに書いた事もありました。
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12286374068.html)
例えば、漫画家の手塚治虫さんが亡くなった時、
その最後の言葉は、
「となりの部屋へ行くんだ。仕事をする。仕事をさせてくれ。」だったと言う。
仕事人間だった手塚先生ならではの最後の言葉だったと言えますね。
また、耳が聞こえなかったというベートーヴェンの最後の言葉は、
「天国では、耳が聞こえるようになっていて欲しいな。」とされる。
そして、フランス国王ルイ十六世の妻で、1793年フランス革命で、
38歳の若さでギロチン台の露と消えたマリー・アントワネットの最後の言葉を調べると、
ギロチン台に上った時に姿勢を崩して、死刑執行官の足を踏んだ時に、
「もし、ごめんなさいね。
ワザとしたのではありませんよ。」だと言う。(これが通説となっている。)
マリー・アントワネットは、最後まで冷静でその気品と品格を保っていた。
しかし、最後の言葉が自分の首をはねる死刑執行人への謝りの言葉だったというのは悲しい。
そこで、もっと調べて見ると、
最後の最後、首をはねられる瞬間に、
マリー・アントワネットが囁いた言葉を耳にしたという人の証言があった。
その人の証言によると、マリー・アントワネットは、ギロチン台に横たわって、
目を閉じると、静かにこうつぶやいたという。
「さようなら、我が子供達。
私はあなた方のお父様の所に行きます。」
マリー・アントワネットの最後の言葉としては、この方がいいですね。
当時は周り中が全部敵でしたから、
こういう美しい最後の言葉はかき消されてしまったのかもしれません。
さて、そんな最後の言葉ですが、
最後が何日も昏睡状態で、そのまま眠ったまま亡くなってしまい、
最後の言葉らしきものは、無いまま亡くなったという方は多いかと思います。
そういう場合、遺族の方は、
「うちの子は最後の言葉も残さず逝ってしまいました。」と悲しみますが、
よく話を聞いてみると、亡くなる前に最後の言葉を残している場合があるのです。
本人の口から出て言葉では無いので、最後の言葉として扱われない事が多いのですが、
私は、「それ、貴方のご主人の最後の言葉ですよ。」と指摘する事があります。
今日は、そんな例を2つ取り上げてみましょう。
これは、高校生の娘さんを交通事故で亡くされたお母さんから聞いた話です。
娘さんは、交通事故に遭ってから救急車で病院に担ぎ込まれたのですが、
ずっと意識を取り戻す事無く、それから1週間後に亡くなられたという事でした。
結局、一度も目を覚まさず亡くなったので、最後の言葉さえ交わせなかったと、
お母さまは悲しんでいられました。
私もどう慰めてあげたらいいのか、分からない状況でした。
ところが、娘さんが亡くなった当時の朝、
不思議な出来事があったと言うのです。
それは朝、ご主人との朝食を終え、台所で皿洗いをしていた時だったといいます。
ふと、脳裏に娘さんらしき声が聞こえたといいます。
「かあさん、
ラケットとシャトルを持っていきたいの。」
その時は、何の事だか訳が分からなかったし、空耳かとも思ったそうです。
でも、それから2時間後の事でした。
急に病院から電話があり、娘さんの容体が急変したので来て下さい。との事。
結局、娘さんはその日に亡くなったそうです。
後日、奥さんはご主人に、その日の朝の声の事を話すと、ご主人は、
「もしかしたら、棺にバドミントンのラケットとシャトルを入れてくれ。
と言う意味なんじゃないか!」といい、
棺に娘さんが愛用していたバドミントンのラケットとシャトルを入れたといいます。
娘さんはクラブでバドミントンをしていて、大会にも出るほど強かったそうです。
私は、お母さんに、
「娘さん、最後までお母様に甘えていて、お願いしたんですね。
そういう前向きな最後の言葉を残す人は、成仏しやすいんですよ。」と言いました。
亡くなった後も、あの世でバドミントンを練習するんだとか、
マリー・アントワネットの様に、先に亡くなった夫に会いに行くという様な最後の言葉を残す人は、
得てして成仏しやすいと言えるのである。
最後に、こんな最後の言葉を残した男性がいました。
これは、5歳の男の子を持つというお母さんから聞いた話です。
当時、お義父さんがガンで入院されて、その付き添いでお義母さんが、
毎日病院に世話に行っていました。
彼女も3日に一回は息子さんを連れて、お見舞いに行っていたそうです。
ところが、最後の方は10日も昏睡状態でずっと目を覚まさず亡くなってしまったといいます。
つまり、最後の言葉を聞くことも出来ず、昏睡状態のまま亡くなられたという事でした。
しかし、話を聞くと、
お義父さまが亡くなられる前日に、不思議な事があったという。
それは、お義父さまが亡くなる前日の夕方、
5歳の息子さんが、急にお母さんの所にやってきて、変な事を言うのだという。
「お祖父ちゃんがね。
梅を欲しいみたいだよ。 」
お母さんが、「なんで? 」と聞くと、息子さんは、
「だって、お祖父ちゃんが来て、
梅をありがとう。って言うの。」
それを聞いた時、お母さんは、オカシイわね。と思ったという。
なぜなら、お義父さんが、そんな酸っぱい物を欲しがった事は無いし、
特に梅干しが好きだった様な事も記憶に無かったからである。
そんな翌日、お義父さんは昏睡状態のまま亡くなられたのである。
亡くなった後、彼女は息子がこんな変な事を言ったのよ。とご主人に話した。
すると、ご主人は、その話を聞いた途端に、何か気が付いた様に、
「あっ!」と声をあげたという。
そして、その事をそれまでずっと看病していたお義母さんに伝えると、
お義母さんは、その言葉を聞いて涙を流した。
実は、亡くなったお義父さんは、昔ながらの亭主関白で、
お義母さんと結婚して60数年、一度も感謝の言葉を言った事が無かったという。
食事も出された物をただ黙々と食べ、美味しかったという一言さえも言った事も無い。
毎日洗濯や衣服を着せたり、靴を磨いたり、掃除をしても、
「ありがとう」の一言も無い夫婦生活だった。
そんなお義父さんは、長い看病生活の中でも、
付き添って毎日世話に来てくれたお義母さんに、一言も労いの言葉をかける事無く、
ついに何も言わず、昏睡状態のまま逝ってしまったのだった。
では、なんで、
息子さんの言葉を聞いて、お義母さんは涙を流したのか。
それは、最後の最後で、60年連れ添った奥さんに残した言葉だったからである。
実は、お義母さんの名前は、ウメだったのだ。
「ウメよ。
ありがとう。 」
END
参照:歴史は美女がつくる美女研究ブログhttp://zepcy.com/2016/09/12/post-1477/#i-3