●ある乳ガン患者の死

 

 


私は時々、お金を取らないで占いをする事がある。

 

 

例えば、大地震で被災された方に限り手紙での相談は無料として占った事もあった。
(●ある死体の疑問 https://ameblo.jp/hirosu/entry-11148925355.html

 

 

でも、これは私が自発的に始めた事ではない。

 

 

実は、アメリカで知り合った霊能者の方が、

 

 

見るからに貧しいと思われる方が依頼に来た時には、安くするか、

 

 

ある時は、無料にしていたりしたのをみて、それに感化されたからである。

 

 

 


今日は、その一例を思い出して書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 


ある時、霊能者の所に、47歳のジュリアという女性がやってきました。

 

 

彼女は母親の声を聞きたいとやってきたのです。

 

 


しかし、霊能者の方が、彼女に、

 

 

お母様のお名前は?」と聞くと、

 

 

 

分かりません。」と言う。

 

 


自分の母親の名前が分からないとは、どういう事だ。

 

と思い、事情を聞くと、

 

 

 

 

彼女は、これまでの自分の生い立ちを話し始めた。

 

 

 


それは今から46年前、

 

 

まだ彼女が1歳にも満たない時に、

 

 

孤児院に預けられたという。

 

 

それでも何も知らなかった小さい頃は、周りに沢山の子供やシスター達が居て、

 

 

とても楽しかったという。

 

 

しかし、幼稚園に行く様になると、他の子には父親や母親が居るのに、

 

 

自分だけシスターのお婆さんが迎えに来るのを友人に指摘され、

 

 

それからは、捨て子とあだ名を付けられイジメられたという。

 

 

「母さんは、なんで私を捨てたの?」

 

「どうして、私をいらなくなったの?」

 

 

そんな疑問を抱きながら、暗い幼少期を送ったという。

 

 

この頃は、母親の事を怨んだりもしたといい、

 

 

母親が付けたジュリアという名前さえ嫌いだったという。

 

 

 

その後、孤児院を出て独り立ち。

 

 

結婚するも、離婚。

 

 

39歳の時に乳がんになった。

 

 

パートタイマーとして働いている時で、高額な医療費が払えず、

 

 

その時ばかりは、昔の孤児院のシスターに泣きついたという。

 

 

乳がんは幸い初期だったので、手術した。

 

 

その時、ふと母親の事が頭をよぎったという。

 

 

もしかしたら、母親もお金が無くて私を育てられなかったのかも・・・と。

 

 

その時初めて、彼女は自分の気持ちをシスターに話したという。

 

 

すると、シスターがこんな事を言ってくれたのである。

 

 

「貴方ももう大人になったから言うけど、

 

 もし、貴方が母親に会いたいのであれば、連絡をとってみる?」

 

 

シスターいわく、彼女が孤児院に預けらる過程で、

 

 

間にエージェント(仲介業者)が入っているというのだ。

 

 

つまり、当時の産みの親である母親が彼女を孤児院に捨てていったのではなく、

 

 

母親はエージェントに相談して、エージェントの方が彼女を孤児院に連れて来たという。

 

 

だから、エージェントの方は産みの母親の連絡先を知っているというのだ。

 

 

 

 


彼女はそれを聞いて、3日間悩んだが、

 

 

シスターにお願いして、エージェントに連絡して母親に会いたいとお願いした。

 

 

 


彼女は、今まで見た事も無かった母親に会えると思い、

 

 

やや複雑な気持ちではあったが、期待と不安で、胸が一杯になったという。

 

 

 


しかし、事はそんなにスムーズにはいかなった。

 

 

 

 

そこに法律の壁が立ちふさがったのである。

 

 

今で言う個人情報保護法である。

 

 

 

エージェントは、彼女の産みの母親の住所は知っていても、

 

 

それをむやみに彼女が子供だとしても教えられないと言うのだ。

 

 

 


エージェントが出来たのは、産みの母親に手紙を書いて、

 

 

昔、預けた子供さんが、貴方に会いたいと言っていますが、会ってくれますか?

 

 

と手紙を書く事だけだったのである。

 

 

 

 


それでも彼女はいいと言い、エージェントに手紙を出してもらう事をお願いした。

 

 

 

 

 


しかし、手紙の返事は、待てど暮らせど来なかったという。

 

 

結局4回出したが、無しのつぶてだったという。

 

 

エージェントの方の話では、了解の返事も断りの返事も無いという場合、

 

 

もう亡くなられているケースが多いとの事だった。

 

 

 

 


彼女も、それを聞いてあきらめたという。

 

 

 


しかし、先週の事だった。

 

 

 

医者に久しぶりの定期健診に行くと、

 

乳がんの再発と診断されたのである。

 

 

ショックだった。

 

 

それと同時に頭に浮かんだのが、母親の事だったという。

 

 

もし、これで死んでしまうのあれば、

 

 

最後に一目だけ。

 

一目だけでも母親に会いたい。

 

 

死んでいるなら、声だけでも聞きたい。

 

 

そう思って、彼女は霊能者の所に来たのだった。

 

 

 

 

さっそく霊能者の方は、

 

 

名前が分からないという彼女の亡き母に精神を集中する為に冥想してから、霊視に入った。

 

 


しかし、10分経っても、彼女の母親らしき霊は出てこなかった。

 

 

霊能者の方は、彼女に、

 

 

「もしかしたら、お母様、生きてらっしゃるんじゃない?」と言ったのだ。

 

 

ジュリアさんが、「でも、いくら手紙を書いても返事がないんです。」と言うと、

 

 

 


霊能者の方が、

 

 

「もう一度、手紙を書いてみない?

 

 ただし、今回は手紙の中に貴方の写真と、何かハンカチでもいいから、持ち物を1つ入れ、

 

 貴方が乳ガンになって最後に一度だけでも会いたいと書いてみて。」

 

 

とアドバイスしたのである。

 

 

霊能者の方いわく、

 

 

「誰からか分からないけど、

 

 大丈夫、大丈夫、って言う声が聞こえるのよね。」という。

 

 


この時、霊能者の方は、ジュリアさんから鑑定料を受け取らなかったのである。

 

 


その後、ジュリアさんは、霊能者に言われた通り、

 

 

もう一度母親宛てに、自分の写真とハンカチを入れて送ったという。

 

 

 

 


でも、1ヵ月経っても、2ヵ月経っても、

 

 

やはり、母親からの連絡は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、彼女の身に不思議な事が・・・・

 

 

 

 

 

再発した乳がんが、検査する度に、段々と小さくなっていったのだという。

 

 


そして、3ヶ月が過ぎる頃になると、乳がんが消えてしまったのだ

 

 


やがて、彼女が働ける位まで回復した半年後の事だった。

 

 

 

意外な理由で、母親の身元が分かったという。

 

 


それはある日、家に帰ると、

 

 

エージェントの方から手紙が来ていて、

 

 

母親が亡くなったという。

 

 

そして、生命保険の受取人が、ジュリアさんになっているとの事だった。

 

 

 


皮肉な事ではあるが、

 

 

母親が亡くなる事で、彼女は母親の名前を始めて知ったのだった。

 

 


既に葬式は終わっていて、最後のお別れも出来なかったのだが、

 

 

ジュリアさんは、亡き母親が最後に居たというアパートに行ってみたという。

 

 

そして、母親を最後に看取ったという看護婦さんに会った時だった。

 

 

その看護婦さんから不思議な話を聞かされたのである。

 

 

 


看護婦さんいわく、

 

 

お母様は、重い腎臓病で入院さていたという。

 

 

他に悪い所は無かったのだが、腎臓移植の順番待ちは絶望的だったという。

 

 

もう少し早くお子さんが居ると分かっていればね。と言ったのだが、

 

 

同時にこんな不思議な話を聞かせてくれた。

 

 

それは、お母さんは腎臓病で亡くなられたのでは無いのだと言う。

 

 

お母様は最後は乳がんで亡くなられたというのだ。

 

 

それも亡くなる3ヶ月前から急速に悪化して、

 

 

あれよあれよという間に重い乳がんになったという。

 

 

それは偶然にも、ジュリアさんの乳がんが良くなり始めた時期と酷似していた。

 

 

 

 

霊能者いわく、

 

 

母親が最後に、子供の病気を自分が取り込んで身代わりになって、

 

 

天に一緒に持って行ってくれる事があるという。

 

 

だから、親が重い病気になった時、

 

 

それは本当は、愛する子供がなるべき病気を身代わりになっている事がよくあるそうである。

 

 

 

 

 


ジュリア、

 

 辛い思いをさせたね。

 

 母さん、今まで何にもしてやれなくて、

 

 こんな事しか出来なくて、ゴメンね。

 

 

 幸せになるんだよ。」

 

END