●生きててくれて、良かった。
このお話は、一昨日のブログ(●神社の前で吐いた祟り)の続きです。
従って、一昨日のブログ(https://ameblo.jp/hirosu/entry-12333005544.html)
を先にお読みください。
そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ]
豊美さんがパニック障害になったのは、翌年1月明けてからだったという。
それは休みで、彼女が自宅に居る時だった。普通に食事を取りテレビを見ていた時だったという。
急に呼吸がしにくくなり、息が出来ない感覚に陥った。
その時彼女は独り暮らしだったので、このまま呼吸が出来なくて死ぬかと思ったという。
幸い翌日も会社は休みだったので、医者に行って検査してもらった。すると、
異常はどこにも発見されなかったという。ところが安心して自宅に帰ってくつろいでいた時、
急に目まいして、それと同時に心臓が鼓動が激しくなり、息苦しくなったという。
発作は15分位で治まったのだが、彼女は不安になり、翌日違う病院に駆け込んだ。
異常は発見されなかったが、医者は、彼女に心療内科で診てもらう事を勧めたという。
そこで、すぐに心療内科で診てもらうと、パニック障害という診断が下されたのでした。
すぐに薬を処方されると、彼女のパニック障害は家に帰っても起きなくなった。
ところが、会社が始まり、2週間位が経ったある夜、彼女が布団に入って寝ていると、
急に心臓がバクバクしだし、息が苦しくなっていったという。
薬のお蔭で、だいぶ発作の頻度は低くなったというが、それでも、時々息苦しくなり、
狭い部屋やエレベーターに乗ると「逃げられない」とか、「誰からも助けてもらえない」
という恐怖に襲われて、急に息が苦しくなるという。
医者にその事を言うと、それは多分、広場恐怖の一種だと言われたという。
広場恐怖とは、以前パニックを起こした場所に行くと恐怖を感じたり、
助けてもらえない様な個室で一人とか、エレベーターで一人という状況になったり、
一人で乗り物に乗った時に発作が起きる現象だという。
そんな彼女は、パニック障害と診断が下されてから7ヶ月間、
ずっと薬を飲み続けているというのだが、それでも時々発作が起き、
広場恐怖までともなって来ているのに、不安を抱えていた。
しかし、私は医者では無いので、パニック障害にも詳しく無いし、
広場恐怖の事もよく分かりません。だから、そっち方面は医者に任せるとして、
私は違う可能性が有るのか、自分なりに探ってみる事にしました。
こういう場合、まずは豊美さんの病気の名前などは、一切忘れて、
今まで豊美さんの身に起きた現象だけを考えてみる事です。そうやって考えが場合、
■まず、今年の一月初め、彼女が自宅に居る時、
普通に食事を取りテレビを見ていた時に、急に呼吸がしにくくなり、
息が出来ない感覚に陥って、このまま呼吸が出来なくて死ぬかと思った。
■医者に行った後、自宅に帰ってくつろいでいた時、急に目まいして、
それと同時に心臓が鼓動が激しくなり、息苦しくなったという。発作は15分位。
■2週間位が経ったある夜、彼女が布団に入って寝ていると、
急に心臓がバクバクしだし、息が苦しくなった。
■発作の頻度は低くなったが、時々息苦しくなり、狭い部屋やエレベーターに乗ると
「逃げられない」「誰からも助けてもらえない」という恐怖に襲われて息が苦しくなる。
なぜか、豊美さんの症状で共通するのが、息苦しくなったという点だった。
彼女は今まで生きて来て、今年になるまでそういう事は無かったと言う。
はやり、去年の年末辺りに、何か豊美さんにあったのではないかと疑いたくなる。
そこで彼女に、「神社以外の出来事で、昨年11月~12月に何か、
息苦しいと思える様な出来事は有りませんでしたか?
もしくは、病気以外の事で、去年末から今ままで、何か、不思議な出来事や、
変わった出来事は起きませんでしたか? どんな変な現象でも、いいです。」
すると、彼女は、こんな話をしてくれたのである。
「他のパニック障害になられた方って、電車の中で急になったり、
仕事場でなったりしている人が多いのに、私は自宅で起きる事が多いんです。
ほぼ自宅で起きるって、なんか他の人と違う感じ。とは思いました。」
「実は・・・友人が保護した猫が、どうしても家で飼えなくなり、
私が代わりに、2年前から飼っているんですけど・・・去年までは、
可愛い可愛いと思っていたんですが、今年になってから、なぜか、猫の顔が怖い。
って感じる事が時々あるんです。勿論、気のせいだとは思うんですけど。」
「猫の顔が怖い?」 なんか、嫌な予感がした。
「猫の顔が怖い。」とはどういう事だろうか。
彼女の話の中で、それが一番気になった。
普通の方なら、見逃してしまうかもしれないが、
私は、彼女のパニック障害に、なんらかの関係がある様な気がした。
なぜなら、
パニック障害が始まったのが、今年の1月から。
そして、「猫の顔が怖い。」と感じ始めたのも今年の1月からだからである。
これは偶然じゃない。と感じた。
しかし、パニック障害と猫の顔が怖くのというのが、結びつかない。
仮に猫に霊が乗り移っていたとしても、別に彼女に危害を加えた訳では無い。
時々猫の顔が怖いと感じるだけだという。
そこで豊美さんに、
「昨年の11月~12月に何か、
猫に変わった事、起きませんでしたか?」と聞いてみた。
すると、彼女は少し考えてから、こう言ったのである。
「実は、去年の12月の中ごろ、どうやって開けたのか分からないのですが、
以前から飼っていたハムスターを、その猫が殺してしまったんです。」と言う。
ハムスターは、首を噛み切られていて、息絶えていたそうである。
私はその話を聞いて、ハムスターが「首を噛み切られていた」に注目した。
きっと亡くなる時は、息が出来なくて、最後は呼吸困難になって死んだのだろう。
これは、豊美さんに発症したというパニック障害の症状に似ているのである。
豊美さんの症状で共通するのが、息苦しくなったという点だった。
そして、その後に併発した広場恐怖の、狭い部屋やエレベーターに乗ると
「逃げられない」 「誰からも助けてもらえない」という恐怖も、
死んだハムスターと同じ状況ではないだろうか。
その事を豊美さんに言うと、彼女はこう反論した。
「でも、ハムスターを殺したのは、猫ですよね。
それなのに、なんで私がパニック障害になるんですか?」
ごもっともな質問だった。
実は私も、それについては上手く説明が出来ないのだ。
ハムスターの霊に聞く事も出来ないし、そもそもが私の仮説だ。
間違っているかもしれないし、断言は出来ない。
ただ、私は豊美さんに、アメリカで聞いた話をした。
それはある農場で、馬が死んだ。
どうやら、夜中にオオカミか野犬が集団で襲った様だった。
その時に動物の霊と話せるという霊能者が言ったのである。
「毎日、ボクは怖ったんだよ。
やつらがいつボクを襲って来るか、いつもいつも怖かったんだよ。
どうして、もっと警戒して守ってくれなかったの。」
と言って、亡くなった馬は、自分を殺したオオカミよりも飼い主を責めたという。
私をそれを思い出した時、
もしかしたら、死んだハムスターも普段から、怖がっていたのではないかと思ったのだ。
勿論、私の見当違いかもしれないし、間違っているかもしれない。
ただ、別にそんなにお金がかかる事じゃないし、
今まで飼っていたハムスターの為と思えば、その位やってあげてもいいと思いますよ。
と言うと、彼女も納得してやってみますと承諾してくれた。
私が彼女にアドバイスしたのは、
■まず、ハムスターを飼っていた籠がまだあるという事だったので、
そこに普段通りのエサをあげ、水をあげ、
そして、半分に折ったお線香を1ヵ月、そこに焚いてあげて、
ハムスターに謝ってあげる様に言った。
すると、今まで効かなかった薬が効き始めたのか、
ハムスターに謝り続けて2週間が経った頃からパニック発作が出なくなったという。
だからと言って、豊美さんがハムスターの霊障だったとまでは言わない。
ただ、パニック障害が何か他の原因で治りにくくなっている事はあるのかもしれない。
パニック障害は、誰にでも起こりえる病気だという。
芸能人の方々も多くこのパニック障害には悩まされた事がある様で、
今は元気に活躍している美容家のIKKOさんも、パニック障害になったという。
IKKOさんいわく、
私のパニック障害を救ってくれたのは、2匹の犬の癒しと、仕事仲間の理解と、
そして、自然だったんです。
何も考えないで、ただひたすら自然と向き合う時間がわたしを癒してくれました。
緑の多い公園をウォーキングするのも私に合った対処方でしたね。
ママスタジアムより(http://column.mamastar.jp/archives/category/ikko)
今もって、パニック障害の原因は完全には解明されていない。
最後に、こんな実話を紹介して終わりに致しましょう。
1981年、埼玉県蕨市に一人の男の子が生まれました。
両親は八百屋をやっていましたが、ある日、息子が学校に行く時、
やけに顔が暗いのに気がつきます。
実は、この時、学校でイジメられていたのでした。
きっかけは、小学校3年生の時でした。
学校で急にお腹が痛くなり、クラスメイトの前で下痢をしてしまったのです。
すると、その時から、みんなから、「うんこ」「うんこ」とあだ名で呼ばれて、
虐められる様になってしまったのです。
それ以来、小学校のみんなは彼を見ると、
「うんこ」か「原始人」と呼んでイジメたといいます。
運動もダメ、勉強も嫌いになりました。
家に帰って来て、マンガに逃げる引き籠りがちな日々。
やがて、彼はイジメの日々によりパニック障害になってしまいました。
他の人との社会生活に馴染めず、それは中学生になっても変わりませんでした。
精神安定剤を服用する毎日。
高校生になっても、パニック障害に悩まされ続けていました。
精神的に限界を感じて、不登校にもなりました。
ただ、救われたのは両親が音楽が好きで、家では常に音楽が流れているという家庭でした。
彼も音楽に興味を抱き、ギターを始めます。
そんな時に出会ったのが、ある歌でした。
それは、クレイジーキャッツの『だまって俺についてこい』という一曲。
その歌の歌詞の一部に
『そのうちなんとか、な~るだ~ろお~』
っと、あの声で歌われたときに、これを信じるてみよう。
「そのうち、なんとかなるだろう。」そう思ったら気が楽になったそうです。
後に彼は、この歌詞に救われたと、気楽に生きてみようと。
そして、こう思う事がパニック障害を克服出来たと語ります。
彼はイジメもあって、勉強が嫌いになっていたのもあり、
大学進学はしませんでした。音楽の道に進もう。
そんなある日、演劇の音楽の仕事を頼まれます。
その舞台を見て感動。役者にもなってみたいと夢を抱きます。
彼は音楽をやりながら、役者への道を模索しはじめます。
色々な劇団のオーディションを受けて、経験をつみました。
そして、やっとどちらも順調に行きそうだと思った時、
彼に悲劇がやってきます。
2012年の事でした。
彼は仕事場で、くも膜下出血で倒れたのです。
生死の境をさまよい、辛く長い闘病生活を強いられといいます。
手術後、数ヶ月で仕事に復帰したのですが、
再び、くも膜下出血の再発。
病院で出される食べ物は、一切食べられず、水も飲めない日々。
ただ爆発的な頭の痛みだけが襲って来て、
体だけではなく、精神もむしばまれてきて、こんな拷問の様な痛みが続くなら、
「今すぐにでも、ベッドの頭上にある窓から飛び降りたい。
早く死んでしまいたい。」そう思ったそうです。
彼のファンは、後に、「生きててくれて、良かった」とよく語ります。
そんな二度に渡るくも膜下出血の手術を乗り越えた星野源さんは、
後遺症が残っていない事が奇跡だと主治医に言われる程の回復を遂げたのです。
その後、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌「恋」を歌い、
同ドラマにも出演し大きく知名度を上げたのでした。
パニック障害、くも膜下出血を、乗り越えた彼は、現在、
「コウノドリ」に出演して、命をテーマにしたドラマで頑張っている。
https://www.youtube.com/watch?v=jhOVibLEDhA
END
参考:
情熱大陸「星野源」
星野源の“壮絶”闘病生活 – ライブドアニュース