どうして人を殺してはいけないのでしょうか? 纏 | HIRO島BOY

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てきとーに、てきとーに、gdgdと書いてます。

前回の続きと行きたいと思ったのですが、今回のcx12520002000さん回答私の意見と同じで、







意見書こうにも書けれないので、今回はcx12520002000さんの要約を書いて締めくくろうと思います。







あと、断っておきますが、私は金輪際人を殺めるつもり全くないのでそのところ悪しからず。







質問内容:どうして人を殺してはいけないのでしょうか?







なぜ人を殺してはいけないのか: 法哲学的思考への誘い
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回答者其の伍:cx12520002000さん

大昔、人類は「万人の万人に対する闘争状態(=無法状態)」でした。あのアイスマンも後ろから弓で撃たれ、証拠を消す為に矢は犯人によって引き抜かれた(回収された)みたいですね。

そのような闘争状態に於いては、自己の生存権は自分で確保するしか無く、例えば食い物の無い者が仕留めた獲物を奪う為にアイスマンを殺したとしても、暴力は罪では無かった。
しかし個人の力は小さく、自己の生存権を守るには余りにも不安だった。
そこで次第に集落のような小さなグループを作って互いに助け合ったり、より強い者に貢ぎ物をして自分が標的にならないようにしたり、守ってもらったりするようになる=集団安全保障や王権主義の始まり。

集落が次第に大きくなり、村同士の争いが起こり始めると、他の村を吸収したり制圧したりしながらより大きなグループ(都市国家)を作っていくようになる。

しかし人類がそれまでに経験した事の無いこのような巨大な集団の中では、霊長類として如何に群れ社会に慣れていた人間であっても、それまでのような粗暴な暮らしをしていれば問題が絶えず、安心して暮らせない→集団安全保障の為に作った都市の中で逆に闘争状態が始まってしまう。

そこで裁く者と罰ができるが、その日の気分で罰が変わるので法律ができた。

また持つ者と持たざる者の差が開き、権力者の横暴が限度を超えると、今度は権力を縛る法ができた。

このように人類の安寧な生活を目指してきた歴史の中で、人を殺す事は人類の積み上げてきた努力をブチ壊す行為であり、社会の安定を壊そうとする許されない行為である。

戦争とは万人の万人に対する闘争状態の再現であり、戦争をちらつかせて脅す行為も、人類のこれまでの努力と犠牲に唾を吐くに等しい。

このような破壊を実行している者に対してのみ殺人が許されるし、そのような破壊者を倒せば、英雄として崇められる事もある。








cx12520002000さんの回答を要約すると、
壱:ひとりだけでは自分の身は守れない。
弍:自分の身を守る為に集団安全保障や王権主義が始まった。
参:秩序を守る為に、罰・法が出来た。
肆:人を殺す行為は、壱・弍・参を否定すること。
伍:戦争も然り、人類のこれまでの努力と犠牲に唾を吐くに等しい。