一四 夜話に云く、世間の人も衆事《しゆじ》を兼学していづれも能くせざらんよりは、只一事を能くして人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況や出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我性も拙《つた》なし。高広なる仏法にことの多般を兼ぬれば、一事をも成すべからず。一事を専にせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努力学人一事を専らにすべし。
奘問て云く、若し然らば何ごといかなる行か、仏法に専ら好み修すべき。師云く、機に随ひ根に順ふべしと云へども、今祖席に相伝して専らする処ろは坐禅なり。此の行、能く衆機を兼ね上中下根ひとしく修し得べき法なり。我れ大宋天童先師の会下にして此道理を聞て後ち、昼夜に定坐して極熱極寒には発病しつべしとて、諸僧しばらく放下しき。我れ其の時自ら思はく、設《たと》ひ発病して死すべくとも、猶只是れを修すべし。病ひ無ふして修せず、此の身をいたはり用ひてなんの用ぞ。病ひして死せば本意なり。大宋国の善知識の会下にて修し死に死してよき僧にさばくられたらんは、先づ勝縁なり。日本にて死せば、是れほどの人に如法仏家の儀式にて沙汰すべからず。修行していまだ契悟《かいご》せざらん先に死せば、結縁として生を仏家に受くべし。修行せずして身を久く持《たもち》ても詮無きなり。なんの用ぞ。況や身を全ふし病ひ起らじと思はんほどに、知らず亦海にも入り横死にもあはん時は、後悔いかん。此の如く案じつゞけて、思ひ切て昼夜端坐せしに、一切に病ひ発らず。今各も一向に思ひきりて修して見よ。十人は十人ながら得道すべきなり。先師天童の勧めかくの如し。