達成感のない病 | ひろせカウンセリング若手ブログ

ひろせカウンセリング若手ブログ

吃音自助グループ廣瀬カウンセリング東京教室の、若手メンバーによるブログです。

吃音に悩む人というのは、多くの場合吃音のことばかり気にしていますが、その背景として偏った認知や思考を持っていることがよくあります。

 

私も、吃音についての問題はほぼ解消しましたが、それが生まれてくるバックボーンとして、様々な認知な思考の偏りを持っていました。「いました」というか今でも持っていて、時々それに気づくこともありますし、まだ気付いておらずこれから気付くこともあるでしょう。

 

私の持っている偏りとして、大きなものの一つに、「何かをやり遂げても、達成感を感じることがほとんどない(あるいは感じたとしてもすぐ消える)」というのがあります。

 

例えば大学受験のとき、大学院の博士課程を修了したとき、就職したとき、大きな仕事をしたとき、学会報告したときなど、これまでいろんな大変なことがありました。その時はやり遂げた感じがあるのですが、しばらくすると(数ヶ月~数年もすると)もう消えてしまい、自分にとっては何も無くなります。

 

吃音の克服や、カウンセラーになったことについてもそうで、そこに至るまでは相当な道のりがあったはずなのですが、今ではそれがすごいとか何かをやり遂げたとはあまり思っていません。

 

まるで氷が溶けていくように、過去にやり遂げたことが消えていく感覚を持っているようなんですね、私は。

 

こういう思考をしていることによって、私は常に何か足りないという感じを持つことになり、終わりなく成長や向上をし続けることができるともいえますが、また同時にどこまで行っても満たされず渇望しつつける運命にあるともいえます。

 

自分がこういう思考をしていることは、大学受験の達成感が消えてしまったことで、教室に来る以前にもう気付いていたのですが、最近は改めて自分のそういう性質がどれほど強いのかを感じています。

 

今、私は廣瀬カウンセリング教室に来た当時と比べると、人前で普通に話せるようになったし、学会発表もできるし、就職もできたし、人が驚くような大きな仕事もした、ということでものすごく変わったといえるのですが、それに対する達成感があるかというと、ほぼありません。

 

これはやはりおかしいことなんだと、最近改めて感じています。やり遂げたことに対する達成感とか満足感とか自信の付き方が明らかに不相応に足りない。そして、私はそのことによって、本来あるはずのレベルと比べてより不幸になっている。

 

私がカウンセリングに関わっているのは一義的には自分以外の人(クライアント)のためですが、それをやっているうちに自分のことも見えてくるのが面白いところです。ロジャーズのいう「自分が自分になる」ための道として、私にとってのカウンセリングがあります。