病気の始まり~私の胃ガンがわかるまでの経緯③~ | キラキラ輝くいまを!!~ひろみんは生きている~

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いま自分はどんな周波数を放っているかな~それが私の最大の関心事です。
レインボーチルドレンの娘がいます

こんにちは ひろみんです

 

いよいよ西洋医学を受診する事にしました。

 

7月2日、家から一番近くの胃腸科内科の病院へ行きました。

胃カメラと超音波をしました。先生に『こんなになるまでどうして病院へ来なかったの?』と聞かれ、『今まで西洋医学以外の事をいろいろ試して放置しちゃいました』と正直に言いました。『それはあなたにとって必要な体験だったので後悔する必要は全くないから、今から出来る事をやっていきましょう』と言ってくださりました。久しぶりの西洋医学の先生はとても優しい方でした。

『病理検査の結果は出ていないから正式ではないけど、潰瘍が大きいからガンの可能性が大きいよ。良性なら薬治療でいいけど悪性なら胃を全摘。胃ガンは進行しちゃうから急いで手術する必要があると思うから、明日大きい病院へ行ってよ~もう逃げちゃダメだよ』と言われました。

そっかぁ私、病気から逃げていたんだぁ。向き合っているつもりでいたけど、方向性が違っていた事に気が付きました。

 

胃ガンで手術が必要だと言われてもあまり落ち込みませんでした。そうだよね~それならあんなに痛いはずだよね。胃下垂だと思い込んでいたので、胃下垂の事はいろいろ調べていました。病院では治しようがないと書いてあったのでそう思い込んでいました。

胃潰瘍ってわかっていたらもしかしたら、もっと早く病院に来ていたかな?でもそんな事思いもしなかったので放置したんだなぁ。

胃ガンかぁ。とりあえず明日大きな病院へ行ってみるかな。なんて思っていました。

まだ衰弱状態なので思考も上手く働きません。とりあえず薬が出たから飲んで、痛みがなくなって食べれるようになったらいいなぁと思っていました。

 

夫にLINEで報告しました。悪性の可能性が高い事『ごめんねアホな妻で。良性を祈ってね。』と伝えました。『うん。祈る』と。『でも内視鏡を頑張ったねって褒められた~』と伝えると、『そうか。がんばったね』と返信くれました。

夫はどんな心境だったのかな?母がアルツハイマー型認知症だと父から聞かされた時の感じなのかな?立場や病気が違うからそれともまた違うしなぁ。とにかく自分がアホだった事と、早く死ぬかもしれないという可能性を聞いたので、共に白髪が生えるまで仲良くしていたいと、結婚式の誓いを思い出し、アホな妻でごめんねって思っていました。

 

兄にもメールで報告しました。『胃ガンになるのも一緒だなんて、私達本当に仲良し兄妹だね~』って。

『そうだな』って返信してくれていましたが、兄は自分のガンがもの凄く小さい細胞を早期発見出来た事をラッキーだったと喜んでいたので、心配が伝わってくる文でした。

『とにかく信頼できる医師と出会える事が何よりだから』と、他にもアドバイスをたくさんしてくれて、頼りになる胃ガンの先輩になりました。

 

子供達にはどう伝えようかなぁと迷いましたが、隠してもわかる事だし、何より私だったら隠されるよりも本当の事を知ってサポートしたいと思うので、子供達の力を信じて正直に伝えました。長女も次女も黙って私をぎゅ~っと抱きしめてくれました。その目には涙。。

家での私の様子を見ていたので、ただならぬ事が起きているのは感じていても、改めて病名を聞かされるとやはり衝撃はあると思います。

2人ともどの程度理解していたかはわかりませんが、私に心配させないようにあまり感情を出さずに気遣ってくれていました。あちらの方が大人ですね。アホなママでごめんね。

 

もうすぐ夏休み。夏休みには家族でハワイへ行く予定でした。3人で行って来て~と言うと、『ママがいないのに行っても楽しくないから、治ったら一緒い行こうよ』と言ってくれました。キャンセルする事になりました。つまらない夏休みにしちゃったなぁと思いました。

 

翌日、大きな病院へ行く事にしました。続きはまた次回~

 

注意!これはあくまでも私の体験談です。何かを否定するモノではありません。

合う合わないは人それぞれだと思いますので、治療の方針や取り入れるモノはご自身でご判断ください。

 

お読みいただきありがとうございました。

ステキないまをお過ごしください♪