今日は南三陸町でボランティア



8時頃に来てくれという事だったので、仙台から2時間かかるので5時すぎに起き、仙台市内の吉野屋で朝食をとりコンビニで昼食を買い車で南三陸町へ。



ボランティアセンターのテントの前には、ホワイトボードにボランティアの募集人員と内容が書かれています。

支援物資の仕分けや、波を被った家屋の清掃等。



私たちは志津川高校で物資の仕分けに割り当てられました。



高校はテレビでやってるように、二階建ての体育館の一階に被災者が生活されていて、二階は一部被災者の生活ゾーンで他は支援物資のゾーン。

ダンボールで仕切られてるだけです。



さらにグランドの一部は仮設住宅、校舎裏には自衛隊の装甲車やテント。

グランドのネットには洗濯物、校舎と校舎の間には仮設トイレ、校舎の一部は厨房になっており、ここで被災者の食事が作られます。



校舎の廊下に学校の机と椅子を並べて喫茶室が作られています。



お風呂や避難所を統括する事務所も校舎の中にあります。



かなり異様な雰囲気です。



体育館の二階で物資の仕分けをしてると、大量の服が送られてきているのですが、いかにも不用品でこんなん誰が着るねん!というのが大量にありました。



黄ばんだ服、擦り切れたジャージ、名前の書いた学校の体操服、何度か使用された下着。。。



被災地はただでさえガレキ、ゴミの処理に困ってるのに、それらの物は支援どころか大迷惑となっています。

支援物資?の所からは一日ゴミ袋5つまでしか捨てられない事になっています。



当然、不要な服はごみ袋に入れられ大量に体育館に積み上げられています。



服はタンスもないしシーズン毎に一人二着あれば良いと思うのに大量にボランティアの手でサイズ種類をわけてダンボールにいれて積まれています。

しかも、ほとんどは不用品の押しつけ・・・。



お昼はボランティアの炊き出しのあまりをいただける事になりました。

昼食後にトイレに行くと水がきていないのでタンクに入れられているのを使うので、便がたまってから流すようにされています。



夕方の3時半にボランティアは終了し車に戻ろうとするとニュースジャパンの秋元キャスターが来てました。



南三陸町は街の被害がひどすぎてかえって手伝えることが少なかったのでボランティアに来ていた人からの情報で亘理町がかなり人手不足だと聞
金曜日の晩から、大阪発仙台行きの夜行バスに乗り東北に行きました。

恥ずかしながら、なんとか役に立ちたいというよりも、メディアでは色々目にするものの、実際はどうなってるんやろ?
ただ、見るからにはボランティアさせていただこうという思いからです。

仕事は土曜日と月曜日に休みを取り、金曜日は定時で退社させてもらい梅田のバス発着所へ。
友人はすでに来ており受付をすませバスに乗り込みました。

横4列シートは少し狭いものの、それなりに快適で12時間半かけて仙台へ。
初めての東北です。
予約してたレンタカーを借り東北自動車道で岩手県の陸前高田市に向かいました。
途中、やはり地震の影響で道がガタついてたりアスファルトがはがれてたり。

高速を降り沿岸部に着くまでは何ら異常を感じず、のどかでよい所という印象でしたが、沿岸部の少し低い土地にさしかかると景色は一変!
まさにテレビで見る映像をパノラマにした感じです。

がれきの山です。
道のがれきを除けてあるため、道路がありその両サイドは積み上げられた車や建物の残骸・・・

空襲でもあったのかと思わせるような景色です。

しかし、少し高くなったところは建物がなんともなく建っていて、そのギャップがなんとも鮮烈でした。

その後、訪れる街すべてでそのような光景を見る事になるのですが。

見た中で一番きつかったのは気仙沼市でした。
燃えた船の残骸、がれきの山、強烈なにおい、大量のハエ・・・。
押しつぶされた水産加工会社・・・。
この街は臭いで長時間の作業は出来ないだろうし、これから梅雨を迎え気温も上がるし、どうするんやろと思いました。

道が分断や冠水のため通れない所を避けて、ずっと沿岸部を南下していき南三陸町に夕方たどり着き、テント張りのボランティアセンターへ。

ここで明日、8時頃に来ればボランティアの受付がある事を聞き仙台に戻り、ホテルにチェックインしました。
その後、仙台市内を少し散策しましたが、店も普通に営業してるし物も十分にあり、震災の影響を感じるのは少し道がガタついてたり、信号が一部消えてるくらいでした。

 まだ暗い時間にバスは集落に着き、荷物とともに下ろされある建物の中に案内されました。
と言っても入口を入ってすぐのロビーみたいなところで、雑然と物が置かれてる30畳くらいの広間です。

どうやら船が着くまでここで寝てろという事なんですが、タイル風の塩ビの物が張ってある土足の床で
敷物も何もありません。

観念して、皆、床にごろ寝しました。

夜も明けてきて明るくなりかけた頃に起こされて小さいモーターボートに乗りましたが、ここで何台かに別れるので、日本人は私一人になりました。

船は「スピードボート」と呼ばれてる物で、水面をバウンドするように進んでいきます。
途中、パンガン島に寄り5人ほど客の入れ替えがあり、やがて目的地のタオ島に着きました。

迎えに来てたダイビング屋さんの車にのりこみダイビング屋へ。

ここで宿をどうするか聞かれ、一番安い一泊50バーツ(150円くらい)のバンガローに泊まる事にしました。

高床式で屋根はかやぶき、鍵は南京錠。中は電気もなくろうそく台と木の作りつけのベッドと小さいテーブルのみです。
天井に換気ファンがあるのですが、電気は当然ないのでどういう時に使うのか全く不明でした。

荷物を置き、ダイビング屋近くの屋台で食事してダイビング屋へ。

久々のダイビング。
ここは日本人の店員に客も日本人ばっかりなので説明も何の不安もありませんでした。

数人の日本人+可愛い二人組の日本人と潜る事に!

ボートで沖に行き空気ボンベを背負って潜る楽ちんダイビング。

めちゃめちゃ海がきれいで魚も見えまくり!!

寄ってきまくり!!

ダイビング屋に戻り可愛い二人組の子と話してて、神奈川から来てていとこだと言ってましたが、
この子たちのうち特に親しくしてくれた子について帰国後ビックリする事になるのですが、
それはまたブログにて。。。