2006・ボスニア/ヘルツェゴヴィナ・オーストリア・独・クロアチア ★★★☆☆(3.6)
監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
出演:ミリャナ・カラノヴィッチ ルナ・ミヨヴィッチ レオン・ルチェフ ケナン・チャティチ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都、サラエボ。
其処に住むシングルマザーのエスマ(カラノヴィッチ)は12歳になる娘・サラ(ミヨヴィッチ)と2人暮らし。
出席すれば、政府からの僅かな補助金が出る為に集団で受けるセラピーに出席する。
後は裁縫で得る収入だけ…。
しかし、サラの修学旅行代金を捻出する為に更にナイトクラブのウエイトレスの仕事にも出かける事にする。
ウエイトレスの面接では、子供がいる事は隠してしまった。
夜間の仕事の時は、親友のサビーナにサラの面倒を見て貰っていたのだが、年齢的に多感なサラに加えて
母親のいない寂しさも相俟って、子供のいないサビーナとしばしば衝突するサラ。
活発なサラは男子に混じってサッカー中にクラスメイトのサミル(チャティチ)と喧嘩になってしまう。
仲裁に入った先生から「両親に来てもらう」と言われると、サラは「パパはいないわ、シャヒード(殉教者)よ」と答える。
其れを聞いていた、サミルの父もまたシャヒードで有り、同じ共通点を持つ2人は次第に近づいて行く。
ナイトクラブの仕事は、エスマにとっては精神的に辛い物であった。
過去の辛い記憶から、男性恐怖症になっているエスマは、混雑するバスで男性が近付いただけで我慢出来ずに
バスを降りてしまったり、クラブでセクシーな衣装を身に纏い男性客に媚ながらチップを稼ぐ様を見るに付け
思わず耐え切れずに薬に頼ってしまうのであった。
同じクラブの雑用係として務めるペルダ(ルチェフ)は、そんなエスマの様子を心配して、何かと声を掛けてやる。
帰宅時間が遅くなるこの仕事の帰りに、車で送ってやったりする。
最初の頃は一定の距離を置いていたエスマだったが、ペルダも又紛争により家族を無くした事を知ると
「前に何処かで会ったのでは?」と言う問いかけにも、遺体確認の際だったのかもしれないと一人呟くペルダに
次第に心を開いて行く。
サラは何時もより上機嫌で帰宅する。 修学旅行の費用の為に夜遅くまで働くエスマにとっても朗報の筈。
シャヒードの遺児は、父親の戦死の証明書を提出すれば、旅費が免除となるのだ。
サラは、何度と無くエスマに証明書を出す様にせがむのだが…。
「父親の遺体が発見されなかったので証明書の発行が難しい」等と、苦しい言い訳を続けるエスマ。
娘の旅費を全額工面しようと奔走するエスマ。
だが、父親の事について何も語ってくれないエスマに対しても不信感を募らせて行くサラ。
ある日、サミルから父親の形見の拳銃を見せて貰い、父親の死について聞かされ「父親の最後は?」と聞かれ
まるで何も知らずに答えられないサラ。
父親についてはシャヒードだという事しか知らないサラに「父親の最後は知っておくべきだ」と提言する。
追い討ちを掛ける様にクラスメイト達がサラの父親の名前が戦死者リストに載っていない事をからかいだす…。
不信感が募る中、証明書を出さずに旅費を全額支払った事を知ったサラは、サミルから預かった拳銃を
エスマに突きつけて、「真実を話して欲しい」と本気で迫る…。
つかみ合いになりながら、エスマは長年秘密にしてきた事をつい口走ってしまうのであった…。
《***》
今日の感想は、まるまるネタバレ核心部分を書かねば、何故に絶賛されているのに私の星が少ないかが
分からないので、何も知らずに映画が見たいというお方は、読まないで下さりませ。
(でも、何もかも知った上でこの作品については、絶対に見るべきだと私は強く思う次第で有りますが…!)
2006年・ベルリン国際映画賞・金熊賞受賞作品。
私はこの作品を見るにあたって、劇場予告を1度見ただけで後は何の知識も入れずに、何時もながらの
ノー天気状態で作品を見た。
先ず、サラエボと言う場所。 冬季オリンピックがあったよね。確か? 其れぐらいしか分かんない。
何時もながらでは御座いますが、先ず地図上での位置確認をば…。
予告等で、エスマの抱える問題はサラの出生の秘密と今尚拭えないエスマが受けた戦争の為に行なわれた
レイプや暴力を心の中に抱え込んだまま、現在も尚苦しみ続けているという事が分かる。
集団レイプを受けた女性達が集団セラピーを受け、自分の心の中にある問題を話す事により、開放して行こうと
言う取り組みに参加すれば、補助金が受けられる様である。
エスマは、参加するにはするのだが心も口も閉ざしたままで、どう見ても補助金稼ぎに仕方なく参加している状態。
戦争によって、敵国や対戦相手からの性的暴力等を女性が受けると言う恐怖は、色々な作品でも見て来た。
ソフィア・ローレン主役の「ふたりの女」を小学5~6年で見た私は、戦争による死と隣り合わせという恐怖より
敵国の兵達の慰み者になる怖さを充分感じ取ったのだが…。
一見この作品を私の様に何の知識も無く見ると、単に戦争による被害者のストーリーにしか見て取れないのだが
詳しく調べて見るとこの戦争は対国の戦争ではなく、紛争であるという事。
しかも民族間の紛争であり、尚且つ単なる勝利者側の慰み者にされた訳ではなく、「相手民族の女性を
レイプする事」で敵の民族の子供を産ませることにより、所属民族までを辱め後世に影響を残すと言う作戦として
組織的に行なわれた事実。
この世にも恐ろしい事実を全く知らない私は、エスマの事を「単なる戦争による被害者」としか見ていなかった為に
勿論、受けた行為や心に残った傷に対しては理解出来たが、「戦争には付き物」程度にしか感じなかった。
やっぱり、こんな恐ろしい作戦が実際にあった事を先ず知らしめないと映画としても成り立たないのではないか?と
感じたのである。
もし、そう言う作戦があった事が分かった上でこの作品を見たら、もっとエスマに感情移入も出来たし、ラストの
セラピーでのエスマの告白に涙したと思われる。
そして、そんな恐ろしい作戦の被害者となって生まれ来る子供を呪い、死産を祈っても尚且つ生れ落ちたサラを
見て感じた台詞が最高に生きてくると思うのであるのだが…。
映画祭で金熊賞を取る程の作品なのだから、そんな事は世の中の常識として皆承知の上でこの作品を
見たのだろうか? そんな事を知らなかったのは私だけなの?
いつかはぶち当たるであろう、この最大の秘密を事も有ろうかサラに腹立ち紛れに口走ってしまうエスマ。
この辺が物凄くリアルだし、それ故に物悲しい。
タダ、唯一の救いは一時的な感情から仲違いをしてしまっても、親友の一大事の時には身を投げ打ってでも
力になってくれる友のサビーナがエスマにはいたと言う所だろう。
「父さんと私の似ている所は何処?」と尋ねるサラに対して「髪の毛」と答えたエスマ。
出生の事実を知った時にサラの取った行動は…。
一見、子供染みている様に思われるが一挙に大人と言う階段を登った様に見て取れた。
この恐ろしい作戦の事が、事前に分かる作品作りであれば昨年の「題名のない子守唄」位の感動を感じたのかも
知れないと思うと、世の中の事を知らな過ぎる私が悪いのか、う~~ん残念だ。
《+++》
何やら、かなり変ですで! アメブロさん。 昨夜はあらすじだけは何とか書けたけれども感想からは又早朝。
ちょっとナイーブな問題だけに、ボケボケ状態の頭で書くのは大変なのよ!
もう、別に色々な新しい試みはいいから、スムーズに記事だけでも書ける様にお願いしますだ!