藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
中江藤樹は人を育てることに生涯を賭した人である。
中でも、生来の 「愚魯鈍昧(ぐろどんまい)」といわれた大野了佐(りょうさ)
藤樹の伊予大洲(おおず)時代の友人、大野勝介(しょうすけ)
了佐が藤樹の後を追って小川(滋賀県高島郡)に来た時、
僅か四歳の違いである。
どうしても医者になりたいという了佐。
藤樹は当時の医学入門書『医方(いほう)大成論』
『藤樹先生年譜』によると、 「先(まず)二三句ヲ教ルコト二百遍バカリ、巳(み)ヨリ申(
たった二、三句を覚えさせるのに二百回繰り返し、巳(み)
それで終わりではない。「食ニ退(さが)ツテ后(のち)、
夕食を終えて復習してみると、ケロリと忘れてしまっている。
後年、藤樹は「われ了佐においてほとんど精根を尽くす」
しかし了佐は諦めない。
その熱心さに打たれ、藤樹は了佐のためにわざわざ 捷径医筌(しょうけいいせん/六巻)』 という教科書を作り、与えている。
師弟一体の努力により、了佐は立派な医者になった。
藤樹は言う。
「彼、甚(はなは)だ愚昧(ぐまい)なりといえども、その勉励(
「随人観美(ずいじんかんび)」という言葉がある。
人にしたがって美を観る。
その人だけが持っている美を観ろ、の意である。
人を育てる要諦であろう。
藤樹はその最たる人であった。
荻生徂徠(おぎゅうそらい)も多くに影響を与えた。
その徂徠の人を育てる要諦として人 口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)される徂徠訓を、
一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。
二、人はその長所のみを取らば即(すなわ)ち可なり。
三、己が好みに合う者のみを用うる勿(なか)れ。
四、小過を咎(とが)むる要なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用うる上は、その事を十分に委(ゆだ)ぬべし。
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。 器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
八、かくして、良く用うれば事に適し、
『小さな人生論5 (小さな人生論シリーズ)』致知出版社
大野了佐は生まれつき、字を覚えたり、
そんな了佐だったので、父は武士になることを認めなかった。
しかし、了佐は「病気で苦しむ人を助ける医者になりたい」
通常の教科書では理解できない了佐のために、
毎日超多忙な中、身を削り、
それも、
安岡正篤師はそれをこう語っている。
「賢は賢なりに、愚は愚なりに、
別に偉い人になる必要はないではないか。
社会のどこにあっても、
その仕事を通じて世のため人のために貢献する。
そういう生き方を考えなければならない」
「その人だけが持っている美を観る」という姿勢を持ち…
賢は賢なりに、愚は愚なりに、
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