立場や肩書で相手を見る人

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精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…


《立場や肩書で相手を見る人を、「損な人」という》


人の「第一印象」は、その人物の姿形よりも、最初に発するひと言ふた言に左右されます。


いかつい体で無骨な顔の相手が丁寧に挨拶をし、腰を低くして接してくれれば、外見にかかわらず好印象を持たれることは間違いありません。

ところが、「ああ、この人は損をしているな」と思う人がいます。

それは初対面のとき、自分の立場と相手の立場、同じく肩書などですぐに対応の態度を決めてしまう人です。

特に自分のほうが立場が上だと判断したようなときには、不遜(ふそん)な口のきき方をし、人を見下したような態度を、あからさまではないにしろ、相手にわかるように示す。

そんな人です。


そういう人に限って、徐々にそれがエスカレートして、別れ際には、相手に上下関係を強く印象づけようとします。

私のような年齢になると、その底意が見えて、「損な人」だなと思うと同時に、ある種の哀(あわ)れみさえ感じてしまいます。


人間は少しでも人より高みに立ちたいものです。

でも本来、その高低、上下は長年にわたる関係で構築され、第三者の目から見ても、なるほどと納得されるものでなくてはなりません。

はじめから立場や肩書きで相手を侮ると、意外なことから恥をかくことになるものです。


初対面の相手がどういう人であれ、言葉づかいや態度が変わらないというのが望ましいわけですが、これはなかなか修養のいることです。


《初対面のとき、立場や肩書で対応の態度を決めてしまうと意外なことから恥をかくことになる》


人生は曇りときどき晴れがちょうどいい』PHP





小林正観さんは、結婚してから3年以内に、「愛情以外の概念」をお互いに作ることができたら、何十年と長く続く夫婦になることができるという。

それが、お互いが「尊敬」し合うという概念。

「尊敬」とは、他人の人格や行為を尊いもの(すぐれたもの)と認め、頭を下げるような、また、ついて行きたいような気持になることを言う。


これは、夫婦だけでなく、すべての人間関係でも同じことが言える。


尊敬の反対語は「軽蔑(けいべつ)」とか「侮蔑(ぶべつ)」だが、相手をばかにしたり、さげすんだりすることをいう。

自分の方が偉いと思ってしゃべる人は、相手をさげすんで見ている。


「立場や肩書で相手を見る人」

誰に対しても偉そうにしない人でありたい。



 
 
 
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雨の日には雨の中を

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相田みつを氏の心に響く言葉より…


《雨の日には雨の中を 風の日には風の中を》


暖かい春の陽ざしを

ポカポカと背中に受けて

平らな道をのんびりと歩いてゆく…

そんな調子のいい時ばかりはないんだな

あっちへぶつかり

こっちへぶつかり

やることなすこと

みんな失敗の連続で

どうにもこうにも

動きのとれぬことだってあるさ、

当てにしていた

友達や仲間にまで

そッポむかれてさ

どっちをむいても

文字通り八方ふさがり…

四面楚歌ッてやつだな

それでも

わたしは自分の道を自分の足で

歩いてゆこう

自分で選んだ道だもの…


雨の日には雨の中を

風の日には風の中を


涙を流すときには

涙を流しながら

恥をさらすときには

恥をさらしながら

口惜しいときには

「こんちくしょう!」と

ひとり歯ぎしりを咬んでさ

黙って自分の道を歩きつづけよう

愚痴や弁解なんて

いくら言ったッて

何の役にも立たないもの…

そしてその時こそ

目に見えないいのちの根が

太く深く育つ時だから

何をやっても思うようにならない時

上にのびられない時に

根は育つんだから…


雨の日には雨の中を

風の日には風の中を…


ただいるだけで』PHP研究所





「災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬる時節には死ぬるがよく候、これはこれ災難をのがるる妙法にて候」


良寛和尚の言葉だ。


嫌なことから逃げようともがけばもがくほど、嫌なことは追いかけてくる。

雨の日には雨の中を行くしかないのだ。

そして、愚痴や不平不満を言わずに、嫌なことに対処したとき、人としての深さや厚みや重みが増す。

目に見えないいのちの根が、太く深く育つのだ。


雨の日には雨の中を…

愚痴や言い訳を言わず、ただひたすら自分の道を歩みたい。
 
 

 
 
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時分の花

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浅利慶太氏の心に響く言葉より…


《時分(じぶん)の花が枯れてから、真(まこと)の花が咲く》


劇団四季の創設者のひとりで演出家の浅利慶太さんは演出について「装う」ことではなく、その人が本来持っている魅力を発揮させることだと言っている。


「中身のない人間に輝きはない。

それと世阿弥がいいことを言っています。

それは、花めくという言葉を使っているのですが、『時分の花』というのがある。

若い時は、持っている肉体的なものだけでも、非常に魅力的なものです。

しかし、その“時分の花”が枯れてから“真の花が咲く”と言っています。

そこから芸術が始まるわけです。

テレビのタレントの多くは“時分の花”だけを見せている。

舞台というのは真の花です。

修業の成果です」


君に100の成功を贈る』経済界







「いつまでも子供でいたい……。 

無邪気な男や女は、無責任で楽しくて魅力的。 

でも、いずれそれでは困る時が来る。 

腹をくくってきっぱりと、 自分の幼児性を捨てなければいけない時が来るのです。 

それができない人は、末は悲惨です」

(美輪明宏 『花言葉』)


「時分の花」とは、年齢の若さによって生まれる、一時的な芸の美しさや魅力のことを言う。


テレビのタレントに限らず、無邪気で、子どもっぽいことが、「魅力的」と勘違いしている若者は多い。

幼児性を捨てなければ真の大人にはなれないのに…。


「時分の花が枯れてから、真の花が咲く」

「真の花」とは、鍛練と工夫の末に得た、本当の芸のうまさや面白さのこと。


真の花を咲かせたい。


 
 
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良い消費者になる

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藤野英人氏の心に響く言葉より…


私が投資家として第一にアドバイスできることは、「良い消費者になる」ということです。


さきほども説明したように、私たちは消費者という立場であまりにもモンスターになりすぎていて、王様のように威張り過ぎている。

まずそこを改善していかなければいけません。


私は居酒屋やレストランに行くと、必ず「ありがとう」と言うようにしています。

おいしい食事とすばらしいサービスをしてもらったのですから、感謝の気持ちを告げるのは当然でしょう。

マクドナルドには「スマイル0円」と書かれていましたが、消費者も「スマイル0円」です。

生産者と消費者は互恵的に対等な立場ですから、こちらからも「ありがとう」と言うべきなのです。


日本にはチップの文化はありませんが、「ありがとう」こそがチップの役目を果たすのだと思っています。

コンビニでアルバイトをしている学生が、「お客さんから『ありがとう』と言われると、自分でも信じられないくらい嬉しくなるし、やる気も出てくる」と言っていました。

接客業をしたことのある人なら、この感覚がよく理解できるのではないでしょうか?


そうすると、「もっとお客さんに満足してもらうために何をすべきか?」などと考えるようになるのが、人間の自然な感情です。

ブラック消費者がブラック生産者を生み出すのと180度逆の、グッドスパイラルが生まれていきます。

「ありがとう」と言うことは、最終的には、自分のところに返ってくるんですね。


先日、タクシーに乗ったときに、運転手さんに「降りるときにお礼を言う人はどれくらいいますか?」と聞いてみたところ、「20~30人にひとり」と言う答えでした。

しかも、「紳士やエリートっぽい人、お金を持っていそうな人、長距離を乗る人ほど、感謝の気持ちを言ってくれる」のだそうです。

統計を取ったわけではないので、詳しいことや因果関係まではわかりませんが、やはり感謝を伝える人というのは、お金や労働の価値をわかっている人、経済とはどういうものかを実感している人なのではないでしょうか

お金持ちだからお礼を言うわけではなく、お礼を言う人だからこそお金持ちになったのではないか、と。


人間はそんなに器用な存在ではないので、ある人に対して上下関係を持ち出す人は、じつは腹の底では、すべての人間関係を上下関係で考えていたりします。

店員に対して威圧的な態度を取る人は、同僚や恋人や友人に対しても威圧的な態度を取ります。

部下にも怒鳴るでしょうし、仕入れ業者の人や掃除のおばちゃんにも横柄な態度で接したりするのは間違いありません。


そういうことはむしろ女性のほうがよくわかっていて、デートで相手の男性に対して幻滅するのは、レストランの店員などに対して横柄な態度をとる人だそうです。

よく聞く話だと思いますが、なぜ彼女らがそれを嫌うのかといえば、それは自分が恋人や奥さんになったときにされる態度だということに、しっかり気づいているからんですね。


経済は生産者・供給者がつくっているという側面もありますが、需要家である消費者が決めている部分が大きいと言えるでしょう。

だとすれば、その生産者・供給者の姿も消費者がつくっていて、消費者の責任というものがあることになります。

自分たちの社会を幸せにするのかどうかは、大部分は私たちの行動によるのです。

「ありがとう」と言えば「ありがとう」で返ってくるし、怒りは怒りで返ってきます。

それを止めるのも広めるのも、私たち次第なんですね。


投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)





藤野氏は、「従業員に過重労働を強いる『ブラック企業』を生み出しているのは、私たち消費者である」という。

「低価格の旅行ツアーが流行るのも、居酒屋チェーンが朝まで長時間営業をしているのも、『お客様のため』と言えば聞こえがいいが、要は、消費者が求めているから。

消費者が求めるからこそ、企業はそれに応えようと頑張る。

需要があるから供給が生まれるが、その逆はないし、過剰なサービスを望まなければ、そもそもそういったサービスは生まれてこない。

また、格安の居酒屋でも、非常に高いサービスを求めてくる。

199円のビールが出るのが少し遅くなっただけで、『ふざけんな』となり、お詫びが足りないとなると、すぐに『店長を出せ!』『この店には二度と来ない!』となる。

そこで働く人たちは仕事中に多大なストレスを感じ、今度は自分が客になったときに、そのストレスを従業員同士にぶつけることになる。

こうしたバッドスパイラルが起きているのが、いまの日本の状況だ」(以上、同書より)


五日市剛さんは、「嫌なことがあったときこそ『ありがとう』と言おう」という。

嫌なことがあったときに、悪態をついたり、愚痴をいったり、不平不満、泣き言を言ったりすれば、愚痴をいうようなこと、不平不満や泣き言をいうようなことがまた起きる。

つまりバッドスパイラルが続く。

しかし、「ありがとう」と言えば、その悪いスパイラルがそこで途切れるからだ。


「良い消費者になる」

ありがとうを多用して良い消費者になりたい。

 
 
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小林正観さんの心に響く言葉より…


私たち人間の親子というのは、親が子供に対して何かをしてあげるときに、見返りや報酬がなくてもしてあげますね。


それが親子というものですね。

親は、見返りや報酬を一切期待しないで、自分の子供であったら、いくらでもしてあげます。

でも、この子供が「なんでもしてもらうことが当たり前で当然なんだ」とずーっと思い続けて、そうした態度を見せ続けていると、親はむなしさや悲しさ、疲れを感じるようになります。


ところが、もしこの子供が「ありがとう」という言葉を一言でも言ってくれると、それまでの疲れが全部吹っ飛ぶだけではなくて、むなしさが全部吹っ飛ぶだけではなくて「もっとしてあげよう」と意欲が湧きますよね。

仮にこの子供が「ありがとう」を言うに当たって、心がまったくこもっていなくて、とりあえず口先だけで「ありがとう」と言うだけでも、親はいい顔をして元気になります。

「もっとやってくれる」と、たとえ下心、邪心、損得勘定で子供が言ったとしても、親はそれを全部わかっていて、口先だけで言われた「ありがとう」に対してさえも、「もっとやってあげよう」と気力がわいてきます。

そのような親子関係が人間の中にはつくられています。


なぜでしょう。

人間の親子関係そのものが、神さまと人との関係なのではないでしょうか。

人間の親子関係は、神さまと人との関係の見本として、私たち人間生活の中に組み込んで、神さまが示していたのではないでしょうか。

神さまは人に対してシャワーの如く、好意や善意の雨を降らせています。

見返りや報酬が返ってこなくてもかまわない。

いくらやってあげてもいい。

しかも、それが当たり前なのです。


でも、全部自分の努力でやっている、自分の才能、自分の力によって人生が成り立っているんだ、と思っている人を神さまが上から見ているときには、神さまも疲れやむなしさ、悲しさを感じるかもしれません。

実は、そのことを親子関係を通して見せてくれていたのではないだろうか

こういうことを事実として伝えるために、親子関係の中にそういうプログラムを組み込んでいたのではないか、と思うのです。


では、私たちは神様に対してどうすればいいのか。

心を込めなくてもいいから「ありがとう」を言っていればどうなりますか。

「ありがとう」を言っていれば、神さまはそれで疲れをものともせず、むなしさも感じなくて、さらにやってあげようという気になるのではないでしょうか。

私たちは、神さまに対して「ありがとう」と言っているだけで、ずっと神さまはやり続けてくれるということなのです。


〈ハイ〉という日本語がありますが、そのもとは“拝(おが)む”という字です。

ハイ(拝)と手を合わせることを言うのです。

それと同じように〈イエス〉っていうのは、“イエス・キリストに誓って”という意味を含みます。

ですから、肯定する言葉というのは、神さまとともに存在しています。


もし、みなさんの中に、辛抱して、人の2倍、3倍の努力をして、その結果として周りの人に対して苛立ったり、トゲトゲしていたり…そういう投げかけをしている人がいるようでしたら、即刻やめたほうがいいです。

努力そのものをやめたほうがいいみたいです。

それよりも、周りの人に対して、ひたすら感謝をすることのほうが、神さまにとって望ましいみたいだ、という結論になったのです。


なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イースト・プレス







心を込めなくてもいいから「ありがとう」と言った方がいい、と小林正観さんはよくいう。

しかし、なかなかこの意味はわかりにくい。

心がこもっていない「ありがとう」は言ってはいけないのではないか、とツイ思ってしまう。


自分の言った言葉、宇宙に投げかけた言葉は、必ず自分に返ってくる。

多く言えば言った分だけ、その回数分だけ返ってくる。

つまり、「ありがとう」と言えば言うほど、ありがとうと言いたくなる現象が宇宙から降ってくるからだ。

逆に、愚痴や悪口、イヤミ、文句や泣き言を言えば言うほど、そういう現象がまた起こる。


「神さまと人と関係は親子関係に似ている」

生きてるだけでありがたい…

ありがとうと感謝の気持ちで毎日を過ごしたい。



 
 
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