小林正観さんの心に響く言葉より…
「思い」を持たなければ、どこにも悩み苦しみなど生じないのです。
それを私は「おまかせ」と名付けました。
たとえば、病気をしても、「この病気を治すぞ。絶対に克服してみせるぞ」というような強い思いをもたなければ、悩み・苦しみにはなりません。
すべてを受け入れて、すべてをゆだね、ただベッドの上でのんびりしている。
体中の力を抜いて「おまかせ」をしていると、体に力が入っているよりは治りが早いようです。
この話をすると反論する方がいます。
「そうやって、まかせておくだけでいいのか。人間には夢や希望が必要なのでは ないか。『思い』をたくさん持って、その『思い』を実現することが人間として 立派なことではないのか」と。
これは「西洋文明」の考え方でもありますが、私たちは、「思いを持つこと」や、「足りないものをリストアップしてそれを手に入れること」が幸せであると教えられてきました。
「成績を上げるために、もっと勉強しなければならない」「今以上の成果を出すために、もっと働かなければならない」といった「思い」をたくさん持って、その「思い」を実現させようと努力したい人はすればいいのです。
頑張りたい人は頑張ればいいと思います。
私は努力や頑張りをしてはいけないと言っているのではありません。
夢や希望といった「思い」をたくさん持ち、その結果として思いどおりにならないことがたくさん生じて、それによって苦しんでいる。
それが好きなのであれば、そのような生き方をすればよいと思います。
私が言っているのは、悩み苦しみをゼロにする方法が東洋的にはあるのだ、という話です。
「思い」を持たなければ「思いどおりにならないこと」というのは生じない。
故に「思い」を持たなければラクな生き方ができる。
楽しく幸せな生き方ができるのではないでしょうかということです。
「思い」を持たない人生というものを想定することは難しいと思います。
私たちは、「夢や希望をたくさん持ち、それを実現させることは立派なこと。素晴らしい人生なのだ」と教え込まれてきました。
ですが、私たちの人生はもう決まっているようなのです。
「こういうことをやるためにこの世に生まれてきた」ということが、自らのシナリオによって決められているようです。
その流れなり、シナリオなりが、読み取れる人もいますが、読み取れない人もいます。
「読み取れない人」には共通項があります。
それは、「好きなことはやりますが、嫌いなことはやりません」 「夢や希望のためには努力を惜しみませんが、それ以外はしません」という意味で「自我」がものすごく強い人です。
反対に、「流れが読み取れる人」というのは、そうした「自我」がほとんどない人です。
「いつでもやるはめになったことはやります。
自分がやらなくてはいけないような状況になったら笑顔でやります」と、「おまかせ」ができる人です。
「おまかせ」をしていない人はほとんど流れが見えてこず、「おまかせ」をしている人は流れがよく見えてくるのです。
『運命好転十二条: 「天運」を味方にする方法 (知的生きかた文庫 こ 32-3)』
人はシナリオを持って生まれてきたという。
今世では「こんなふうに生きよう」というシナリオだ。
そのシナリオに気づける人と、気づけない人がいる。
もっというなら、シナリオそのものを信じない人もいる。
自分のシナリオがあることを気づいている人は、まわりからやってきた「たのまれごと」や「様々な人生の出来事」や、「やらざるを得なくなったこと」を、文句もいわず、笑顔で、淡々と引き受ける。
反対に、シナリオに気づかない人、信じない人は、自分の好きなことだけを引き受け、やらざるをえなくなったようなことも文句を言ってやらない。
世の中には、「好きなことだけして生きていく」とか「好きなことだけで生きる人が成功する」といったタイトルの本であふれている。
「自分の夢や希望を実現させることこそ、素晴らしい人生だ」と思っている人たちだ。
だから、自分の夢や希望に関すること以外は頼まれてもやらない。
そういう人には、残念ながらシナリオは見えてこない。
シナリオに気づく人は、淡々と過ぎていく日々の中に幸せを見つけることができる。
目の前に存在する現象に、幸せをみつけ、そして感謝ができる。
人生のシナリオに気づける人でありたい。
運命好転十二条: 「天運」を味方にする方法 (知的生きかた文庫 こ 32-3)
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