安岡正篤師の心に響く言葉より…

 

 

六十になっても、 六十になっただけ自己を変化創造してゆく。 

 

六十にして六十化し、 七十にして七十化し、 八十にして八十化す。 

 

生きている限りは創造変化してやまない。 

 

これが自然の本体であり、 人生の本体である。 

 

(安岡正篤)

 

 

 

 

昔、中国の衛(えい)という国に、蘧伯玉(きょはくぎょく/中国春秋時代の政治家)というすぐれた大夫(たいふ)がいました。

 

人は普通、年をとるとともに停滞していくものです。

 

しかし、彼は何歳になっても生きているかぎり自分を新たにするという人生態度を一貫させた人です。 

 

 

①《何歳になっても修養していく》 

 

『淮南子(えなんじ)』は「行年五十にして四十九年の非を知る」と伯玉を評しています。 

 

五十歳になったら、これまでの四十九年間を振り返って、その誤りに気づき、正していく。

 

何歳になっても、さらなる修養をしていくということです。 

 

 

②《何歳になっても絶えず生き方を変えていく》 

 

また、『荘子』には「行年六十にして六十化す」(則陽篇)とあります。

 

伯玉は六十歳にして六十回も自分の生き方を変えてきました。

 

毎年生き方を変えようとするのですから、人はいくつになっても、これでよいというゴールに達することができません。

 

新しい生き方は何歳になっても創造できるのです。

 

 

 

安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉 (East Press Business)

安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉 (East Press Business)

 

 

 

 

 

 

「自彊不息(じきょうや)まず」という、易経の言葉がある。

 

自らすすんでつとめ励んで怠らないことをいう。

 

いくつになっても、常に、努力し、勉強し続けることだ。

 

 

論語の中にもこういう言葉が出てくる。

 

「無倦(むけん)」。

 

倦(う)むことなかれ、ということ。

 

倦むとは、途中で、嫌にならず、あきることなく、コツコツと続けること。

 

 

「六十にして六十化す」とは、60歳になっても変化し続けるということ。

 

同様に、生きている限りは、70歳になろうが、80歳なろうが、変化し続け、進歩し続けなければならない。 

 

それが、「一生勉強 一生不悟」ということ。

 

 

 

『もっとも卓越した人々は、自己研鑽や、勉強をやめなかった人々、今もやめない人々のことである。 

 

苦労なくしては何も得られない。 

 

人生は永久に勉強である。』 (フランスの詩人・思想家 シャルル・ペギー)

 

 

「生きている限り変化し続ける」

 

いくつになっても、勉強し続ける人でありたい。

 

 

 

安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉 (East Press Business)

 

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