行徳哲男師の心に響く言葉より…

 

 

 

九州の佐賀に「葉隠」という教えがあります。

 

「武士(もののふ)の道」という。

 

その「葉隠」の教えは、鍋島藩にいた山本常朝(つねとも)という侍が記したものですが、その中で「侍は“四つの請願”を持て」と言っているんです。

 

 

侍であるためには、まず第一番に「真剣であること」と言っています。

 

真剣さがないと侍にはなれない。

 

それも「その真剣さは深刻さと違うぞ」と言っているんです。

 

やはり、明るくないとね。

 

何かの悲劇の主人公のようにして生きるのが真剣ではないぞとね。

 

明るく伸び伸びと真剣であれ、と。

 

 

で、二番目が忠誠です。

 

何か、「この人のためなら、この国のためなら」ということがない限り侍とはいえないと言っている。

 

 

三番目が「親孝行」、親孝行ができないと侍ではない。

 

そして、四番目が「慈悲」なんです。

 

やはり、思いやりとか、優しさがないと侍ではないよと言っているんです。

 

慈悲とは母親のような温容な心のことでしょうね。

 

 

世間の人は侍というと血刀下げて人を切るのが侍だという印象を持ちがちですが、そうじゃない。

 

侍の武士の「武」という字は、中国の古い文字からきているわけです。

 

で、あれは中は「とどめる=止」なんです。

 

外側は「ほこ=戈」ですから、「ほこをとどめる人が侍」です。

 

 

つまり、平和を目指す人が侍なんです。

 

平和を邪魔する人と戦えというのが「葉隠」の教えです。

 

 

ところが、日本ではそういう教えがだんだんとカビが生えてきた。

 

そういう失いかけている日本の宝のようなものを掘り起こしていかないと。

 

 

この常朝のいう「四つの誓願」というのは「気骨」というものの本質でもあると思うんです。

 

気骨というのは何も肩肘張ったものではなくてね、足柄山の金時の歌の中に「気は優しくて力持ち」というのがあるが、それが気骨ということだろうと思います。

 

金時の歌は「力とは優しさ」だといっている。

 

優しさというのは勇気とつながると思います。

 

 

随処に主となる―自分の人生を自分が主人公として生きる (活学叢書)』致知出版社

 

 

 

 

 

 

『気骨のある人は 困難に対して特別な魅力を感じるものだ。 なぜなら困難に立ち向かってこそ、 自分の潜在能力に気づくのだから』(シャルル・ド・ゴール/フランス第18代大統領) 

 

どんな困難に出会っても逃げずに淡々と対処できる人と、たいした困難でもないのに悲鳴を上げ、愚痴や泣き言をいって逃げ回る人がいる。 

 

気骨があるかないかだ。 

 

気骨がある人は、肚ができている。

 

 

 

「人生に対して覚悟を決めること。覚悟を決めない限り、真の人生は始まらない」(藤尾秀昭)

 

覚悟を決め、肚をくくること。

 

 

すると、気骨という心棒ができる。

 

優しさと気骨をあわせもつ人でありたい。

 

 

 

随処に主となる―自分の人生を自分が主人公として生きる (活学叢書)

 

■メルマガの登録と解除はこちらから

http://hitonokokoro.com/

 

■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪

http://www.facebook.com/hitonokokoro

 

■【人の心に灯をともす】のブログはこちら

http://ameblo.jp/hiroo117/

 

■Twitterはこちらから

https://twitter.com/hiroo117