小林正観さんの心に響く言葉より…

 

 

 

私たちが、身の回りにうれしい、楽しいことを起こしたいと思ったら、ただひたすら喜んで、うれしがって、幸せだ、ツイてると思うこと。

 

そうすると神は、人間を喜ばせたくてしょうがない存在なので、喜べば喜ぶほど、もっと喜ばせてくれる。

 

 

しかし、してあげたにもかかわらず、何の感動も喜びもないと、「じゃあ、この分は喜ぶ人のところへ持っていこう」ということになります。

 

喜び方の達人に対して、この「神」という方が、その喜びの内容をグレードアップしたくなるようなのです。

 

 

《「喜ぶ人を喜ばす」のが神様の特性》

 

 

宇宙を貫く幸せの法則』致知出版社

宇宙を貫く幸せの法則

 

 

 

 

 

 

「喜べば 喜び事が 喜んで 喜び連れて 喜びに来る」

 

という言葉がある。

 

 

たとえば、会社もそうだが、会社以外でもボランティアの組織に入っていて、そこの上司や同僚、日頃の運営など、文句ばかり言う人がいる。

 

昔の丁稚(でっち)奉公でもあるまいに、強制的にそこに居なければならない理由は一つもない。

 

文句をいうなら、辞めればいいのだ。

 

 

その文句を聞かされている周りの人はたまったものではない。

 

気分が悪くなる。

 

「喜ぶ」の真逆にある行為だからだ。

 

 

「この会社(会)に入ってホントによかった。楽しいことが次々起こる」「うれしい、楽しい」と喜んでいる人を見ると、まわりの人は本当に気持ちがいい。

 

つまり、そういう人を見ると神様も喜ぶが、まわりにいる人も喜ぶ。

 

そして、その人をもっと喜ばせようと思う。

 

そんなに喜んでくれるなら、もっと喜んでもらうことをしよう、と。

 

 

 

どんな小さなことでも…

 

ただひたすら喜ぶことができる人でありたい。

 

 

 

宇宙を貫く幸せの法則

 

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