安岡正篤師の心に響く言葉より…

 

 

 

 

 

「あれは器量人だ」という言葉が通俗用語になっておりますが、これは人間の具体的存在を器という字で表現しているもので、人間の大きさ、深さを量る言葉として用いている言葉であります。 

 

あれは頭が良い、よく出来る。

 

けれども人を容れない。

 

人を用いる量がない。

 

深みがないなどといわれる人があります。

 

度量、 器量ということが良く考えられなければならないわけです。 

 

 

 

もう一つ人物の応対辞令という言葉がありますが、応対というのは、いろいろな問題に応じてきびきびと処理してゆくことであり、辞令とは事に対して自分の考えを適確に表現してゆくことです。 

 

この応対辞令は大変大事でありますが、 俄か仕立てではどうにもなりません。

 

結局平素の修業に俟(ま)つほかはないのであります。

 

 

安岡正篤一日一言』致知出版社

安岡正篤一日一言

 

 

 

 

 

 

 

器量の小さい人は、些細(ささい)なことですぐ怒る。

 

自分がないがしろにされた、オレはこんなに偉いのに、と威張ったりする。

 

また、レストランで料理の出るのが遅いとか、後輩なのに挨拶がないとか、上司の自分に相談がなかったとかで、イライラしたり、キレたりもする。

 

「自分をもっと認めてほしい」、という心理が根底にあるからだ。

 

 

斎藤一人さんは、自分で自分の機嫌を取る事ができない人は、人に機嫌をとってもらおうとする、という。

 

それが、器量の小さい人。

 

 

また、「応対辞令」の基本は「挨拶」にある。

 

挨拶は本来禅で使われる言葉で、相手に迫ったり切り込んだりという、押したり引いたりの問答をして、相手の力量をはかるという意味あいがある。

 

つまり、挨拶は真剣勝負。

 

挨拶ひとつで、相手の気持ちや力量も分かる。

 

 

また、器量と応対辞令に共通する、大事な考え方に「出処進退」がある。

 

特に、「退」においては人間性が出る。

 

いくじがなくて、未練がましい人は、地位やポストにしがみつく。

 

しかし、できた人間は、さらりと退く。

 

執着をきっぱりと捨て去ることができる人だ。

 

 

自らの器量を大きくし…

 

人としての応対辞令を身につけたい。

 

 

 

安岡正篤一日一言

 

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