行徳哲男師の心に響く言葉より…
孔子は喜怒哀楽の激しい人だった。
「憤(いきどおり)を発して食を忘れ、楽しみて以(もって)
そのときの様子は「慟哭」
四大聖人の一人と崇(あが)
喜怒哀楽してこそ悟りなのではないか。
蘇東坡(そとうば)が師匠の仏印禅師に「仏とはいかなるものか」
すると仏印禅師 は「仏もまた一個有血的男児」と答えた。
つまり、血の気が多くなったときに仏性が出るというのである。
燃えているときには仏になる。
冷めている人間はサタンである。
燃えることが生きることなのである。
『感奮語録 』致知出版社
「よく人は学問とか修業とかいう事を間違って、
それでは学問・修業というものは非人間的なものになってしまう。
学問を為(な)す要は、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、
我々は、人間のできた人、尊敬に値するような人物は、
しかし、喜怒哀楽がないということは、
どんなに情報があり知識があろうと、
人間の究極の魅力は、喜怒哀楽にある。
仏陀も今の我々からみると同じで、喜怒哀楽を表さないような冷(
しかし、あれだけ多くの人たちを惹(ひ)きつける仏陀が、
まさに「仏もまた一個有血的男児」なのだ。
多感で、血の気の多い、
冷めている人間はサタンだからだ。
燃えることが生きること…
喜怒哀楽多き、熱き人でありたい。
■メルマガの登録と解除はこちらから
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
http://www.facebook.com/
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
■Twitterはこちらから