多摩大学名誉教授、樋口裕一(ゆういち)氏の心に響く言葉より…

 

 

日本人の読解力が落ちている!

 

そのようなことが話題になる。

 

先ごろ、教科書を読み取れないために、科目の内容を理解できず、数学の問題を解けない生徒が話題になったが、それは教育に携わっている人間にとっては、今さら驚くほどのことではない。 

 

 

新聞を読めない。

 

記事の内容が難しくて理解できないだけではない。

 

「天声人語」などのエッセイも文意を理解できない。

 

筆者の主張を正反対にとらえる生徒もかなりいる。

 

文中でたまたま目についた箇所をその文章の主張だと思い込む生徒も多い。

 

 

教科書ももちろん理解できない。

 

家電の取扱説明書も理解できない。

 

それどころか、多くの若者がものを読んで理解するという行為を苦手としている。 

 

教科書や学習参考書は文字が大きくなり、図版が増え、急激に文章による情報を減らして、わかりやすくなっている。

 

だが、それでも理解できない生徒が増えているので、ますます易しい教科書や参考書が求められるようになる。 

 

 

学習参考書の出版社は競って易しい言い回しの読みやすい本を作ろうとする。

 

それでも理解できる人が減っている。 

 

私は大学受験小論文の指導をしているが、実感としては、新聞記事や教科書をほぼ誤りなく理解して読める高校生は難関校と呼ばれる大学に合格できるレベルの生徒たちだ。

 

そのような難関校に届かない生徒の大半は、易しい文章であってもしばしば読み取れないことがあると考えて間違いない。 

 

 

なぜ、読解力が落ちているか。 

 

言うまでもないことだが、読書量の決定的な不足がその原因だろう。 

 

スマホが普及する前は、あれこれ言われながらも、日本人はそれなりには本を読んでいた。

 

少なくとも新聞を読み、雑誌を読んでいた。低俗な雑誌や新聞も多かったが、ともあれまとまった文章を読んでいた。

 

大ベストセラーになる書籍もしばしば現れた。

 

読書が趣味という人は大勢いた。

 

小説が多くの人の話題になっていた。 

 

 

だが、今ではそのようなまとまった文章を読む人は少ない。

 

新聞は発行部数を大幅に減らし、雑誌の多くが廃刊に追い込まれている。

 

電車の中でも、新聞や文庫本などを読んでいる人を見かけることはほとんどない。

 

乗客のほぼ全員がスマホをのぞき込んでいるというのは、今はごく日常的な電車内の光景だ。 

 

 

ネット内を駆け巡る文章は、短文がほとんどだ。

 

複雑な状況を語ったり、深い思念を語ったりする文章はネット内にはみあたらない。

 

一目で理解できるような文章だけが幅を利かせている。 

 

これでは読解力が養成されるはずがない。

 

 

多くの若者が学校の教科書と試験くらいでしか文章を読まない。

 

文章を読む習慣を持っていない。 

 

しかし、言うまでもないことだが、現在でも文章を読むことは大事だ。 

 

文章を正確に読み取れないと、人の意見を理解することができない。

 

日常生活での会話さえもしばしば誤解するといったことが起こるだろう。

 

人の語っていることが理解できず、大きく曲解してトンチンカンなことを言う人がいるが、それは読解力のない人だ。

 

きっとそんな人は周囲からバカな人間と思われているだろう。 

 

いや、そもそも文章を理解できないと、日常生活に支障をきたす。

 

 

役所からの知らせ、銀行からの通知さえも理解できないことになる。

 

そして、そもそも読書という、人類が数百年前から行ってきた最大の楽しみを味わうことができないことになる。

 

文学作品を理解できず、ミステリーの醍醐味を知らず、恋愛小説の恍惚も知ることができない。

 

そして、それ以上に、文章をしっかり読まないと、この複雑な現実世界を理解することができない。

 

簡単な図式や数百字の文字で人間の心や社会のあり方を理解することはできない。

 

 

現在起こっていることを理解し、その複雑な関係を把握し、これから先の行動について推論し、自分の意見をまとめるには、新聞を読み、専門誌を読み、専門書を読みこなす必要がある。

 

それができてこそ、現実を分析し、将来についての展望を持つことができる。

 

それができてこそ、専門家の意見を参考にして自分の考えをまとめることができる。

 

 

言うまでもなく、文章は思考そのものの跡を示す。

 

文章をたどれないということは、他人の思考をたどれない、つまりは他人の思考について思考できないということにほかならない。言い換えれば、自分で考えることができないということでもあるだろう

 

 

「頭がいい」の正体は読解力 (幻冬舎新書)

「頭がいい」の正体は読解力 (幻冬舎新書)

 

 

 

 

 

 

樋口裕一氏は「クレーマー」についてこう語っている。

 

 

『クレーマーの多くは、読み取りができないために、自分が正しいと信じ、周囲の常識的な読み取りが理解できずに、孤独な攻撃をしているのではないか。

 

クレーマーといわれる人たちに読解力テストをしたら、惨憺(さんたん)たる結果がでるのではないか。

 

クレーマーが増えているといわれる。

 

もちろんそれには、読解力のない人が発信する手段を得たこと、以前は片隅で押し黙っているしかなかった人が権威に対して発信してもよいという意識を持つようになったことが原因として挙げられるが、もう一つ、読解力の低下という問題もあるのではないか。

 

逆に言えば、読解力をきちんとつけ、文書を読み取れるようになれば、状況も人の心も今より読み取れるようになり、多くの人が周囲と健全なコミュニケーションが取れるようになるのではないか。』

 

 

確かに、ブログなどでも、「文意を理解していない」、「曲解している」、「全部最後まで読んでいない」とみられるコメントが少なからずある。

 

その極端な例がクレーマーだ。

 

 

読解力の低下は読書をしなくなったためだと言われる。

 

読解力は単に本を読むだけでは身につかない。

 

実際に自分で書いてみることも読解力を高めることには必要だ。

 

自分で書くことで、微妙な表現力や単語力も増し、レベルアップする。

 

それが読解力には大きな力となる。

 

 

読書を重ね…

 

読解力を高めることができる人でありたい。

 

 

 

「頭がいい」の正体は読解力 (幻冬舎新書)

 

■メルマガの登録と解除はこちらから

http://hitonokokoro.com/

 

■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪

http://www.facebook.com/hitonokokoro

 

■【人の心に灯をともす】のブログはこちら

http://ameblo.jp/hiroo117/

 

■Twitterはこちらから

https://twitter.com/hiroo117