明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
《「自分が必要とされている」と思える場所がありますか?》
「自分が必要とされている」と思えることは、
充実感、自己肯定感が湧き、生きる意欲にもつながります。
たとえば、
あるいは、子どもが成長して自分たちの世界ができ、
「やっと自分の時間ができる」とホッとする――とは限りません。
むしろ自分が必要とされなくなっていくことへの一抹の寂しさを感
私たちは日常さまざまなかたちで人との「関わり」
当たり前のこととしてあった「関わり」や「関係性」
人間は、やはりつながっていたい、
自分の担っていた何かの役割が終わって心寂しさを感じるようなこ
よくないのは、「
それがエスカレートしていくと、「必要とされない自分には、
「必要とされる」ことを受動的に捉えるのではなく、「
人と人、何かと何かをつなぐために自分にできることを探す。
血のめぐりもそうですが、
地域のボランティアのようなニーズはたくさんあります。
自分は社会における血液のようなもの、「血の一滴」
社会の血液として、役割を果たすことができていると思えたら、
『人生後半の幸福論 50のチェックリストで自分を見直す (光文社新書)』
人生の後半生は捨てていく人生だという。
会社や組織でもリーダーとしてバリバリ引っ張っていく意識を捨て、
子供は独立し、子供と一緒にどこかへでかけたり、
親や、長年の友人との決別。
体力や気力、若さや美しさなどへの、「若い頃と同じ」を捨てる。
すると徐々に「自分が必要とされる場所」が少なくなってくる。
しかし、前半生のときから、「頼まれごと」
「頼まれごと」は、人が「この人ならきっとできるはず」
後半生になると、「世のため人のため」という人に喜んでもらう「頼まれごと」が増えてくる。
そしてもし、後半生に「頼まれごと」が少ないなら、「
人生の後半生…
自分が必要とされている場所がある人は幸せだ。
人生後半の幸福論 50のチェックリストで自分を見直す (光文社新書)
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