明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…

 

 

 

《「自分が必要とされている」と思える場所がありますか?》 

 

 

「自分が必要とされている」と思えることは、人間にとって大きな喜びです。 

 

充実感、自己肯定感が湧き、生きる意欲にもつながります。 

 

たとえば、仕事でこれまで自分がリーダーとして進めていたプロジェクトの中心が後輩や部下に移り、オブザーバー的な立場になってしまったとき。

 

あるいは、子どもが成長して自分たちの世界ができ、休日を親であるあなたと一緒に過ごさなくなったとき。

 

 

「やっと自分の時間ができる」とホッとする――とは限りません。

 

むしろ自分が必要とされなくなっていくことへの一抹の寂しさを感じるものです。

 

 

私たちは日常さまざまなかたちで人との「関わり」を持っていますが、ふだんはそのことをあまり意識していません。

 

当たり前のこととしてあった「関わり」や「関係性」に変化が生じて初めて、今まで自分が必要とされていたことに気づくのです。

 

人間は、やはりつながっていたい、社会から必要とされていたいもの。 

 

 

自分の担っていた何かの役割が終わって心寂しさを感じるようなことがあったら、「役割を果たせそうな場所」を新たに見つけましょう。 

 

よくないのは、「自分は世の中から必要とされていないのではないか」と考えすぎて、内にこもってしまうことです。

 

それがエスカレートしていくと、「必要とされない自分には、価値がないのではないか」といった考えにまで陥ってしまいます。 

 

 

「必要とされる」ことを受動的に捉えるのではなく、「自分が何か役に立てることは あるか」「世の中に貢献できることは何か」という視点を持つことが大切です。 

 

人と人、何かと何かをつなぐために自分にできることを探す。

 

血のめぐりもそうですが、人のつながりも滞ってしまうとよくないので、流れをよくする、めぐりをよくすることが大事です。

 

地域のボランティアのようなニーズはたくさんあります。 

 

自分は社会における血液のようなもの、「血の一滴」だと考えてみてください。

 

社会の血液として、役割を果たすことができていると思えたら、あなたは大丈夫。

 

 

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人生の後半生は捨てていく人生だという。

 

会社や組織でもリーダーとしてバリバリ引っ張っていく意識を捨て、サポートしたり応援したりする側にまわらなければならない。

 

子供は独立し、子供と一緒にどこかへでかけたり、遊んだりという珠玉の時間を捨てていく。

 

親や、長年の友人との決別。

 

体力や気力、若さや美しさなどへの、「若い頃と同じ」を捨てる。

 

 

すると徐々に「自分が必要とされる場所」が少なくなってくる。

 

しかし、前半生のときから、「頼まれごと」をこころよく引き受けていた人は、後半生になっても「頼まれごと」は続き、別の「必要とされる場所」が増えてくる。

 

 

「頼まれごと」は、人が「この人ならきっとできるはず」と思ってくれたこと。

 

後半生になると、「世のため人のため」という人に喜んでもらう「頼まれごと」が増えてくる。

 

そしてもし、後半生に「頼まれごと」が少ないなら、「自分が何か役に立てることは あるか」「世の中に貢献できることは何か」と、積極的に自分から出かけること。

 

 

人生の後半生…

 

自分が必要とされている場所がある人は幸せだ。

 

 

 

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