作家・禅僧、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)
多重人格障害というものをご存じですか。
最近は、解離性同一性障害という云い方をされます。
多重人格障害というのは、よく考えてみると、
幾つもの人格、幾つもの顔を持っているのですから。
多重人格障害の話を少ししますと、まず主人格がいます。
主人格がいますが、すごく辛いことがあって、その「私」
二十七人格とか、三十二人格という人もいますけれども、
つらいことに「私」は耐えられないけれども、
そこで、別な人格が出てきて交代してくれます。
そして、同じ身体を使って別人格が耐えてくれるのです。
困ったことに、そのことを主人格は記憶していません。
交代人格が出てきたときの記憶を、主人格は持っていないのです。
ところが、交代人格のほうは主人格の行動や考えていることまで、
私のところに電話をしてくる方で、
やさしそうな女性の声で電話をかけてくるのです。
でも、途中からガラッと変わります。
そのとき出てくる交代人格は男性だと思います。
それからまた別な女性に代わって、もう一人に代わった辺りで、
人格が変わったときに、とても不思議なことが起こります。
たとえばその人の場合 は、主人格は四十代後半なので老眼です。
ところが交代人格の中に、十五歳ぐらいの少年が一人います。
その人格が出てきたときには、老眼鏡がいらなくなるのです。
ここが凄いと思いませんか?
他の人格が出てきたときは、もともと右利きなのに、
主人格は右利きですが、同じ身体を別人格は左利きに使うのです。
それから、交代人格の中には、
外国語はともかく、老眼だけでもいいから肖(あやか)
この同じ身体を使う人格が代わったら、
我々は、年をとって筋肉も硬くなっているということを、
あるいは老眼鏡で補ったりします。
しかし、多重人格ではその必要がないのです。
人格が変われば、老眼が治るのですから。
人間には、こういう不思議な力が備わっているのですね。
『流れにまかせて生きる 変化に応じる「観音力」の磨き方』PHP
本書の中に「体は空っぽである」という興味深い文章があった。
『多重人格というのは極端な例ですけども、実は、
人格が入れ替わる器である体(からだ)は、「体(たい)」
人偏(にんべん)に本(もと)と書いて体(からだ)です。
ところで、なぜ「からだ」と読むのでしょうか。
おそらく「空(から)」だからです。
体そのものが、空っぽなのです。
体そのものは空っぽで、
「空(から)」は、仏教でいうと「空(くう)」に通じます。空(
だから、あなたの眼球そのものに、老眼があるのではない。
眼球を使っている何かが問題なのです。
眼球を使っている何かが、
気の持ちようといった問題ではなく、
もし、人格が入れ替わったとき、老眼が治るなら、
これは、「意識や言葉を変えたとき、がんや、認知症、
人の意識や言葉にはとてつもない大きな力がある。
体(からだ)は「空(から)」だ、という。
つまり、体を使うのは魂。
魂を磨き、人格を高めることができる人でありたい。
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