筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…
最新のコンピュータに「どんな人間が最後に生き残るか」を推測させたところ、「力の強い人、自分のことを優先させて考える人、競争に勝ち抜いていく人」などという大方の予想を裏切って「譲る心をもった人」という回答が出てきたという話があります。
これはいったい何を意味しているのでしょうか。
「他人のためを第一に考える人が結局報われる」ということではないでしょうか。
このことは遺伝子のはたらきからも納得のできることです。
人の心は「他人のため」に献身的に努力しているとき理想的な状態ではたらく。
よい遺伝子がONになるのです。
だから他人のために何かをすることほど、自分に役立つことはありません。
自分の心を充実させたかったら、人の心を充実させてあげ、自分が成功したかったら、人の成功を心から望む。
こういう生き方をすればよいのです。
これは、子供の幸せな姿を見て安心し、自分のことよりも子供のことを考えて生きている親心と同じです。
親は自分だけの喜びよりも、子供の笑顔を見たときのほうが、その幸福感は倍増します。
ところが競争原理が勝った世の中では、なかなかこういう生き方はできません。
人を押 しのけてでも勝とうとしないと負けてしまう。
負ければ敗残者として顧みられなくなる。
だからみんなが競争で勝とう、勝とうとしています。
たしかに産業革命以後の社会は、ダーウィン進化論の世界であったかもしれません。
強いものが勝って生き延び、弱いものは淘汰されていく。
だが、そのような社会ができあがったのは、もとを正せばダーウィン進化論が「正しい」という前提があったからです。
人類は百年以上もの間、生存競争に勝ち抜いたものが生き残るというダーウィンの説を主流においてきましたが、科学が進歩して生命の仕組みが解明されるにつれて、まったく違った考え方が大きく浮上してきているのです。
その一つに共生的進化論というのがあります。 人間にかぎらず生物は、お互いに助け合いながら進化したという考え方です。
この説によって進化を説明すると、おおよそ次のようなことになります。
原初の海に大腸菌のように細胞内に核をもたず、しかも細胞一個で生きている単純な生物がいた。
その単純な細胞が核をもつ一段上の細胞に進化するとき、どういうことが起こったか。
それまで存在していたいくつかの単純な細胞やその一部が、争うのではなく合体して一つの新しい細胞を形成したのです。
つまり細胞同士が協調的なはたらきをすることで、複雑なはたらきをする細胞ができあがっていった。
けっして強いものが弱いものをやっつけるというかたちで生まれたのではなく、それぞれ独自のはたらきをする単純な生命体が、互いに助け合ってつくり出されたと考えるのです。
産業界でも最近はお互いが協力しての提携や合併が盛んに行なわれていますが、似たようなかたちで細胞が進化を遂げたというのは、いわれてみればありそうなことです。
それからもう一つ、生物が争うよりも協調することで、進化してきたことをうかがわせる考え方があります。
それは、地球そのものが生きている一つの大きな生命体であり、進化を遂げてきたとする学説です。
これは、対立と抗争、分断と個別化を、進歩や進化の原動力と見なすのではなく、助け合い、譲り合い、分かち合いの三つの「合い」が、本当の進化の原動力だとする考え方なのです。
この学説はイギリスの生物物理学者のジェームス・ラブロックという人が唱えた「ガイア仮説」と呼ばれているもので、この考え方は各分野の人々に大きな影響を及ぼしつつあります。
村上和雄氏は本書の中で、「なぜ、ひとのため」なのかについてこう述べている。
『科学の世界のこうした新しい流れは、従来の生物学の枠組みを乗り越えて「生物とは何か」をあらためて問いかけているのです。
なぜ、そういうことが必要かといえば、ダーウィン進化論を背景に発展した近代工業社会がもたらしたものが、けっして人類にとってよいものばかりではなかったからです。
たしかにスピードと便利さと快適さを提供してくれましたが、一方で環境汚染や破壊も大規模に進み、このままでは地球生命を危うくしかねない。
「どこかおかしいのではないか」と思って当然なのです。
ダーウィン進化論と異なる新しい考え方の特徴は、いずれも共生的な立場をとっていることです。
以前はこういう考え方は、もしだれかが発表しても、なかなか受け入れられなかったと思います。
実際、先に紹介した「共生的進化論」は雑誌に掲載されるまで十二回も拒否されたそうです。
そうした考え方が今日にいたって注目を集めるようになったのは、そこで主張されていたことが、科学的にうなずけるところまで科学が進歩したからです。
たとえば生命体が弱肉強食でなく、共生的であるということは、人間の細胞のはたらきをみるだけでうなずけることなのです。
個々の細胞はつねに全体に奉仕するかたちではたらいている。
そして全体は個々の細胞が生きられるようにコントロールしている。
その姿は、自然の世界の理想的なあり方をそのまま体現しているのです。
「人のために」を実行するとなぜ報われるのか。
それは自然の姿そのものであり、自然体こそが最適な生き方の選択といえるからです。』
「生き残る種とは、最も強いものではない。 最も知的なものでもない。 それは、変化に最もよく適応したものである」
というのが、ダーウィンの進化論だといわれる。
経営の教科書などに書いてある「変化できないものは淘汰される」という解釈だ。
これは、経営的にいうなら、しごくまっとうな名言だ。
しかし、生物の進化論では、かなり違う考え方が出てきている。
それが「共生的進化論」。
戦うのではなく、協調し、助け合って(企業でいうなら提携し、合併をくりかえして)、細胞が進化を遂げたという説。
もう一つの説、「ガイア仮説」も同じだ。
まさに、最後に生き残る人々は「譲る心を持った人」という言葉とシンクロする。
今、経営の世界でも、競争原理という「比較の世界」だけでこの先やっていけるのか、という考え方もある。
人の幸・不幸の感情は、すべて、「人と比べること」「競う心」「戦う心」「争う心」から始まると小林正観さんはいう。
幸せを手に入れたければ、それらをやめればいい、と。
最後に生き残る人々は「譲る心をもった人」、という言葉を胸に刻みたい。
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