池波正太郎氏の心に響く言葉より…

 

 

 

睡眠は一種の「仮死」といってよいだろう。 

 

人びとは、毎夜に死んで、翌朝に生き返る。 

 

生きるためには前夜の死が必要というわけだ。

 

 

何とおもしろいではないか。 

 

そして、生きものの営みとは、何と矛盾をふくんでいることだろう。 

 

生きるために食べ、眠り、食べつつ生きて、確実に、これは本当の死を迎える日へ近づいてゆく。 

 

おもしろくて、はかないことではある。 

 

 

それでいて人間の躰は、たとえ一椀の味噌汁を味わっただけで、生き甲斐を おぼえるようにできている。 

 

何と、ありがたいことだろう。 

 

ありがたくて、また、はかないことだ。 

 

私の仕事―池波正太郎自選随筆集〈2〉 (朝日文芸文庫)

 

 

 

 

 

 

 

おもしろくて、ありがたい (PHP文庫)

おもしろくて、ありがたい (PHP文庫)

 

 

 

 

 

 

人は何で自分をみがくか。

 

それは、「人間は死ぬ...・・・・・」 という、この簡明な事実をできるだけ若いころから意識することにある。

 

もう、そのことに尽きるといってもいい。

 

何かにつけてそのことを、ふっと思うだけで違ってくるんだよ。

 

自分の人生が有限のものであり、残りはどれだけあるか、こればかりは神様でなきゃわからない。

 

そう思えばどんなことに対してもおのずから目の色が変わってくる。 

 

そうなってくると、自分のまわりのすべてのものが、自分をみがくための 「みがき砂」だということがわかる。

 

逆にいえば、人間は死ぬんだということを忘れている限り、その人の一生はいたずらに空転することになる。 

 

仕事、金、時間、職場や家庭あるいは男と女のさまざまな人間関係、それから衣食住のすべてについていえることは、「人のみがき砂として役立たないものはない...............」 ということです。

 

その人に、それらの一つ一つをみがき砂として生かそうという気持ちさえあればね。

 

男の作法(新潮文庫)

 

 

 

 

人は死を意識したときだけ、生について真剣に考える。

 

いつか死ぬ、ということを忘れている人間は、生を鮮やかに生きることができない。

 

「酔生夢死」という、ただ生きているだけのぼんやりした一生を終えることになる。

 

 

「めしを喰って、静かに息をついていたら、いつの間にか日が暮れて、気がついた時は墓場の中」(相田みつを)

 

 

森信三先生は、「一日は、一生の縮図なり」といった。

 

 

すべてのできごとは自分の磨き砂…

 

今日ただいま、この一日を、目の色を変えて真剣に生き抜きたい。

 

 

 

おもしろくて、ありがたい (PHP文庫)

 

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