植西聰(あきら)氏の心に響く言葉より…
《「驚く」「感動する」ということが、 「智」というものを愛し求める者の 原動力になる。
「智」を求めること、 つまり「哲学」の始まりは、ここにある。》 (プラトン・紀元前5~4世紀/古代ギリシャ)
知的好奇心というものは、「なんてすばらしいんだろう」と感動したり、「これは何なのだろう」と驚いたりすることをきっかけにして始まり、また、深まっていきます。
たとえば、ある人は、空に虹がかかっているのを見て、「なんてすばらしいんだろう」と感動しました。
そして、「どうして虹ができるんだろう」と不思議に思い、気象に関する勉強を始めたのです。
そうして勉強していくうちに、気象のことがどんどん面白く感じられてくるようになりました。
そして、気象の勉強をすることが生きがいになり、やがて、気象予報士の資格も取ったといいます。
この事例のように、知的好奇心を深めていくということは、その人にとって生きがいや、生きる喜びになっていきます。
では、どうすればそんな知的好奇心を持てるのかと言うと、プラトンが指摘 しているように、日常生活の中で「驚く」「感動する」ということを経験することです。
何を見ても、何を聞いても関心を持たず、無感動でいる人は、知的好奇心を持つきっかけを作ることができません。
多くのことに感動し、知的好奇心を深めていくことが、人生を楽しいものにしていくのです。
《驚きと感動が知的好奇心を深める》
『人生を動かす 哲学者の言葉』永岡書店
行徳哲男師は「驚くこと」についてこう述べている。
『「武蔵野」を書いた国木田独歩の短編小説に、「牛肉と馬鈴薯」という作品がある。
その中で主人公が一番の願い事としていること、それは政治家になることでもない。
事業家になることでもなければ、哲学者になることでもない。
もしこの願いさえ叶えられるならば、他は何もいらないと言っているもの。
それは、どんなことにでも「ハッ!」と出来る人間になることである。』
子供の頃は、さまざまな事に「ハッ!」としたり、感動したりした。
それが大人になるにつれ、「ハッ!」とするという「驚愕(きょうがく)」や、感動することが少なくなってしまう。
驚愕や、感動が多い人は、子供のような感性を失っていない人だ。
いつも、ワクワクしたり、ドキドキして、キラキラと輝いている。
そして、気づき多い人であり、一緒にいると楽しい人。
食事を共にしたり、旅に一緒に行くならこういう人がいい。
齋藤孝氏は「かつて向上心を持っていて、いまは向上心がなくなった人というのは、“知的好奇心の矢”が飛び終わった人である。」という。
つまり、「この人はもう終わったな」という情熱のなくなった人。
驚きと感動を忘れず…
知的好奇心を深め続ける人でありたい。
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