小林正観さんの心に響く言葉より…

 

 

 

私たちは生物学的に「ヒト」です。

 

人は一人で生きていると「ヒト」。

 

人は 人の間で生きていて「人間」。

 

 

つまり、多少なりとも役に立ったり喜ばれたりすることが人間としての役割であって、動物とは全然違う。

 

動物が集まって教室を開いて、どう生きるべきか、と話し合うことはないでしょう。

 

それをする のは「人間」だからです。

 


自分の思いを持てば持つほど、自分がどう駆け上がるか、向上心を持とう、という話になってきますが、結局は自分がどんなすごい人になるかということで、洗脳されています。

 

自分がどんなにすごい人になるかは関係ないから、全部それを投げ捨ててしまって自分が頼まれごとを受けていく。

 

それは間違いなく喜ばれている、ということです。
 

 

自分で達成目標を作って駆け上がっているときは、誰も喜んでくれていないのかもしれません。

 

頼まれごとは、必ず頼んだ人は喜んでくれているのだから、その頼まれごとの中で利己的に生きるのではなく、利他的に生きる。


その利他的も、人を何とかしてやろう、世のため人のために何とかしてやろう、という思いはないほうがよい。

 

喜ばれるように生きる、という方向は決めた。

 

自分はそのように淡々と生きるけれども、「なぜあなたもそのようにしないの」と矛先を周りの人に向けるのはやめましょう。

 

自分がどう生きるかだけ。

 

 

そして「私」が存在できるのは、ありとあらゆる肯定的な人、頼まれてもあれこれ言わないで「はい、分かりました」と言ってやりそうな人は頼まれごとが多い。

 

私たちは、自分の力や才能を磨いていきなさい、と学校教育で教わってきましたが、まったく違う価値観が宇宙にはあるのです。

 

 

それは、頼まれごとをしやすいような顔になって生きましょう、ということです。

 

頼まれごとをされにくい顔というのがあります。

 

「辛い、悲しい、つまらない、いやだ、嫌いだ、疲れた」

 

不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句というのをずっと言い続けている人は顔がそういう顔になります。

 

 

そして「嬉しい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、ついてる」という喜びの言葉をずっと言っていると、「ありがとう」と言ったときの笑顔が板に付きます。

 

そのありがとうを言ったときのにっこり笑った笑顔が本当に素敵な人になると、本当に頼みやすくなって、頼まれごとがたくさんくるようになります。

 

頼まれやすい顔になると、それだけで生きていける。

 

 

頑張って一生懸命努力して奮励努力して、自分がすごい人になりなさい、という方向ではないほうが、人間としての本質がまっとうできるみたいです。


そして自分がいかに周りの人から頼まれて使われていくか、というところに価値を切り替えてしまうと、人生が結構面白くなります。

 

自分が想像できないようなところに使われるので、自分の意志で駆け上っていく人とは全然違う楽しい人生が始まります。

 

 

ここに身をゆだねるということができるとものすごく面白い人生です。

 

そこに身をゆだねて、いろんな出来事に流されて翻弄されながら生きていくというのも、実は生まれながらのシナリオ通り。

 


自分で頑張っているうちはシナリオが見えてこないけれど、翻弄されて流されていくのは、ものすごく面白い。

 

この宇宙の仕組みを知って、使いこなしてみる と、頑張っていたときには見えなかった、楽しい人生が始まることでしょう。

 

 

喜ばれる 自分も周りも共に幸せ』講談社

喜ばれる 自分も周りも共に幸せ

 

 

 

 

 

「頼まれごと」、というと、「PTAの役員を頼まれる」とか「自治会の役を頼まれる」とか「講演を頼まれる」などと、ちょっと構えてしまうような「頼まれごと」を考えてしまう。

 

実際、そういう「頼まれごと」は、多くの人にとっては、何年に一回あるかないかくらいの希少な「頼まれごと」。

 

普通あるのは、家庭で、「(朝)、ゴミを捨てに行ってきて」とか「会社の帰りに、あれ買ってきてね」とか「玄関の掃除しておいてね」というような頼まれごと。

 

 

頼まれごとを気持ちよくやると、頼んだ人が確実に喜ぶ。

 

つまり、家庭での頼まれごとは、奥さん(夫)や家族が喜ぶ。

 

目の前の人が喜ぶということ。

 

逆に、頼まれごとを断る人は、自分中心の利己的な人。

 

 

会社や組織の中で、「この原稿を〇〇日までにお願いします」、「返事は〇〇日までに頼みます」というような「頼まれごと」を気持ちよく、しかも期限前に提出すると、本当に喜ばれる。

 

また、友人や知り合いから「〇〇の講演会があるから是非来て欲しい」「〇〇さんの誕生会に出席して!」「〇〇日のイベント、一緒に行こう!」「今度の〇〇日に食事会やるから来ない?」というような「頼まれごと」は多い。

 

時には、夜、急に、「今、ここで飲んでるから、是非来て欲しい」というような「頼まれごと」も。

 

「頼みやすい人」は「誘いやすい人」でもある。

 

 

そして、そういう「頼まれごと」を気持ちよく引き受けていくと、段々とパブリックな「頼まれごと」がやってくるようになる。

 

「みんなの前で話をして欲しい」とか「〇〇の役を引き受けて欲しい」とか、「〇〇のイベントを主催してほしい」とか、「あなたを〇〇さんたちに紹介したいから来て欲しい」等々だ。

 

すると、目の前の数人が喜ぶ段階から、多くの人が喜ぶという段階になる。

 

 

逆に、頼まれごとをどんどん断っていると、段々と頼まれなくなる。

 

すべてを断ったら、まったく頼まれごとがこなくなる。

 

頼みにくい顔、頼みにくい人になっているからだ。

 

 

そして同時に大事なのは、その人が、常に自分を磨き、アップデートしていて、「面白い人」でなければパブリックな誘いや頼まれごとはやってこない。

 

つまらない人は誘われないからだ。

 

これは、老若男女、年齢を問わない。

 

 

しかし、「頼まれごと」が来たら、必ずしも全部引き受けなければならない、ということではない。

 

「先約と重なっているとき」「お金が絡むとき」「自分の健康にかかわるとき」「反社会的なこと」等々は断ってよい。

 

もちろん、人が嫌がるようなこと、喜ばないようなことは断ってもいいのは当然のことだ。

 

 

利他の心を養うには、「頼まれごと」をニコニコして引き受けること。

 

 

 

喜ばれる 自分も周りも共に幸せ

 

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