小林正観さんの心に響く言葉より…
私たちは生物学的に「ヒト」です。
人は一人で生きていると「ヒト」。
人は 人の間で生きていて「人間」。
つまり、
動物が集まって教室を開いて、どう生きるべきか、
それをする のは「人間」だからです。
自分の思いを持てば持つほど、自分がどう駆け上がるか、
自分がどんなにすごい人になるかは関係ないから、
それは間違いなく喜ばれている、ということです。
自分で達成目標を作って駆け上がっているときは、
頼まれごとは、必ず頼んだ人は喜んでくれているのだから、
その利他的も、人を何とかしてやろう、
喜ばれるように生きる、という方向は決めた。
自分はそのように淡々と生きるけれども、「
自分がどう生きるかだけ。
そして「私」が存在できるのは、ありとあらゆる肯定的な人、
私たちは、自分の力や才能を磨いていきなさい、
それは、頼まれごとをしやすいような顔になって生きましょう、
頼まれごとをされにくい顔というのがあります。
「辛い、悲しい、つまらない、いやだ、嫌いだ、疲れた」
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、
そして「嬉しい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、ついてる」
そのありがとうを言ったときのにっこり笑った笑顔が本当に素敵な
頼まれやすい顔になると、それだけで生きていける。
頑張って一生懸命努力して奮励努力して、
そして自分がいかに周りの人から頼まれて使われていくか、
自分が想像できないようなところに使われるので、
ここに身をゆだねるということができるとものすごく面白い人生で
そこに身をゆだねて、
自分で頑張っているうちはシナリオが見えてこないけれど、
この宇宙の仕組みを知って、使いこなしてみる と、頑張っていたときには見えなかった、
『喜ばれる 自分も周りも共に幸せ』講談社
「頼まれごと」、というと、「PTAの役員を頼まれる」とか「
実際、そういう「頼まれごと」は、多くの人にとっては、
普通あるのは、家庭で、「(朝)、ゴミを捨てに行ってきて」
頼まれごとを気持ちよくやると、頼んだ人が確実に喜ぶ。
つまり、家庭での頼まれごとは、奥さん(夫)や家族が喜ぶ。
目の前の人が喜ぶということ。
逆に、頼まれごとを断る人は、自分中心の利己的な人。
会社や組織の中で、「この原稿を〇〇日までにお願いします」、「
また、友人や知り合いから「〇〇
時には、夜、急に、「今、ここで飲んでるから、是非来て欲しい」
「頼みやすい人」は「誘いやすい人」でもある。
そして、そういう「頼まれごと」を気持ちよく引き受けていくと、
「みんなの前で話をして欲しい」とか「〇〇
すると、目の前の数人が喜ぶ段階から、
逆に、頼まれごとをどんどん断っていると、
すべてを断ったら、まったく頼まれごとがこなくなる。
頼みにくい顔、頼みにくい人になっているからだ。
そして同時に大事なのは、その人が、常に自分を磨き、
つまらない人は誘われないからだ。
これは、老若男女、年齢を問わない。
しかし、「頼まれごと」が来たら、
「先約と重なっているとき」「お金が絡むとき」「
もちろん、人が嫌がるようなこと、
利他の心を養うには、「頼まれごと」
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