藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…

 

 

数年前、稲盛氏に近い人からこんな話を聞いたことがある。 

 

京セラがまだ創業間もない頃のことと思われる。

 

ある夏、社長の稲盛氏も参加して社員旅行が行われた。

 

近くに海があり、現地に着くや社員はこぞって海へ飛び出していった。

 

だが、一人だけ泳げない社員が取り残されていた。

 

 

稲盛氏は、「よし、俺と一緒に泳ごう。背中につかまれ」と彼を背中に乗せて沖に連れていった。

 

その社員は感激し、生涯この人についていこう、と決意したという。

 

稲盛氏が情の深い人であることを物語る話である。

 

 

稲盛氏の情の深さはただやさしいというだけではない。

 

根底に相手を成長させようという思いがある。 

 

だからこそ、その情は時には厳しさをもって発露する。 

 

 

盛和塾は経営哲学を学ぶ経営者の集いだが、その場である時、 氏は概要、次のような話をされている。 

 

 

「皆さんに心をきれいにすることの大事さを説いているが、不況や困難に立ち向かうには勇気が必要。

 

絶対に目標を達成するという気概が必要だ。

 

経営は意志である。

 

リーダーは目標に向かって、なり ふり構わず、闘争心、ガッツ、執念をもって立ち向かっていかな ければならない」 

 

 

 

稲盛氏がよく引用する言葉がある。アメリカの作家・フィッツジェラルドの言葉である。

 

「一流の知性とは、二つの相対立する考えを同時に心に抱きながら、 しかも正常に機能し続けられる能力をいう」 

 

つまり、相反する両極端を併せ持ち、それを局面によって使い分けられる人物こそ、真にバランスのとれたリーダーだというのである。

 

このリーダーとしての能力を状況に応じてフルに使い分けるこ とによって、稲盛氏は京セラを発展させ、KDDIを成功に導き、 日本航空の奇跡の復活を成し遂げたのだろう。 

 

 

稲盛氏のもう一つの大きな特長は、仕事に真剣に打ち込むことでつかんだ体験哲学、人生と経営を発展に導く原理原則を自分一人のものとせず、フィロソフィとして言語化し、社員だけでなく多くの人に伝えようとされた点にある。 

 

その原理原則を稲盛氏は折に触れ、説き続けた。

 

その実践に裏打ちされた言葉は一灯となり、多くの人々の心の闇を開いた。

 

氏の薫陶を受けた人たちの声が、それを如実に証明している。 

 

 

京セラの創業から日本航空の再生まで約六十年、幾度もの試練を乗り越え、道を切り開いてこられた稲盛氏の生き方、考え方。

 

氏の著作等を通じてぜひその真髄に触れていただきたいと思う。

 

それは コロナ禍という現下の困難を生きる人たちにとって、勇気や希望を与えると共に、今後の歩み方を照らす何よりの道標(みちしるべ)となるに違いない。

 

 

最後に、あらゆる人に通じる人生の要諦を説いた稲盛氏の言葉を紹介しておきたい。

 

これは古今、多くの先哲が唱えてきたことと一致している。 

 

 

「災難や苦難に遭ったら、嘆かず、腐らず、恨まず、愚痴をこぼさず、ひたすら前向きに明るく努力を続けていく。

 

これから将来、よいことが起きるためにこの苦難があるのだと耐え、与えられた苦難に感謝すること。

 

よいことが起きれば、驕らず、偉ぶらず、謙虚さを失わず、自分がこんなよい機会に恵まれていいのだろうか、自分にはもったいないことだと感謝する。 

 

これが素晴らしい人生を生きるための絶対の条件です」 

 

 

実行するは我にあり。実行を積み重ねて初めて真価を発揮する言 葉である。

 

 

小さな修養論5』致知出版社

小さな修養論5

 

 

 

 

 

 

以前、稲盛和夫氏を塾長とする盛和塾に入っていたことがあります。

 

初期の頃のメンバーだった関係もあり、全国で7名の塾生の中の一人として私も選ばれ、稲盛塾長と対談しました。

 

京都の哲学の道沿いにある、京セラのゲストハウス「和輪庵」が会場でした。

 

 

一人ひとりの対談も終わり、懇親会になったとき、稲盛塾長は、私の真正面に座られました。

 

前々からどうしてもお聞きしたいことがあり、質問しました。

 

「塾長は、普段、愛とか人に優しくとおっしゃっていますが、別のある時には鬼のように厳しく、情け容赦のない決断をなされますが、その相反することをどうお考えになりますか?」

 

稲盛塾長はそのとき、

 

「うーん…」

 

と言ったまま目をつぶり、2,30秒ほど黙ったあと、

 

「それは、すさまじい質問だ。

 

私も、時々自分が精神分裂ではないかと思うこともある。

 

しかし、相反することを、いとも平然とやってのけることができる人を名経営者というのだと思う」

 

とおっしゃったのです。

 

 

まさに、本書にあるフィッツジェラルドの言葉の通りです。

 

人生には、裏も表もあります。

 

人は、鬼にもなれば仏にもなるのです。

 

 

「鬼手仏心」という言葉があります。

 

見た目には、鬼のような情け容赦のないことをするが、実は心の中は、仏のようなやさしい慈悲心にあふれているということです。

 

外科医はメスをつかって、患者の体を残酷にも思えるほど切り開くが、それは患者を救うためという慈悲の心があるから、という意味で使われます。

 

 

名経営者にしても、我々凡人にしても、毎日といっていいほど、相反することは起きています。

 

その相反する矛盾の中を生きているのが我々人間だと思います。

 

生き物に優しくといいながら、ステーキを食べ、環境にやさしくと言いながら、ゴミを出し、地球を汚し続けているのですから。

 

 

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

 

という、良寛和尚の辞世の句にもあるように、我々は日々、裏を見せ、表を見せて生きています。

 

たとえば、正義感という表だけを主張したとしたら、我々は1日たりと生きていけないでしょう。

 

 

あらゆる苦難に感謝し…

 

謙虚に、驕らず、おかげさまの心で生きていきたいと思います。

 

 

 

小さな修養論5

 

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