石川洋(よう)氏の心に響く言葉より…
裏と表というと、裏というものは暗く見えますし、表というと明るく見えますけれども、私は、すべてのものには、裏と表というものがあって自然だと思うんですね。
一枚の木の葉にも裏と表があります。
きれいな秋の草にも、そして一輪の花にも、あのきれいなバラの真っ赤な花びらにも、裏と表はあります。
そして紙にも裏と表がある。
すべてには裏と表があって一体なんじゃないんでしょうか。
だから、裏と表の一体というものを、どんなふうに見るかということが、私は人生の妙味というものではなかろうかと思うんであります。
功成り名を遂げたというような人物とお話をさせていただいておりますと、裏を語りたがらない方がいます。
それもまた一つの生き方でしょうね。
裏がどうしても しゃべれない人がある。
今盛んなことだけをお話をして、この成功というものを大きく表したい方があります。
また、ときにはぼつぼつと裏を語られる方がありますけれども、自分の歩んできた苦労でございますよね。
でもね、裏を語ると、表の光りがすっと消えてしまうような感じのする人があるんですね。
でも中には、裏を語れば語るほど、表が光ってくる、裏のね蔭というのか、そんなふうに人生を歩んでらっしゃる方、お仕事を成し遂げてこられた方があるような気がするんです。
私は裏を語って光っている人は、黙っていても光っている人じゃないかなと思うんです。
歴史的に尊敬する人物、日本の国民的な尊敬を集めている方の一人でございますが、良寛さんという方がいらっしゃいます。
子どもと手まりをつきながら、生涯を全うした方でございますけれども、この良寛の辞世の句に、「裏を見せ、表を見せて散るもみじかな」 という句があります。
新潟の、彼の終の棲家である五合庵に行ったときに、ちょうどもみじの葉が落ちておりました。
その時、この句が、頭に浮かびました。
そし てはっとしたことは、表を見せ、裏も見せるとは言っていないんですね。
裏を見せ、 表を見せるという、裏側から始まっている。
裏を見せられる方、そして表も見せられる方。
言うならば、裏表のない良寛の自然体でございますけれども、それでも良寛には良寛の人生がある。
寒い日は寒い日、暖かい日は暖かい日、その日を裏から 自分の人生を見せていける、良寛の生涯というものは、すごいものだと思いました。
『やるなら決めよ 決めたら迷うな』勉誠出版
我々は親しい人の前でなら、裏を語れることができますが、初めて会う人だったり、あまり良く知らない人達の前で裏を語ることは躊躇(ちゅうちょ)します。
それは、誤解されたくないからです。
いい面でも悪い面でも、目立ちたくない心理が働きます。
裏とは、失敗や、弱さ、弱点、虚栄心、見栄(みえ)、うぬぼれ等々です。
自分の裏の部分をさらけ出せないのは、まわりの反応が怖いからです。
嫌われたり、バカにされるのを恐れる心理です。
「コイツたいしたことないな」と言われたくない心理でもあります。
自信のなさ、でもあります。
中村文昭氏は「失敗はネタになる」と言います。
普通、人は自分の弱点を隠そうとします。
でも、その弱点をネタとして人に話せるようになったとき、一回り大きな人間になれるということです。
裏を語ったとき…
表が光る人を目指したいと思います。
■メルマガの登録と解除はこちらから
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
http://www.facebook.com/
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
■Twitterはこちらから