小林正観さんの心に響く言葉より…
人間は、病気や事故、トラブルなどに巻き込まれたときにはじめて、自分が幸せの中で生きていたことを知ります。
たとえば右手を捻挫して使えなくなった、とします。
全治2週間。
電話ができないとか、お箸が持てないとか、すべて左手だけでやらなければいけないことが不便で、不幸感を味わいます。
でも、捻挫が治って、右手が自由に使えるようになったら「右手が使えることは、こんなにも幸せなことだったのか」と感謝できます。
では、この右手が使えなかった2週間は不幸だったのでしょうか?
いいえ。
不幸だと思っていた2週間があった結果として、それから先ずっと右手に対する感謝の心が湧いてくるようになったわけです。
右手が自由に動くことで「嬉しい。ありがとう」と思う喜びを1ついただいたわけですから、捻挫をしていた2週間は不幸でもなんでもなかった。
この2週間は、罰が当たったとか、ペナルティーが課せられたとか、不幸があったということではなくて、この右手に感謝する心、喜びの心を1つ増やすため、何も起こらないことがどれほど幸せかということをわかるために、右手を捻挫したのかもしれない。
そういうしくみがわかって、自分が幸せの中にいることを認識することによって、災難とは無縁になるようです。
今、目の前に起きている最高の幸せとは、「淡々とした何も特別なことがない日々、 普通に家族がいて、仕事があって、歩くことができる」ことなのです。
「お金も時間も手間ヒマもかけないと幸せになれない」という感性から、世間一般の人から見たら「だから、何?」と思われることに楽しみを感じられる、さらには「何もなくても幸せを感じられる」ように自分の感性を磨いていくと、自分がいつも楽しくいられます。
英語で「現在」を「Present」と言いますが、現在、普通に淡々と過ぎていくこの 瞬間は「何も起きていない」のではなく、宇宙や神様からの最高の「プレゼント(贈りもの)」が来ているということ。
ですから「何かが起きてくれたら幸せなんだけど .....」という考え方では、いつまでたっても幸せにはなれないように思います。
『100%幸せな1%の人々』中経出版
所ジョージさんの心に響く言葉があります。
『例えば、あえてアポなしで出かけてみる。
相手が留守。
でも、「そこから面白いことが始まる」と所さんは言うのです。
せっかくだからと近所をまわり、近くにある川を眺め、このへんで何か買っていこうということになる。
そこを目指したわけではないのに、そこにいることが大事なのだと。
「これが楽しいんですよ。新しい物語ができるじゃん。便利さを楽しさだと勘違いしてる人が多いけど、実は、不便さこそが幸せにつながるの。世の中がいろいろ見えるじゃない。いろんな経験もできる。痛い目にも遭うし、暑さや寒さや四季も感じる。そういうものを、世の中の人は才能と呼ぶのよ」』(上阪徹の名言百出)より
訪ねて行った人が留守だったとき、たいていの人はツイてない、と思い不機嫌になります。
しかし、「そこから面白いことが始まる」と思える人は、機嫌よく生きることができる達人です。
何気ない日常の中に、幸せを見つけることができる人、面白がれる人、楽しめる人…
最高の幸せとは、淡々とした何も特別なことがない日々です。
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