小林正観さんの心に響く言葉より…
悩み・苦しみというのは、こうでなければならないとか、
「仏」という言葉は、すべての束縛からほどけた人、
「ほどけた人」から日本語の「ほとけ」が始まったらしいのです。
ある方が、私にこんな質問をしました。
「私は夫が死んでから、7年間納骨していない(
いろいろなことにこだわらなくてよいのではないですか、
私の答えはこういうものでした。
「こだわらなくてよいのですが、では、なぜ『納骨をしないぞ』
予想外の答えが返ってきて、その方はショックだったようです。
たまたまその場に(これも偶然といえば偶然ですが、
質問されたその方も頭のよい方なのでしょう。
「よくわかりました」ということで、 笑顔で話が収まりました。
「いろいろなことにこだわらなくてよい。
執着しなくてよいのではないか。
そうすれ ば悩み・苦しみがなくなるのではないか」ということは、
しかし、こだわらなくてよいのだということを逆手にとって、
ある高校生の女の子が、
親が「なんで そんなことをしたんだ?」と問いただし、
「髪の毛の色によって、
たまたまその問答を、私は目の前で聞いていました。
別に高校生が髪の毛を染めようが染めまいが、
が、その高校生の女の子の発言が、ちょっと気になりました。
そこで彼女に聞きました。
小学生のころからよく知っている子なので、
「今の言葉をもう一度言ってくれる?」と、
彼女はもう一度言い直しました。
「髪の毛を染めたからって、
「もう一回確認するけれど」と私は言い直しました。
「髪の毛の色によって、
「そうです」と彼女は答えました。
そこで私は聞きました。
「じゃあ、なんで髪の毛を染めたんですか?」
私の問いに対して、彼女は目を白黒させて、2、
口をモゴモゴはさせましたが、言葉が出てこないようで、
これは、私が半年に一度ほど訪れている、
半年ほどたって同じ宿に行きますと、
「小林さんのあの話の3日後くらいに、
私は髪の毛を染めるのがいいとか悪いとか、
ただ、こだわるということ、
「髪の毛を染めることがいいとか悪いとか、
染めるのがおもしろいと思ったから染めたのであれば、
そういうひとつひとつの「こだわり」や「とらわれ」
『小林正観さんの心がすーっと晴れていく言葉』主婦の友社
仏教では、「一切皆苦(いっさいかいく)」
世の中はすべてが「苦」である、という意味です。
世界は苦しいことで満ちているという、
仏教でいう「苦」とは、思い通りにならないことです。
「老いること」、「病気になること」、「死ぬこと」は、
また、「生きること」の中にも、人間関係の苦しみや、
この四つの苦(生老病死・しょうろうびょうし)を「四苦」と言います。
お釈迦様は、『「苦」の本質は「執着」である』と説きました
「若さ」に執着するから、「老い」を苦と思うのです。
「健康」に執着するから、「病気」を苦と思うのです。
「生命」に執着するから、「死」を苦と思うのです。
執着とは、「こだわり」や「とらわれ」。
その執着をなくすには、すべてを受け入れることです。
現実を受け入れ、すべてを肯定すること。
「ああ、そうなりましたか」「そういうことだったんですね」
起こることのすべては、「必要、必然、最善」、だからです。
あらゆることを、肯定的にとらえることができる人でありたいと思います。
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