山本康正氏の心に響く言葉より…
最初に答えを言いますと、情報の価値はその情報が生まれた源泉にあります。
情報の流れは、私たちの身のまわりの自然界、川や海の流れと似ています。
海には、さまざまな川から集まってきた水や雨水、その他の物質が混じり合っています。
けれども、 おおもとは川の源流です。
情報の流れも同じです。
情報の価値が一番高いのは発信者自身が現場で見聞きした一次情報です。
この一次情報はどこにあるのか。
広大な情報が溢れている海ではなく、川の源流と同じく、源泉です。
加工されていない生の情報やその情報の発信者になります。
鮮度が最高の状態にあるのが一次情報だと言えます。
続いて、第三者を介して知った情報や一次情報をもとに加工したのが二次情報、さらに加工すると三次情報となっていくのです。
マスメディアが発信するニュースの中にだけ価値ある情報がある、と考えている人がいますが、そんなことはありません。
そもそも一般の人がメディアなどから知り得る情報は、世界で起こっている全体に対して10%にも満たないからです。
価値ある情報の90%は、受動的な姿勢では知り得ない。
そう考えた方がいいでしょう。
特に、専門家などはその分野では有名ですが、分野がニッチであったり、一般的なメディアが信頼できないとの理由から、メディアに出ることを毛嫌いしている人も多いからです。
そしてこのような人が、実は世の中に大勢います。
見方を変えると、テレビなどのメディアに登場する有名・著名人だからといって、発している情報が正しく、価値があるとは言えません。
マスメディアで流れている情報は、大海原と同じく下流の情報であり、どのような人に、どのような内容を話してもらうかを決めているのは、プロデューサーや記者、編集者です。
ストーリーが固まっていることが多 く、それが正しいかというとそうでもありません。
広告などの収益を最適化して反響が大きくなるよう、ときにセンセーショナルな加工に走ってしまいます。
一般的に目に触れやすい情報は加工されていると知ること。
価値ある一次情報を得るためには海を眺めているのではなく、情報の上流に遡り源泉の一次情報を得ること。
そしてここからが重要ですが、本当に価値のある判断に役立つ判断材料となり得る情報 は、メディアなどで紹介されている多くの人が知っている情報だけではない、ということ です。
たとえば、転職を考えているビジネスパーソンがいたとします。
いま所属している業界が大手とはいえ、この先縮小することが分かってきたので、右肩上がりの企業への転職を考えていました。
就職サービスなどからさまざまな情報を得ていましたが、どうにも決めきれずにいました。
そんなとき、ゲーム好きの友人が、没頭しているゲームがあることを知ります。
そしてそのゲームを開発している企業は、まだそれほど大きくないベンチャーでした。
友人いわく「間違いなく超人気ゲームになるし、いま開発中の新作も評判がいい」。
その友人はゲーム歴20年以上のいわゆるマニアです。
友人の言葉を信じ、まずは自分でプレイしてみたところ確かにこれは画期的な内容で大手が作るゲームより面白い。
あまりメデ ィアには取り上げられていませんが、将来性を見込んで従業員が数十名規模のゲームベン チャーに就職することを検討します。
面接を受けた上で職場の見学をさせてもらうと、社内も活気に溢れていて、自分とも相性がよさそうで成長性が望めそうだと判断できました。
その後は友人の指摘どおり、会社は大きく成長。
現在では上場も果たし、ビジネスパーソンは初期にリスクを取って入社したこともあり、早期に幹部に昇進し、株式による報酬も獲得できます。
このようなニッチだけれど、多くの人が気づいていない情報こそ、価値があるのです。
いま目の前にある情報は外の情報なのか、それとも内の情報なのかを意識すると、分かりやすいと思います。
いわゆるマスメディアなどで扱う情報が外、先のビジネスパーソンが得た情報が内の情報です。
脳力開発の創始者、城野宏氏は、情報について次のように述べている。
かつて軍隊では、情報の確度(確かさ、精度)を甲、乙、丙の3つに分けていたという。
軍隊では、情報の確度が直接生死に関わるからその取扱いは厳格だ。
甲は、確度が一番高く、それは自分が直接この目で見たという信頼できる生の情報。
乙は、自分以外の信頼できる者がその目で直接に見てきたもの。
丙は、三次情報であり、又聞ききとか、噂話のようなもの。
新聞は、「乙」の情報だが、時として「丙」の情報が混じるときもある。
特に遠くかなたの海外の情報や、地方のニュースでは、「丙」という三次情報も混じる。
我々は、新聞の情報は正しいと思い込んでいる人が大半だ。
しかし、考えてみればわかるが、新聞記者の数は、驚くほど少ない。
特に大新聞は、リストラで人員も減り、地方の記事を書くときなど、現地に出かけて行って取材することなど、ほとんどできないに等しい。
だから、多くの記事は、企業や発信する人が、新聞社に持ち込んだものが多い。
同時に、政治のニュースにおいては、記者クラブで発表したものがほとんどだ。
したがって、どこでも同じような記事となる。
新聞の記事において特に気をつけなくてはいけないのは、「新聞を売るために必要な記事」だ。
たとえば、「犬が人間を噛(か)んでもニュースにはならないが、人間が犬を噛んだらニュースになる」という城野宏氏の本質をついた新聞評となる。
よりセンセーショナルで、より新奇性があり、より特殊性があるものでなければニュースにはならない。
では、ネットのtwitterやブログ、facebook等の記事が確度が高いか、と言えば、これも「乙」情報がほとんど。
どんなにネットやマスコミが発達しようが、結局、一番確かな情報は、「自分がこの目で見た」という一次情報だ。
また、新聞やマスコミの映像も真実を伝えているとは限らない。
映像も、マスコミの、「よりセンセーショナルであれ」という意図をもって、「その瞬間」を切り取られ、編集されるからだ。
どんなに真実めかした映像でも記事でも、結局はそれを、咀嚼して、自分の頭で考え、自分で判断するしかない。
結局、大切な判断をするときには、自分の目で確かめ、実感することが必要となる。
「情報の価値は源泉にある」という言葉を心に刻みたい。
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