弁護士・医学博士、秋山佳胤(よしたね)氏の心に響く言葉より…

 

 

 

親である方々、特に若いお母さんたちからよく耳にするのは、子育てがわからない、子育てがつらく苦しいという声です。

 

私も元妻もいろいろな経験をしました。 

 

だから悩む気持ちはよくわかります。 

 

この問題を解決するための一番のポイントは、子どもは自分の持ち物ではないという事実を明確に理解することでしょう。 

 

 

転生(輪廻転生)の仕組みを考えるとわかりますが、すべての子どもはご縁があって自分のところに来てくれています。

 

親の所有物としてそこにいるわけじゃありません。

 

母親が苦労してお腹を痛めて出産する形式をとってはいますが、母親の所有物ではありません。 

 

すべての子どもは独立した人格の主体です。 

 

 

自分が果たせなかった夢を子どもに託すという親がいますね。

 

受験、スポーツ、 職業、生活スタイル、結婚、子育て、マイホーム......、こんなふうにしなさい、こ んなふうになってくれたらお母さんは嬉しい、お父さんはそうしてくれたらいい ...そんな感情こそ親が子どもの主体性を無視して私物化した状態です。 

 

自分の人生でやれなかったから子どもに託そうなどという感情は、子どもにとって大きなお世話なだけです。 

 

それってあなたの人生であなたがやりたかったことではないですか? 私は別のシナリオを書いて転生しているわけですから、どうか邪魔しないでください」 

 

子どもがはっきりそう言えればいいのですが、それはまた難しいわけです。

 

 

嫌々ながらも、子どもは親の期待に応えようと無理しはじめます。

 

これが「親の呪縛」という名の最大のストレスです。 

 

先生の期待に応えようという方向性も生まれます。

 

スポーツの世界に多いですね。

 

 

親であれ先生であれ、大人の期待に応えようとする方向性は、本人のシナリオが無視された不健康な状態だと言わざるをえません。 

 

親たちの大半は、生後まもなく自分では何もできない状況からずっとその子の世話をしてきたのだ、という優位性に満ちた意識から、子どもは親の言うことを聞いて当然という感情が芽生えているのだと思います。 

 

確かに赤ん坊や幼い子どもは、親が世話をしてあげないと何もできないように見えるかもしれません。

 

でもそれは肉体的な稼働面で不自由なだけであり、意識主体、人格主体として独立している事実にはなんら変わりはありません。 

 

 

あなたのお子さんの目をよく見てください。

 

あなたが理不尽な叱り方をしたときに、強くて凛とした眼差しをすることがありませんか?

 

単に憎くてにらんでいる のではありません。

 

意識主体としての自分を否定されたことから、彼ら自身の転生シナリオをなぜ理解してくれないのかと訴えているのです。

 

 

スピリットという視点から見ると、スピリットに上下の区別はありません。

 

あなたの子どもであっても、あなたより下であるという理由にはなりません。

 

日本では二十歳で成人してやっと大人の仲間入りなんて言いますが、本当のことを言えば、 オギャアと生まれ落ちた時点でこの世界にいる大人と同じスピリットを持っているわけです。 

 

 

「あなたの(人生を生きる)ために生まれたわけじゃない」 

 

子どもが発するこの言葉は、まさに正しいのです。

 

 

競わない生き方 (知的生きかた文庫 あ 46-1)

競わない生き方 (知的生きかた文庫 あ 46-1)

 

 

 

 

 

 

 

産婦人科医の池川明氏は「胎内記憶」の日本の第一人者だ。 

 

たくさんの著作があるが、その中に… 

 

『私は産科医として、母子の心身に健やかなお産を模索するうち、子どもたちに「胎内記憶」(子宮にいたときの記憶)があることに気づきました。 

 

私の調査によると、小さな子の約2割に、胎内記憶があります。 

 

さらにその前の記憶、つまりお母さんに宿る前のことを覚えている、というお子さんもいます。 

 

子どもたちは、「雲の上のようなところでのんびり過ごし、どのお母さんのもとに生まれるか、自分で決めて生まれてきた」と語ることが多いのです』 《神さまがくれたひとすじの道》(サンマーク出版) より

 

 

つまり、子どもたちは、自分の意思で、お母さんを選び、そこに生まれてくる。

 

そして、現生(この地球)では、「自分はこういう人生を生きよう」と大まかなシナリオを作ってくるという。

 

 

何度も同じグループで生まれ変わり、ある時代は自分の妻だったり、またある時は、自分の父親や兄弟や子どもだったり、友達だったりする。

 

あるときは、男性として生まれ、またある時は、女性として生まれる。

 

日本だけでなく、様々な国で生まれ、様々な時代に生まれ変わる。

 

 

もし、そうだとしたら、今、自分の子どもは、ある時は自分の父親や母親だったのかもしれない。

 

現生では、マッチョで、メチャメチャ威張っている男性も、かつては病弱でか細い女性だったかもしれない。

 

「謙虚さ」、というのは多分、これら(転生)を腹に落とし込めたところから始まるのかもしれない。

 

 

「親子であれスピリットに上下はない」

 

子育てにしても、様々な人間関係にしても…

 

謙虚な気持ちで向き合うことができる人でありたい。

 

 

 

 

競わない生き方 (知的生きかた文庫 あ 46-1)

 

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