森信三氏の心に響く言葉より…

 

 

最後に宗教について一言申したいのは、われわれ人間の生命は、自己を超えた絶大なるものによって与えられ、かつ支えられているということです。

 

言い替えれば、それによって「生かされている」ということです。

 

 

ではそのように、われわれの全存在は絶大なる力によって支えられているということを、いったいどうして知るかというと、それには、朝われわれが目を覚ました瞬間に、それまで眠っていた七、八時間の間、自分としては、呼吸一つしようとはしなかったのに、息をし続けてきたということと、もう一つはその長い間ずっと血液が循環して、一瞬もとどまらなかったということと…この二つによって、 われわれ人間は、絶大なる力によってこの身が支えられているということの何よりの証拠を示されていると思うのです。

 

つまりいかなる人にも絶対に狂いなくわかるのは、血液の循環と呼吸です。

 

現に人間の生命がおわったということも、医師はこの二つによって判断するでしょう。 

 

しかしこれは典型的な二つであって、自余(じよ)いっさいの身体の作用も、いちいち意識に上らぬだけです。

 

 

たとえば胃も肝臓も膵臓も腎臓も、お互いに知らんでいるが、それらのすべての働きは自己を超えた力によるわけです。

 

否、さらに大事なことは、それはこの自分一人だけでなく、お互い人間はその一人残らずが、いずれもそうした絶大な力によって支えられているわけです。

 

つまり一人一人の人間を内から支えている力は、根本は同じとこ ろから出ているわけであります。

 

 

そしてそれは、結局この大宇宙を内から支えている無限絶大な力であって、それをなんと呼ぶかは、それぞれの宗教によってちがうわけです。 

 

しかしこれを「絶対者」とか「宇宙的生命」などという壮麗な言葉でばかりいっているかぎり、とかく概念の域にとどまって真の力になりにくいのです。

 

そうではなくて、われわれの生理的生命さえもこれによって支えられているということがわかると、もはや誰一人としてウーもスーもないわけです。

 

そしてこのような絶大な事実を一日に何度思い出すかが、ある意味ではその人の宗教観を測る …かりに唯一ではないとしても…一つの有力なバロメーターだと思うわけです。 

 

 

月に一度か、週に一度か、三日に一度か、一日に数度か …というふうに、その深さはとにかくとして、どれほど回数多く思い出すかが、問題だと思うのです。

 

いたずらに祖師たちの遺教の解釈で飯を食っている人より、私はそういう人の方に頭が下がります。 

 

つまり自分というものが「生かされている存在」だということを、どれほど実感としてつかんでいるかどうか。

 

ここが宗教の最初であるとともに、また最後といってもよいでしょう。 

 

 

最後に救いと悟りの関係について一言すれば、自分が救われているということを知るのが悟りです。

 

そして「救われている」とは、自己が全的に肯定されているということです。 

 

したがって自分がここに存在しているということ自身が、実は救われているということな んです。

 

同時に、このように考えますと、犬も猫も草木もみな救われているというわけです。

 

そしてそのことのわかるのが悟りです。

 

 

私も理論的には、四十歳前後に『恩の形而上学』という書物を書いて、この点についてものべていますが、しかしいまや人生の終末に近づいて、いささか実感としてわかるようになりました。 

 

「存在即救済」「救済の自覚即ち悟り」です。

 

なんと簡単明白なことでしょう。

 

ズブリと一言で尽くせます。

 

 

講話録 真理は現実のただ中にあり』致知出版社

講話録 真理は現実のただ中にあり

 

 

 

 

 

 

自分の力だけで生きていると思っている人は、「おかげさま」や「感謝の心」がない。

 

いわゆる、傲慢で、驕(おご)りのある人だ。

 

誰の力も借りず、一人だけで生きている人はこの世には一人もいないのに…

 

 

たとえ、無人島で自給自足の生活をしたとしても、衣食住の大半は、自分以外の誰かが作っている。

 

よしんば、食料を海や山で自給したとしても、それさえも天の恵みがあればこそで、自分の力ではない。

 

 

「毎晩眠りにつくたびに私は死ぬ。そして毎朝目を覚ますたびに生まれ変わる」

 

という、マハートマー・ガーンディーの言葉がある。

 

寝ている間に死んでしまったとしても、誰に文句を言うわけにもいかない。

 

 

毎朝目を覚ますということは、実は奇跡のようなこと。

 

それを「有り難い(ありがたい)」、有ることが難しいこと、あり得ないようなこと、という。

 

 

生かされていることに…

 

日に何度でも、感謝できる人でありたい。

 

 

 

講話録 真理は現実のただ中にあり

 

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