橘玲氏の心に響く言葉より…


 

 

ここでは、コンピュータの世界で使われてきた「HACK」が"大衆化"している状況について考えてみたい。

 

初期のハッカーたちはコンピュータやネットワークの「システム」をハックしようとしたが、いまでは脳から金融市場、社会まで、あらゆるものがハックの対象になっている。 

 

 

脳のニューロンは発火するかしないかの「二進法」で、遺伝子(DNA) は A(アデニン)、 G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)というわずか4つの塩基(情報)の組み合わせにすぎない。

 

金融市場はマネーというデータの巨大ネットワークで、突き詰めれば、プラス(儲かる)とマイナス(損する)の単純な取引の無限の繰り返しだ。

 

社会はヒトという個体の大規模なネットワークだが、それはハチやアリのような社会性昆虫のネットワークをより複雑にしただけのものかもしれない。 

 

だとすれば、これらのシステムはすべて(コンピュータと同じように)ハックできるのではないだろうか。

 

 

こうした発想は、近年(とりわけ21世紀以降)、あらゆる分野でテクノロジーが指数関数的に進歩していることで、けっして夢物語ではなくなった。 

 

世界はいま、知識社会化、グローバル化、リベラル化という三位一体の巨大な潮流のなかにある。

 

この人類史的な出来事によって社会はとてつもなく複雑になり、ひとびとは急激な変化に翻弄され、人生の「攻略」が難しくなっている。

 

これを私は「無理ゲー社会」と呼んでいる。 

 

 

わたしたちは一人ひとり異なる個性があり、多様な能力をもっているが、能力のなかには、知識社会に適したものと、そうでないものがある。

 

この能力やパーソナリティのばらつきが、失業や依存症、貧困・犯罪などさまざまな社会問題の原因になっている。 

 

知識社会の高度化というのは、端的にいえば、仕事に要求される知的スペック(学歴・資格・知能など)が上がることだ。

 

ハードルが高くなれば、当然、それを超えられる者の数は少なくなる。

 

 

その結果、純化した知識(学歴)社会のアメリカでは、高卒や高校中退の白人労働者階級(ホワイト・ワーキングクラス)が仕事を失い、自尊心を奪われ、ドラッグ、アルコール、 自殺で「絶望死」している。

 

世界じゅうで平均寿命が延びているときに(コロナ前)、アメ リカでは低学歴の白人の平均寿命が短くなるという驚くべき事態が起きていた。

 

その怒り が、「右派ポピュリズム」となってトランプ現象を生み出したのだ。 

 

だがいまでは、知的スペックのハードルがさらに上がって、大学を卒業しても望むような仕事(弁護士や医師、ウォール街のトレーダーやシリコンバレーのエンジニア)に就くことができなくなった。

 

こうして、「不満だらけのエリート・ワナビーズelite-wannabes (エリートなりたがり)」がレフト(左翼)やプログレッシブ(進歩派)と呼ばれる「左派ポピュリズム」を形成し、富裕税やベーシックインカムのような急進的な政策を主張してリベラル穏健派のバイデン政権を揺さぶっている。 

 

 

 

 

「リベラル化」というのは、「自分らしく自由に生きたい」という価値観で、第二次世界大戦後のとてつもなくゆたかで平和な社会しか知らない若者たちを中心に、1960年代後半のアメリカ西海岸で始まった文化・社会運動(カウンターカルチャー/ヒッピー・ムーブメント)だ。

 

それがたちまち世界じゅうの若者を虜にし、パンデミックのように広まっていった。

 

これはキリスト教やイスラームの成立に匹敵する人類史的な出来事だが、その巨大な影響力をわたしたちはまだ正しくとらえることができていない。 

 

 

リベラルな社会では、「わたしが自由に生きるのなら、あなたにも自由に生きる権利がある」とされる。

 

この自由の相互性によってあらゆる差別は許容されなくなり、女性や有色人種、性的少数者など、これまで社会の片隅に追いやられてきたマイノリティに平等な権利が与えられることになった。 

 

これはもちろん素晴らしいことだが、光が強ければ強いほど影もまた濃くなる。 

 

 

社会のリベラル化が進み、誰もが「自分らしく」生きるようになれば、教会や町内会のような中間共同体は解体し、一人ひとりがばらばらになっていく。

 

これによってわたしたちは法外な自由を手にしたが、それは同時に、自分の人生のすべてに責任を負うことでも ある。

 

リベラルな社会では、人種や身分、性別や性的指向などにともなう差別はなくなるはずだから、最終的には、あらゆることが「わたしの選択」の結果、すなわち自己責任になるだろう。 

 

 

誰もが自由に生きられる社会では、至るところで「わたし」と「あなた」の利害が衝突する。

 

東京オリンピックで、男から女に性転換したトランスジェンダーの重量挙げ選手の出場をめぐって議論が紛糾したことはその象徴だ。 

 

社会のリベラル化はこうしたやっかいな衝突をあちこちで勃発させ、それによって政治は利害調整の機能を失い、行政は肥大化して機能しなくなっていく。

 

 

だがいちばんの問題は、複雑な社会(人間関係)にうまく適応できない(一般には「コミュ力が低い」とされる)ひとたちが脱落していくことだ。 

 

知識社会化とリベラル化が引き起こした状況を、グローバル化がさらに加速させる。

 

国境の壁が低くなったことで、GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon) のようなプラットフォーマーは、世界じゅうからきわめて賢い者たちを集め(ここにはなんの多様性もない)、地域的・文化的なダイバーシティ(多様性)によってとてつもないイノベーションを生み出し ていく。

 

その一方で、移民に仕事を奪われると怯えるひとたちが排外主義や陰謀論を唱 え、価値観の異なる者同士が衝突を繰り返している。 

 

わたしたちは人類史上、あり得ないようなゆたかさを実現したが、皮肉なことに、それによって人生はますます生きづらくなってしまったのだ。

 

 

裏道を行け ディストピア世界をHACKする (講談社現代新書)

裏道を行け ディストピア世界をHACKする (講談社現代新書)

 

 

 

 

 

 

 

「無理ゲー社会」とは、攻略することができない極端に難しいゲームのこと。

 

現実においては、乗り越えられないような困難や壁を指す。

 

それは、社会が昔に比べ(物質的には)豊かになっているにも関わらず、生きづらさを訴え、ある種のルサンチマンをぶつける人が多くなっている状況に見ることができる。

ルサンチマンとは、弱者が強者に対して抱く「恨み」や「嫉妬心」や「怨念」のこと。

 

 

 

「無理ゲー」について、橘玲氏は本書の中でこう述べている。

 

 

『ゲーマーは、攻略できないゲーム(無理ゲー)は「ハック」か「チート(いかさまのようにすごい・ゲームの不正改造等)」するしかないと考える。

 

既存のルールを無視して「裏道(近道)」を行く。

 

同様に人生が攻略不可能だと感じたら、ゲーム世代がシステムをハックしようとするのは不思議でもなんでもない。

 

例えば、金融市場を「ゲーム」と見なして攻略(ハック)しようとする者たち。

 

また、あらゆる企業が消費者の脳の報酬系をハックし、利益を最大化しようとしている。

 

さらに、テクノロジーの進歩によって、自分の脳や身体をエンハンスメント(増強)し、「トランスヒューマン(超人間)」になりたいと考える「バイオハッカー」が現れた。』

 

そして、『才能のある者は人生を攻略(ハック)し、才能のない者はシステムに搾取(ハック)される』という。

 

 

だからこそ、常識やルールの「裏道を行く」ことが必要だ。

 

「人の行く裏に道あり花の山」という投資の有名な格言があるが…

 

人生の難易度が上がっている現代、時には裏道をハックすることも必要だ。

 

 

 

裏道を行け ディストピア世界をHACKする (講談社現代新書)

 

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