致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…

 

 

 

鎌倉の円覚寺の禅道場の入口には板があり、次のように記されています。

 

 

「生死事大(しょうじじだい)

 

無常迅速(むじょうじんそく)

 

時人(ときひと)を待たず

 

謹(つつし)んで放逸(ほういつ)するなかれ」

 

 

古来、禅者はこの言葉に自らを叱咤し、 修行に励んできたといいますが、 この言葉はこの世に生を得たすべての人が 等しく反芻(はんすう)すべき言葉でしょう。 

 

いわば、この世に生を得たすべての人に 与えられた公案といっていいと思います。 

 

 

書家の相田みつをさんは この言葉を誰にでもわかる言葉で詩にされています。 

 

「生きているうち

 

はたらけるうち

 

日のくれぬうち」 

 

 

人生も半ばを過ぎると、こういう言葉が身に迫ってきます。

 

 

生きる力になる言葉』致知出版社

生きる力になる言葉

 

 

 

 

 

 

藤尾秀昭氏は、本書のあとがきに次のように記している。

 

 

『「心の糧」の「糧」は、文字通り食べ物のことです。

 

身体の食べ物は食料です。

 

人は健全な食料を食することによって健康な身体を維持します。

 

悪い食べ物ばかり食べていると身体を壊します。 

 

心の食べ物は言葉です。

 

人は昔から、言葉を心の糧として生きてきました。

 

よい言葉を食べていると心は生き生きとして元気が出てきますが、悪い言葉ばかり食していると、病んできます。 

 

私たちはできるだけよい言葉、よい教えにふれ、それを糧とすべく心術の工夫をしていかねばなりません。 

 

北宋の学者で政治家でもあった欧陽脩(おうようしゅう)の言葉があります。 

 

「人の性は物に因(よ)りて則(すなわ)ち遷(うつ)る。 

 

学ばざれば則ち君子を捨(や)めて小人と為る」 

 

人の性質はふれる物によって変わる。

 

聖賢の教え、よき言葉にふれて学ばないと、いつの間にかつまらない人物になってしまう、ということ です。 

 

心したい言葉です。』

 

 

 

「生死は人生にとっての一大事。

 

時は、無常にも、あっという間に過ぎ去っていき、待ってはくれない。

 

各人このことに目覚めて、無駄に時を過ごしてはいけない。」

 

 

人生は、あっという間のドラマ。

 

この地球で過ごせる時間は限られている。

 

 

今年一年、どんなことをしたか…

 

誰と出会ったか。

 

誰かの役に立ったか。

 

どんなことをアプトプットしたか。

 

新しい習慣を身につけたか。

 

継続しているか。

 

何か新しいことを始めたか。

 

失敗を多くしたか(チャレンジを多くしたか)。

 

人に喜んでもらったか。

 

多く感謝したか。

 

たくさん笑ったか。

 

 

そして、日々、漫然(まんぜん)として過ごしてはこなかったか。

 

 

本日は、大晦日(おおみそか)。

 

神社では、年越しの「大祓式(おおはらえしき)」が行われる。

 

一年間に身についた、罪や穢(けが)れを祓(はら)う儀式。

 

心身を清め、新たな年を迎える。

 

 

あらたまの年の初め…

 

一刻一刻を無駄にせず、「よき言葉」がたえまなく降り注(そそ)ぐ年でありたい。

 

 

 

生きる力になる言葉

 

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