元結不動・密蔵院住職、名取芳彦氏の心に響く言葉より…

 

 

小学校で保護者を対象にした講演会を行った時のことです。 

 

「ここ一か月くらいで『お先にどうぞ』って、何回言いましたか?」と尋ねると、八割ほどの人が目を大きく見開きました。 

 

どうも、あまり言っていないようです。 

 

 

私たちの日常は常に、自分の都合と他人の都合のぶつかり合いです。 

 

たとえば横断歩道では、「早く渡りたい」という歩行者の都合と、「赤信号に引っかかることなく通過したい」という車の運転手の都合が、互いにぶつかり合っています。

 

 

買い物の際、レジに人が並んでいれば、「早く会計を済ませたい」大勢の人たちの都合が、そこここでぶつかり合っている状態です。

 

自分一人の都合が優先されることは、ほとんどありません。

 

そのたびにチェッ、と舌打ちしても、雀の鳴き真似をしているように見えるだけです。 

 

 

「お先にどうぞ」のひと言は、「あなたの都合を優先していいですよ」という心の余裕が生み出すものです。

 

この言葉を言えない人は、心に余裕がないのです。 

 

せめて一日に一度は、「お先にどうぞ」と人に譲る。

 

「あなたの都合のいいように」と思って他人を優先する。

 

そのくらいの心の余裕を持ちたいものですね。

 

 

《心の余裕で自分の都合は後回しに》 

 

 

和尚さんの 一分で心を整えることば』永岡書店

和尚さんの 一分で心を整えることば

 

 

 

 

 

 

 

相田みつをさんは「お先にどうぞ」についてこう語っている。(雨の日には・・・・/文化出版局)より

 

 

『「お先へどうぞ…」やさしくてうつくしい日本語ですね。

 

いいことは、他人(ひと)様を先に…

 

自分のことは後まわし。

 

遠い遠い、先祖の日本人がこんな美しい、暖かい言葉を残してくれたんです。

 

他人のことなんかそっちのけ自分さえよければ…

 

我先に、我先に…とみんな夢中で突ッぱしる。

 

もう一度「お先へどうぞ…」という、うるおいのある美しい日本語で、

 

お互いに呼びかけ合える世の中になって欲しいなあ…』

 

 

現代は、人よりも、少しでも先に行ったもの、ちょっとでも得をすること、一分、一秒でも時間が短縮できることを良しとする風潮が強い。

 

人を押しのけても、自分が得をするという「自分さえ良ければ」という考え方だ。

 

 

車に乗っていて、一台や二台、先に行かせたところで、なんの損にもならない。

 

到着時間だってそんなに変わらない。

 

それなのに、我先にと我(が)を通してしまう。

 

そして、ゆずらない。

 

 

「おれがおれがの我を捨てて、おかげおかげの下で生きよ」

 

「お先にどうぞ」という言葉を胸に刻みたい。

 

 

 

和尚さんの 一分で心を整えることば

 

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