江原啓之(ひろゆき)氏の心に響く言葉より…

 

 

ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』が人気なのは、繰り広げられる家族のゴタゴタに共感する視聴者が多いからでしょう。 

 

そのゴタゴタの元は何かと言えば、ほとんど執着。

 

逆を言えば、執着がなければ、どんなドラマも面白くないといっても過言ではない。 

 

 

 

嫁しゅうとめ間がゴタゴタするのだって、母親の息子に対する執着があるから。

 

「あ~、そうよね」と言いながらドラマを観て、自分のところも同じような問題を 抱えているという構図。

 

つまりは執着に苦しみながらも、執着が好きなのが人間だという答えに行き着くのです。 

 

 

執着は物や人に限りません。

 

例えば、お金に執着がないという人でも、遺産相続で争ったりします。 

 

親の遺産を自分はもらおうとは思わない。

 

でも、かといって仲の悪いきょうだいに全部持っていかれるのは許せない、悔しい。

 

自分だけ相続放棄なんてするもんか!

 

こうした意地やこだわり、気持ちにとらわれるのだって執着。

 

結果、ヘンにこじ れて相続で争うことになる。 

 

 

執着なんかない、と言っているあなたにも、きっと何かしらの執着があるはず。 

 

しかもその執着が、あの世の旅にも大いに影響するのだから、放っておけません。

 

 

あの世の歩き方: この世じまいの“地図”を手にすればもう迷わない!』小学館

あの世の歩き方: この世じまいの“地図”を手にすればもう迷わない!

 

 

 

 

 

 

江原氏はあの世とは心象風景の世界で、自分の心が投影される感性の世界だという。

 

デパートで買い物するのが生きがいの人は、あの世でもショッピングをしている。

 

仕事がアイデンティティだと思っている人は、あの世でも働いて、お金を得ている。

 

政治家も、宗教家も同じで、あの世でも演説をしたり、宗教を説いている。

 

それらを「執着」といい、こだわり、意地や、どうしてもこれでなければ嫌だと思ったり、これしかないと決めつけたりすること。

 

 

 

しかし、想念の世界だから、お金もいらないし、仕事も、宗教も、関係ない世界。

 

だから、あの世で必要なのが執着を捨てること。

 

執着を捨てるのに長くかかる人もいれば、さっと頭を切りかえられる人もいる。

 

そして、あの世では、例えば、お金に執着がある人は、お金に執着している人が集まる世界に行くという。

 

人間関係や生き方の執着、すなわち、悪口や愚痴や文句ばかり言う人も、不平不満を言う人も、みんな同じような人が集まる世界に行く。

 

 

 

だとしたら、我々が生きている間に執着を少しずつ捨てることをした方がいい。

 

特に、年配になればなるほど、執着はやっかいなものになる。

 

 

物も、お金も、家も、土地も、仕事も、家族も、友人も、みんなあの世へ持っていくことはできないからだ。

 

それが、執着。

 

 

 

斎藤一人さんは、あの世に行くとき聞かれることが二つあるという。

 

それが、「あなたは人生を楽しんだか」と「人に親切にしたか」。

 

 

我々は、人に必要とされるからこそ、生きている。

 

必要とされる人は、「人に親切にした人」であり、「自分の人生を楽しんでいる人」。

 

自分の人生を楽しんでいる人は、まわりを明るく照らす。

 

 

人生はあっというまのドラマのようなもの。

 

執着を捨て、自分の人生を淡々と生きていきたい。

 

 

 

あの世の歩き方: この世じまいの“地図”を手にすればもう迷わない!

 

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