致知出版社社長、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
世界的なデザイナーのコシノジュンコさんはお母さんの綾子さんの
そのお母さんは90を越えても10数人の恋人を持ち、「
その口癖はコシノさんに引き継がれている。
観世宗家の観世清和氏の祖先は能の大成者、
その世阿弥の言葉がある。
「時分の花より誠の花」
若さが放つ花が時分の花である。
そういう花は時と共に褪せる。
修養を日累月積して咲くのが誠の花である。
その花は年を経るごとに美しさを増す、ということである。
また、こうもいう。
「住する所なきをまず花と知るべし」
止まらず学び続けることこそ花だ、ということである。
修業にも人生にも、これでいいということはない。
常にこれからと思い前進せよ、そこに花がある、
安岡正篤師は『人間を磨く』(弊社刊)の中で、
「芸のゆきどまりを見せずして、一期を終るをまことの芸とす」
「古人曰く、命にはおわりあり。芸には果てあるべからず」
求道(ぐどう)に生きる人は皆、同じ気概を持つようである。
安岡師自身、「不肖も生ける限りは、その行詰りを見せずして、
話は変わる。
こういうデータがある。
正岡子規34、尾崎紅葉35、国木田独歩36、長塚節 35、芥川龍之介35、太宰治38
文人・
そのあまりの若さに驚く。
一方、こういうデータもある。
葛飾北斎88、富岡鉄斎87、熊谷守一97、
画家は長生きの人が多い。
その他アトランダムに記すと、佐藤一斎86、諸橋轍次(
こうして見てくると、寿命もあるが、
ちなみに、『致知』に縁の深い四氏の没年は、安岡正篤85、
その言葉。
「人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、
「生きるとは情熱を持って燃えることだ。
「人間いつかは終わりがくる。前進しながら終わるのだ」
名人達人の言葉は一如である。
人生は常にこれからと思い、私たちも前進していきたい。
『小さな修養論5』致知出版社
本書の中に坂村真民氏の「鈍刀(どんとう)を磨く」
『鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ』
「甚深微妙」の、「甚深」とは、はなはだ深いことで、「微妙」とは、極めてこまかいこと。
開経偈(かいきょうげ)というお経の中の言葉だ。
鈍刀だからこそ、いくつになっても、怠りなく磨き続けなければならない。
すると、刀は終(つい)には光らないかもしれないが、磨く本人が光るという。
その姿を、まわりの人も、天も見ているからだ。
それは、「一燈照隅(いっとうしょうぐう) 萬燈遍照(まんとうへんしょう)」という安岡正篤師の言葉とも符合する。
一人ひとりがそれぞれ、一燈となって自分のまわりを照らす。
すなわち「一隅を照らす」こと。
何も大きなことではなく、自分の一番身近な人、家族や、友人を幸せにすること。
すると、その一燈が集まり、萬燈となり、国をも照らすことになる。
もし、自分はたいした人間ではない、そんな大それたことはできないと、なげやりになって自分を磨かなかったら、鈍(なまくら)が、さらに鈍になる。
だからこそ、自分の寿命が尽きるその瞬間まで、磨き続けることだ。
人生は常にこれから…
少しでも前へ前へと進みたい。
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