藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
青年は臨済宗妙心寺派の寺に妹三人の一人息子として生まれた。
小学校で教師に僧職を否定されたこともあったのだろう、
その日の気分だけで過ごす若者にとって、
ある日、会社の行事で講演会が開かれた。
講師は鎌倉円覚寺管長の朝比奈宗源老師。
青年は寺の出ということで課を代表して講演会に出席する羽目にな
寺を嫌った自分がなんで坊主の話を聞かにゃならんのか。
気分は乗らない。
青年は会場の片隅に座ると、早速睡魔に襲われた。
と、朦朧とした頭に老師の声が響いてきた。
「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、
青年はムカッとなり、途中で会場を出た。
サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、
しばらくして、人事担当から電話が入った。
朝比奈老師が貴賓室(きひんしつ)に戻られたから、
面白い、天下の名僧とやらをからかってやろうじゃないか。
老師と対座した青年は、「
「お前さんは幾つじゃ」と老師。
「二十五歳です」
「二十五歳か。それじゃ仏心は分からん」
「どうしてですか」
「お前さん、わしの話をどこを向いて聞いておった?」
「先生のお顔を見つめて聞いておりました」
「そうか。わしの面の皮一枚しか見ておらなかったのか。
「どこを見たら仏心が分かるというのですか」
「そうじゃな。人間の目に見えぬものを見るんじゃ」
「そんなもの、見えるわけがないじゃないですか」。
そう吐き捨てる青年に、老師は「
「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言って下さい」
老師は真顔で言った。
「わしにはお前さんが、
「一生は一回しかないなんてことは、小学生だって知ってますよ」
老師は青年を見据えて言った。
「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。
「はい」
「じゃ、聞くぞ。
青年は息が詰まった。
そんなことは考えてもみなかった。
「黙っていては分からん。お前さんの人生のテーマは何だ。さあ、
うろたえる青年に老師は続ける。
「一生は一回しかないというのに、
「思いません」
「だろう。だから古人は、一生一道、
老師の気迫に青年はうつむくばかりだった。
数日後、青年は「そうだ、
いまは亡き松原哲明氏の若き日の話である。
生きる力の根源をこの逸話に見る。
二度とない人生をどう生きるのか。
そのテーマを定めた時、そこに生きる力は湧いてくるのである。
『二度とない人生をどう生きるか』致知出版社
藤尾秀昭氏は、この世に絶対不変の真理が三つあるという。
その一つは、「人は必ず死ぬ」ということ。
二つ目は、「自分の人生は自分しか生きられない」ということ。
三つ目は、「人生は一度限りである」ということだ。
だからこそ…
「人生は今日が始まり、昨日まではリハーサル、今日から本番」(
の気持ちで生きなければならない。
我々は、「人生は二度とない」と知っているにもかかわらず、
昨日も一昨日も、また、今と言うこの一瞬も、過ぎ去ったら最後、
そしてまた、
どんなに愛する我が子が病気で苦しんでいようと、
つまり、自分の人生は、誰のせいにもできないということだ。
二度とない人生をどういきるのか…
一人ひとりの「人生のテーマ」が問われている。
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