小林正観さんの心に響く言葉より…
私たちは、必要なものは全部、天や神さまから与えられて、
私たちは未熟なので、「あれが足りない」「これが足りない」と、
有り難くて、
K-1という格闘競技で活躍していたアンディ・フグは、
どういう理由で何が起きたかわかりませんが、
私たちは、何もしていないのに、
なぜ、そのような恵まれた状態なのに、「あれも足りない」「
私たちは、
私たちは、人によって違いますが、
それから「週休が欲しい」「月の休みが欲しい」「
でも、人間の臓器は、全然お休みをしていません。
もちろん、夜も寝ていません。
土曜日になったらお休みする、
月に1回や2回休ませろ、というのもありません。
私たちは、
しかし、どうして今こうやって笑顔で生きていられる私、
これは臓器だけではありません。
「私」が今、笑顔で生きていられるということは、
私たちは、
このような存在にもお礼を言ってみてはいかがでしょうか。
たとえば、右手で心臓に手を当てて、「愛しています。
それだけで心臓は、ものすごくやる気になることでしょう。
私は、
「私」がその事件によって教えらえることは、すべての存在に「
自分がいかに恵まれているか。
そういうことに巻き込まれないで笑顔で生きていられる「私」
幸せの本質というのは、していだいていることに対して、「私」
それが幸せという言葉の意味です。
『神さまの見方は私の味方 ―笑顔と元気の玉手箱シリーズ8』宝来社
人は、歯が痛くなってはじめて、歯の存在に気づく。
いかに、
たった一本の虫歯でさえで、食事ができなくなるのだから。
「ありがとう」の反対は「あたりまえ」だと言われる。
体の中の「心臓」や他の「臓器」が24時間動き続けるのも「
虫歯になったときはじめてその「あたりまえ」の「ありがたさ」
「ありがたい」とは「有り難い」。
「有り難い」とは、この世に有(あ)ることが難しい、稀(まれ)
心臓が四六時中動いているのは、本当は「奇跡」
だからこそ、その「奇跡」に対して「ありがとう」。
痛くならない「歯」に、24時間動いてくれている「心臓」に、「
そして、体だけではなく、自分が今日一日、事故にも会わず、
つまり、生きているのではなく、
「自分がいかに恵まれているか」
毎日の幸せに気づき、「ありがとう」
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