ジム・ドノヴァン氏の心に響く言葉より…
かつて、ある記者がマザー・テレサにこんなことを尋ねた。
「あなたが数ヵ月前におっしゃったことと、いまおっしゃってることとはまったく違います。自分の立場を変えたことをどう説明するおつもりですか?」
すると、この聖女はやさしい眼差しで記者の顔を見て、ほほえみながらこう言った。
「私は心変わりをしました。いまなら知っていることを、あのときは知らなかったのです」
なんというシンプルな考え方だろう。
いつもずっと信じてきたという理由で、もはや自分に合わなくなった信念や意見を引きずっている人がいかに多いことか。
長年の信念だという理由で、自分を限定するような信念にしがみついた経験は何回くらいあるだろうか。
私たちは、一貫して信念を変えないことが美徳であり、心変わりをすることが欠点であると教えられてきた。
「堅固な意思の持ち主」というと尊敬の対象となり、「心変わりする人」というと意見をころころ変える人として軽蔑されるのを耳にしてきた。
私はこういう考え方に異議を唱える。
たしかに、一貫性は人生のいくつかの領域では身につける価値のある資質だが、過去に真理だったというだけでいまはもう役に立たなくなった信念と意見にしがみつくのはまったくのナンセンスなのだ。
私たちは心変わりをする自由がある。
実際、もし変わらないなら、本当に苦労することになるだろう。
私たちが暮らしているこの世の中は常に変化している。
その世界の中で、私たちだけが変化に抵抗している。
常に変化している環境の中で変化に抵抗することは、まさに狂気の沙汰と言わざるをえない。
では、どうすれば私たちは人生の中で変化を受け入れ、さらに歓迎することができるのだろうか?
ひとつの方法は、自分の人生をふり返って、過去に起こったあらゆる変化の大部分が改善につながったことを確認することだ。
そうすれば、あなたは自分の人生の中で変化が実際に前向きな力になったことを認めるはずだ。
そこで、変化することを自分に許すことができる。
『何をしてもうまくいく人のシンプルな習慣 (ディスカヴァー携書)』
「朝令暮改」というと悪い意味にとられる。
本来が、「言うことがコロコロ変わる」「あてにならない」「信頼できない」という意味で使われているだからだ。
しかし、状況が変わったら即座に変えるのは当たり前のことだ。
たとえば、コロナの前と後では経営の考え方をまるっきり変えなければ、会社は行き詰ってしまう。
変化について行徳哲男師はこう語っている。
『変化は加速する。
いまや十年一昔などあり得ない。
一年一昔、いや一ヶ月一昔、十日一昔と言ってもいい。
このような激変の時代に対応するには「今泣いた烏(からす)がもう笑う」子どものようなしなやかさで臨まなくてはならない。
禅的な境地が必要だ。
それが変化の加速を見事に捉(とら)え切る秘訣(ひけつ)である。
変化は断続する。
切断されているから至るところに崖がある。
だから、いつでも身軽に翔(と)べることが大事である。
このような時代に重い荷物を持っていては翔べはしない。
ゆえに、いろいろな持ち物を捨てたり忘れたりすることが必要である。
これからは「忘」と「捨」の時代である。』(感奮語録/致知出版)
激変の今という時代、我々は「今まで知らなかったことを知った途端」に、昔の重い荷物を投げ捨て、身軽になって、変化という崖を翔ばなければならない。
いつまでも、昔のことにこだわらないこと、すなわち、執着を捨てることだ。
まさに、「マザーテレサの心変わり」には、「今泣いた烏(からす)がもう笑う」という、子どものようなしなやかさがある。
執着という重い荷物を捨て、身軽になってこの激変の時代を生き抜きたい。
何をしてもうまくいく人のシンプルな習慣 (ディスカヴァー携書)
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