川上徹也氏の心に響く言葉より…

 

 

 

一般的に、「運」とは非科学的で、実態がないものだと思われています。 

 

たしかに、「運がいい・悪い」といわれている状況を、客観的に証明しろといわれても難しいでしょう。 

 

確率的には、幸運や不運は、誰に対しても公平に降り注ぐはずです。

 

しかし、 それでも明らかに「運・不運」はあります。 

 

 

では、「運がいい人」「運が悪い人」に分かれるのはなぜでしょう? 

 

最近は、「運」を科学的に研究する学者もいます。 

 

たとえば、イギリスのハートフォードシャー大学のリチャード・ワイズマン博士は、「運のいい人」と「運の悪い人」を対象に調査を行なうことで、「運」の正体に迫っています。 

 

研究の結果、「運」は生まれつきもっているものではなく、また、単なる偶然でもなく、本人の選択による部分が大きいことが明らかになりました。 

 

 

つまり、「運がいい人」というのは、公平に降り注ぐ幸運や不運の中から、本人も意識しないままに、より多くの幸運をつかまえる選択ができる人のことをいうのです。 

 

実際、ワイズマン博士は、自分は「運が悪い」と思っている人に向けて、「運がいい人」のように行動するよう指導しました。

 

すると約80%の人が、「自分の運はよくなった」と実感するようになりました。 

 

彼らは、合わせて幸福感も強くなったといいます。 

 

 

あなたも「いいこと」が起きてほしかったら、まずは「運がいい人」になったかのように行動してみてはどうでしょう。 

 

《「いいこと」のきっかけは、思い込みから!》

 

 

口にすればするほどなぜかうまくいく言葉 (王様文庫 B 224-2)

口にすればするほどなぜかうまくいく言葉 (王様文庫 B 224-2)

 

 

 

 

 

松下幸之助さんほど、「運」という言葉を大事にした人はいない。

 

生涯、「わしは運が強い。運の強い男だ」と言い続けたという。

 

 

『あるとき、松下少年は、大阪湾内で、夏の日に海に落ちた。

 

この時も船が気がついて、松下少年は事なきを得たのですが、このときも「わしは運が強い」と言い続けました。

 

「もし冬の日だったら、病弱な自分は助からなかっただろう。

 

落ちたのが夏でよかった。

 

わしは運が強い。運が強かった」と言い続けたのです。』(啼かなくていいホトトギス /中経の文庫)より

 

 

 

本当に運がよかったら、海には落ちなかっただろうに、松下幸之助は「助かった」という、よい面だけを見て、運がよかったと言っている。

 

運のいい人は、まわりから見ると不運な状況なのに、本人は「運がいい」と思える人だ。

 

幸運なのか不運なのかは、見方次第、考え方次第で決まる。

 

 

どんなときも…

 

自分は「運がいい」と思える人でありたい。

 

 

 

口にすればするほどなぜかうまくいく言葉 (王様文庫 B 224-2)

 

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斎藤一人さんの心に響く言葉より…

 

 

 よく、俺が本を読ませると、「この本の感想は、どうのこうの」と書いてくる人がいるの。 

 

本の感想を書くんじゃないの。

 

本の感想を書くのは学生の仕事なの。 

 

「このような良い本を読ませていただいて、ありがとうございます」というような、上の人が喜ぶようなことを書くんだよ。 

 

それが大人なの。 

 

 

上の人の機嫌を取れない奴が、お客様の機嫌を取れるはずがないんだ。 

 

商いとは、お客様にえこひいきしてもらうことなんだよ。

 

 

たとえば、俺がえこひいきしている本屋さんがいるんだよ。 

 

本屋いっぱいあるんだよ。 

 

近くにだってあるんだよ。 

 

それがわざわざあそこまで行って、買おうって気になるんだよ。 

 

商人っていうのは、えこひいきしてもらえるような性格になるんだよ。 

 

 

えこひいきしちゃいけないなんて、学校だけだよ。 

 

商人っていうのは、えこひいきをお客さんにしてもらって、三〇〇メートル離れていようが、五〇〇メートル離れていようが、わざわざ来たくなっちゃうくらい可愛がってもらえるような性格になるんだよ。 

 

「斎藤さん、いつも顔色がいいですね」とか、お世辞の一つも言ったりするんだよ。

 

これが商人なの。

 

 

それが、上の人の機嫌も取れないで、「あの人は一生懸命仕事しているけど、なんか相性が悪くって」って、言われるような社員じゃどうしようもないんだよ。

 

上の人ひとりの機嫌も取れない奴が、大人の世界で生きていけないんだよ。

 

だからみっともなくて、表にも出せないんだよ。

 

そういう奴は。

 

 

できが悪いんだって、はっきり言ってやらなければわからないの。

 

その程度の仕事ぶりで、できが良いと思っているんだよ。

 

当人は。

 

 

商人は、つねにえこひいきをしていただく。

 

執着して執着して執着して、えこひいきしてもらえるような人間になるの。

 

つい、あいつ使っちゃうんだよとか、つい、あそこを使っちゃうんだよってなるの。

 

えこひいきされる人間になるんだよ。

 

 

《「商売」って「人様からえこひいきしてもらうこと」なんだよ》

 

 

人生が全部うまくいく話 (知的生きかた文庫 さ 32-2)

人生が全部うまくいく話 (知的生きかた文庫 さ 32-2)

 

 

 

 

 

 

 

戦略おべっか どんな人でも、必ず成功する(講談社)」という本の中にこんな話があった。

 

 

『寒い晩、織田信長が出かけようとしたとき、草履をあたためていたという、木下藤吉郎(のちの太閤秀吉)の若き日の有名なエピソードがある。

 

また、秀吉が鷹狩の帰りにノドの渇きを覚え、通りがかりの寺に寄って飲み物を求めたときのこと。

 

応対に出た少年(のちの石田三成)は、まず初めに、大きな茶碗にぬるい茶をなみなみと次いで出してきた。

 

それを一気に飲み干した秀吉がおかわりを所望すると、次に最初より小さい茶碗に熱々の茶をいれて出した。

 

相手のノドの渇きを察知して、茶の温度と量を変えたその気配りに感心した秀吉は、少年を城に連れて帰って、家来にした。

 

この二つの事例は、どちらも、目上の者に対するわかりやすいおべっかである。』

 

 

 

現代は、上の人の機嫌を取るのが、まるで、へつらったり、おべんちゃらを言って、相手に取り入ろうとする卑怯なことのように思う人がいる。

 

あるいは能力ないダメ人間が使う姑息(こそく)な手段だと思っている。

 

 

では、秀吉と石田三成がダメ人間だったのか、という話だ。

 

日本史の中でも、最も能力の高い二人だ。

 

織田信長も、えこひいきして秀吉を登用し、結果として天下人となった。

 

 

気の使い方は、日常のささいな一挙手一投足に出る。

 

鋭い観察力がある人や、見抜ける力を持っている人は、人のちょっとした行動を見ている。

 

そして、えこひいきする。

 

 

商人だけでなく、人として生きていくには、この気配りという、上の人の機嫌をとる力が必要だ。

 

そして、その力を磨くこと。

 

すると、えこひいきされる人となる。

 

 

同時に大事なのが「愛敬」。

 

人から可愛がられる力だ。

 

 

商売上手な…

 

えこひいきされる人でありたい。

 

 

 

人生が全部うまくいく話 (知的生きかた文庫 さ 32-2)

 

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医師、高橋幸枝氏の心に響く言葉より…

 

 

 

100歳近くになって、またやってしまいました。 

 

2016(平成28)年3月のこと、ちょっとした不注意から大腿骨(だいたいこつ )を折ってしまったのです。

 

今回も入院を余儀なくされましたが、入院中にいちばん多く言われた言葉は何だと思いますか? 

 

「お大事に」でも「がんばってください」でもありません。

 

それは「無理しな いでくださいね」なのです。 

 

 

正直申し上げて、私はこの言葉があまり好きではありません。 

 

もちろん、声をかけてくださる方が、私を気づかってそう言ってくださって いるのはわかっています。

 

そのお気持ちはありがたく頂戴します。 

 

それでも やっぱり、「無理しないで・・・」を素直に受け入れるわけにはいかないのです。 

 

 

なぜだかわかりますか? 

 

少しは無理をしないと、自分自身がダメになってしまうと思うからです。 

 

「先生、無理はしないでくださいね」と言われるたびに、口では「はい、無理はしません。したくてもできませんからね」などと返事をしますが、心の中では「少しは無理をしないといけない。そうしないと歩けなくなっちゃう」と思っていました。

 

 

人間の体は使わないと、ダメになってしまいます。

 

筋肉は使わないと、委縮して動かなくなります。

 

だからリハビリをして、手や足を一生懸命上げたり曲げたり折ったりするわけです。

 

こうして筋肉を働かせるのです。 

 

 

少し無理をしないとダメになるのは、体だけではありません。心だって同様です。 

 

介護施設に入ったとたんに認知症になってしまうお年寄りが少なくないそうです。

 

それまでちゃんとしていた方が、急に様子がおかしくなってしまうのはどうしてでしょう。 

 

施設に入ると、依存心が強くなり、頭を使わなくなるからです。

 

スタッフの 方がほとんどのことをやってくれるから、自分で考える必要がなくなるのです。

 

 体も脳細胞も、使わなければ錆びてしまいます。 

 

 

 

年を取ると「無理しないでね」「代わりに○○をやってあげましょうか」な どと言われることが多くなります。 

 

でもその言葉を受け入れるかどうかは、あくまで自分で判断するようにしたいものです。

 

私はこれからも、ちょっぴり無理しながら生きていこうと考えています。

 

 

そっと無理して、生きてみる: 100歳精神科医のちょうどいい頑張り方 (知的生きかた文庫 た 78-2)

そっと無理して、生きてみる: 100歳精神科医のちょうどいい頑張り方 (知的生きかた文庫 た 78-2)

 

 

 

 

 

 

 

高橋幸枝氏は、秦野病院の創業者で精神科医だ。

 

2020年1月に103歳で逝去された。

 

 

成長するためには、自分の壁を超えなければならない。

 

いつも通り普通にやっていたら、永遠に壁は超えることはできない。

 

つまり、ちょっと無理をすることだ。

 

 

少し無理をするとは、コンフォートゾーンを抜け出すこと。

 

コンフォートゾーンとは、ストレスのない、居心地の良い場所をいう。

 

コンフォートゾーンを抜けて、アウェイを体験することだ。

 

アウェイは、居心地の悪い、すぐにはなじめない場所。

 

 

無理をするとは、自分に負荷をかけること。

 

負荷をかけることで、新しい世界が開ける。

 

 

ちょっぴり無理して生きることができる人でありたい。

 

 

 

そっと無理して、生きてみる: 100歳精神科医のちょうどいい頑張り方 (知的生きかた文庫 た 78-2)

 

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渡辺和子氏の心に響く言葉より…

 

 

一九一〇年生まれのマザーは、一九二七年生まれの私より十七歳年上でした。

 

私が感心したのは、「マザー、こちらを見てください」という声が、報道のカメラマンなどからかかると、必ず笑顔になることです。

 

いつも笑顔でいらっしゃるというよりも、「マザー、お願いします」と言われると、声がした方向を笑顔でご覧になるのです。

 

 

その日、マザーは東京から新幹線で広島入りし、長い時間お話をなさって、そこからまた岡山に移動されたのです。

 

さぞお疲れのはずなのに、声がかかる たびに、必ずニコッと笑顔を向けていらっしゃいました。 

 

お話を聞かせていただいた学生たちが、「マザー、どうぞお使いください」 と、何かを志としてお渡しした時も、笑顔で受け取ってくださいました。 

 

 

三回目の来日で、初めての時よりは日本に慣れてくださったのかもしれませんが、ずっと学生たちが取り囲んでいましたから、かなり疲れていらっしゃるはずでした。 

 

いつも人に囲まれて、私だったら「もうよして」と言ってしまいそうな状況でしたが、ちっともそういう素振りをお見せにならない。

 

何と愛想のいい方だろうと思っていたのです。 

 

 

ところが、夜になって、ようやく一区切りがついたので、夕食を召し上がっていただこうと、修道院へとご案内をした時のことでした。 

 

「この通路を行けばすぐでございますから」と、足元を懐中電灯で照らしながらマザーと二人で移動しました。 

 

十一月二十三日、勤労感謝の日のことです。

 

 

暗くて寒い中を、並んで歩いておりましたら、途中で「シスター、私はね」 とマザーが話してくださったのです。 

 

「私はね、どんな時にも笑顔になります。なぜなら、私の笑顔の一つ一つで、今、神様の元に召される魂が、神様の御手に抱かれるように、神様とお約束をしてあるのです。どんな時でも嫌な顔をしない。面倒くさそうな顔をしない。その代わりに、神様、お約束ですよ。笑顔をするたびに、一人ちゃんと天国へ 入れてやってください、と」 神様との契約、約束です。

 

 

ただ周りに合わせた笑顔ではなく、「私はどんなにつらくても、疲れていても、今、写真を撮りたいという人のために笑顔をしますから、どうぞ神様、召される魂を御手に抱き取ってください」という、お考えだったのです。

 

「ああ、私はなんて情けないのだ」と自分を恥じました。私はそんなことは考えてもいなかったのです。「マザーの笑顔は愛想の良さ」もしくは「写真がお好きなのかもしれない」と思っていたのでした。私は深く反省し、その経験から、多くを学ぶことができました。

 

 

どんな時でも人は笑顔になれる (PHP文庫)

どんな時でも人は笑顔になれる (PHP文庫)

 

 

 

 

 

 

渡辺和子氏のこんなエピソードがある。

 

 

『渡辺和子さんがアメリカの修道会にいたときのことです。

 

食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。

 

「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」

 

渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えました。

 

そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」

 

そう教えてくれたというのです。』(22世紀への伝言/廣済堂出版)より

 

 

 

この世に雑用という仕事はない。

 

笑顔も同じ。

 

一つひとつの「笑顔」に祈りを込める。

 

 

『マザー・テレサの「笑顔」』という言葉を胸に刻みたい。

 

 

 

どんな時でも人は笑顔になれる (PHP文庫)

 

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藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…

 

 

「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)、一歩(いっぽ)を進(すす)む」

 

百尺の竿の上をさらに進んだら落ちるのみと思われます。

 

しかし、そうではありません。

 

上求菩提(じょうぐぼだい)というさとりを求めて向上の道を進んでいくと、 「孤峰頂上(こほうちょうじょう)」という絶対境(ぜったいきょう)に到達する。 

 

しかし、ここに停(とま)ってはいけない。 

 

 

「孤峰頂上」でいい子になったり、いい気持ちになっていないで、 泥んこの社会に戻る。 

 

百尺竿頭からなお前進するとは、向上から向下へ転進するのです。 

 

向上の努力がそのまま人に尽くす向下への努力となって初めて進むという、と百一歳で旅立たれた高僧松原泰道師より教わりました。 

 

 

いい気にならず、さらに努力精進する。 

 

そしてそのことがそのまま「運のいい人」、「幸せな人」を たくさん作っていくことにつながる。 

 

そういう世界をめざして一朝もおろそかにせず 歩み続けたいと思っています。

 

 

生きる力になる言葉』致知出版社

生きる力になる言葉

 

 

 

 

 

 

「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)、一歩(いっぽ)を進(すす)む」

 

「無門関」に出てくる、唐代の禅僧、長沙景岑(ちょうさ けいしん)の言葉。

 

 

1尺は33センチだから、33メートルの長さの竿。

 

百尺の修行をしたとしても、そこに安住してるのなら、それは悟ったとは言えない。

 

更に一歩を踏み出し、身を投げ出すことだ。

 

自らを投げ出したその先が、世のため人のためという世界。

 

 

「末路晩年(まつろばんねん)、君子宜しく精神百倍すべし」

 

菜根譚の中の言葉だ。

 

晩年に差し掛かってからこそ、君子(立派な人、人格者)たるものは精神を百倍にして、気力を振り絞って、生きていかなければならない。

 

 

それを森信三師は、「人間はおっくうがる心を刻々に切り捨てねばならぬ。そして齢をとるほどそれが凄まじ くならねばなるまい」と言った。

 

齢をとるほど、さらに精神を鼓舞し、気力を奮い立たせ、学び続ける。

 

いくつになっても、更にもう一歩、精進努力する人でありたい。

 

 

 

生きる力になる言葉

 

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