斎藤一人さんの心に響く言葉より…

 

 

《魅力的になりたいなら場数をこなしな》 

 

 

年齢を重ねるにつれ、交友関係が変わってきたり、これまで親しくしていた相手と気が合わなくなったりすることがあります。

 

実はこういうのも、ある意味、場数を踏んだ結果なんだよね。 

 

 

人間関係で場数を重ねるうちに、「この人とは気が合わない」とわかる。

 

「苦手なタイプだと思っていたけど、話してみたらすごく味わい深い人だった」なんて感じる。

 

その結果、一緒にいる人に変化が出てくるわけです。

 

場数を踏んでなきゃ、こういう変化は起きません。 

 

 

そしてもちろん、場数で「こういう人にかまっているとロクなことがない」みたいなこともわかってきます。

 

そうすると、へんてこりんなやつが出てきたとしても、 一人さんみたく瞬時に離れられるし、嫌なやつに人生をかき回されることがなくなるの。

 

一人さん流で言えば、嫌なやつとはもちろんのこと、話のかみ合わない相手とも、無理にコミュニケーションを図ろうとする必要はありません。

 

気の合わない人と一緒にいても、いずれどこかで衝突するときが来るんだよね。 

 

 

といっても、一刀両断にバサッと関係を切るような極論ではなく、必要最低限の関わりにすればいいだけです。

 

お誘いを受けても、露骨に嫌な顔をしたりせず、「その日は用事があってごめんなさい」ってやんわり断ればいいよね。 

 

わずかな距離を取るだけでも、相手への感情はずいぶん違ってくるものです。 

 

 

また、付き合う相手には、「魅力」の問題が深く関わってきます。 

 

人生の場数を経てあなたが魅力を増せば、当然に、それまで以上に魅力的な人と付き合いたくなる。

 

魅力は波動としてにじみ出るものだから、魅力のレベルに大きな差があると、自分も相手も、お互いに居心地が悪い。

 

だから離れたくなるんです。

 

 

波動には、同じような周波数だと引き合うけれど、あんまり違う波動の場合は、磁石の同じ極同士が反発するみたく、お互いに遠ざけたくなる特性があります。

 

だから、あなたが離れることで、相手もホッとするんじゃないかな。

 

 

斎藤一人 この世を天国に変えるコツ 人生は場数だよ』徳間書店

斎藤一人 この世を天国に変えるコツ 人生は場数だよ

 

 

 

 

 

 

場数を踏むとは、経験値を高めることだ。

 

経験値を高めるとは、挑戦する回数を増やすこと。

 

つまり、失敗の山を築くことによって、成功も見える。

 

 

大事なことは、いくら知識として知っていても、それを実行に移さなければ、うまくいくかどうかはわからないということ。

 

まさに、「やってみなはれ」だ。

 

それが場数。

 

 

人間関係も同じで、場数を踏まないとわからない。

 

年を重ねて、酸いも甘いも噛(か)み分けた、いぶし銀のような魅力。

 

いいことも悪いことも、成功も失敗も、楽しいことも辛いことも、知っている。

 

深い人間味のある、魅力的な人だ。

 

 

人生には、場数を踏まなければわからないことは多くある。

 

 

 

 

斎藤一人 この世を天国に変えるコツ 人生は場数だよ

 

 

 

 

★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

 

 

■メルマガの登録と解除はこちらから

http://hitonokokoro.com/

 

■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪

http://www.facebook.com/hitonokokoro

 

■【人の心に灯をともす】のブログはこちら

http://ameblo.jp/hiroo117/

 

■Twitterはこちらから

https://twitter.com/hiroo117

 

桝野俊明氏の心に響く言葉より…

 

 

 

《「してあげたこと」はその場で忘れる》(「恩に着せる」と厚意も台無し)

 

 

私は常々、「何か人の力になってあげたとき、恩着せがましい態度を取るのは感心しませんよ」と申し上げています。

 

このことを肝に銘じるのにいい言葉があります。

 

「受けた恩は石に刻み、与えた情(なさ)けは水に流せ」

 

 

自分がしてあげたくて、親切やお世話をしたのなら、もう何も望むことはないはずです。

 

それなのに「見返り」を期待すると、自ら「見返りを得られない苦しみ」をつくることになってしまいます。

 

 

たとえば「いい仕事を紹介したのに、お礼の言葉一つもないなんて不愉快だ」「自分が困るとすぐに泣きついてくるくせに、こっちが困ったときは知らんぷりかい。勝手が過ぎる」といったことはよくあります。

 

そんな嫌な思いをしたくないなら、やってあげたことはその場で忘れるに限るのです。

 

ただし自分が親切やお世話をしてもらったなら、感謝の言葉を返すことをお忘れなく。

 

 

そして「何かのときに相手の力になろう」と強く心に誓い、実行する。

 

人とのご縁を大切にするとは、そういうことです。

 

 

《「見返り」を求めると「苦しみ」が返ってくる》

 

 

仕事も人間関係もうまくいく放っておく力―――もっと「ドライ」でいい、99の理由 (知的生きかた文庫)

仕事も人間関係もうまくいく放っておく力―――もっと「ドライ」でいい、99の理由 (知的生きかた文庫)

 

 

 

 

 

 

「忘己利他(もうこりた)」

 

天台宗の開祖、伝教大師最澄(さいちょう)の言葉だ。

 

 

「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」ともいう。

 

自分のことは忘れて人のために尽くすこと。

 

このことこそ、慈悲の極みだという。

 

 

 

『人間が一番うれしいことはなんだろう? 長い間、ぼくは考えてきた。 

 

そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。 

 

実に単純なことです。 

 

ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい』 (やなせたかし 明日をひらく言葉/PHP文庫) 

 

 

アンパンマンの作者やなせたかしさんの言葉だ。 

 

また、人生は、「よろこばせっご」だという。 

 

お互いに、喜ばせること。 

 

それを全員がやれば、この世は天国となる。

 

 

「受けた恩は石に刻み、与えた情けは水に流せ」

 

どんなときも自分は勘定に入れず、後まわしにする。

 

そして、与えた情けはきっぱりと忘れること。

 

逆に、受けた恩は胸に刻み、忘れないこと。

 

 

「与えた情けは水に流す」という言葉を胸に刻みたい。

 

 

 

仕事も人間関係もうまくいく放っておく力―――もっと「ドライ」でいい、99の理由 (知的生きかた文庫)

 

 

 

 

★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

 

 

■メルマガの登録と解除はこちらから

http://hitonokokoro.com/

 

■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪

http://www.facebook.com/hitonokokoro

 

■【人の心に灯をともす】のブログはこちら

http://ameblo.jp/hiroo117/

 

■Twitterはこちらから

https://twitter.com/hiroo117

 

ひろさちや氏の心に響く言葉より…

 

 

 

“遊び”は英語では“プレイ (play)" ですが、このプレイは"ワーク (work)" に対比される言葉です。

 

そして、"ワーク"は、ある目的を達成するために努力して行なう仕事や労働を言います。 

 

「仕事・労働」といえば、英語にはもう一つ、“レイバー (labor)"があります。

 

"レイバー”のほうは肉体的労働が中心になっていて、苦痛ばかりが多く、精神的な喜びのない労働です。

 

それに対して"ワーク"のほうは、肉体的・精神的労働の両方に使い、たしかに苦痛を伴いますが、精神的な喜びもある労働をいいます。

 

 

まあ、ともかく、何か目的を持って努力をすると“ワーク"か"レイバー"になってしまいます。

 

われわれの「遊び」の哲学は“プレイ"であって、これは目的を持ってはいけないのです。 

 

 

いや、目的というものは、シナリオ全体を見ないとわかりません。

 

何億年にもわたる仏のシナリオの全体を、われわれ人間が読めるわけがなく、わたしたちはただただ与えられた配役をプレイすればいいのです。

 

「遊び」の気持でもって人生を送ればいい。

 

それが 「遊び」の哲学です。 

 

 

いいですか、与えられた配役をしかめっ面をしてやってのけるのは、あんがい大根役者です。

 

大根役者というのは、まじめすぎる役者です。

 

まじめすぎると、演技がこちこちに なってしまいます。

 

 

小学生の学芸会は、みんなまじめに演じています。

 

もう少し肩の力を 抜いて、楽しくプレイをしてください。といっても、それはなかなかむずかしいですね。 

 

楽しくのびのびと演技ができるのは、よほどの名優ですね。

 

わたしたちはどうしても、まじめに力をこめて演技をしてしまいます。 

 

 

しかしですね、わたしたちは仏のシナリオを演じているのです。

 

そして演出家の仏は、それぞれの役者がのびのびとプレイすることを求めておられます。

 

その演出家の要望にわれわれは応えなければなりません。

 

 

だから、力んではいけないのです。 

 

力まずに、ゆったりと、のんびりと、「遊び」の哲学でもって仏からいただいた配役をプレイする。

 

それがわれわれの生き方です。 

 

 

どうか大根役者にならないでください。

 

現代日本人はまじめに働いて大根役者になっています。

 

目的や目標に向かって驀進(ばくしん)するのがいい演技だと思っています。

 

でも、そのような演技は大根です。

 

 

仏のシナリオは、わたしたちが人生を「遊ぶ」ように書かれているのです。

 

わたしはそう思います。

 

 

「狂い」のすすめ (集英社新書)

「狂い」のすすめ (集英社新書)

 

 

 

 

 

藤原東演住職は「遊び」についてこう語っている。

 

 

『「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語は、「無門関」の第一則に出てくる。

 

我を忘れて、無心に遊んでみないか。

 

仕事も、趣味も、生活でなすことも、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることがすばらしい。

 

仕事は成果をあげなくてはならない。

 

「何かのため」という意味づけが不可欠だ。

 

ところが、遊びは何かのためにという目的がない。

 

その成功とか失敗なんか関係がない。

 

成果など計算したら、それは遊びではない。

 

人の評価も気にする必要がない。

 

ただやることが面白い、楽しいからやるのである。』(禅、「あたま」の整理/知的生きかた文庫)より

 

 

 

「人生はひとつのゲーム、人生を楽しみなさい。」( マザー・テレサ )

 

 

それを、今東光和尚は、「人生とは、冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶし』といった。

 

遊びも、ゲームも、暇つぶしにも、目的はない。

 

 

目的地を定めない「旅」が本当は一番楽しい。

 

なぜなら、旅の楽しみは、どこへ行くかよりも、誰と一緒にいくかの方が大事だからだ。

 

楽しい仲間と一緒なら、どこへ行っても楽しい。

 

 

斎藤一人さんは、それをこういう。

 

『旅とは、目的地へ行くことではないんだよ。

 

だから、目的地をかえたって別にいいだよ。

 

道中を楽しむことが「旅」なんだから。』

 

 

人生という旅もまた同じ。

 

道中を楽しむことが、人生を「遊ぶ」ということ。

 

 

 

「狂い」のすすめ (集英社新書)

 

 

 

★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

 

 

■メルマガの登録と解除はこちらから

http://hitonokokoro.com/

 

■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪

http://www.facebook.com/hitonokokoro

 

■【人の心に灯をともす】のブログはこちら

http://ameblo.jp/hiroo117/

 

■Twitterはこちらから

https://twitter.com/hiroo117

 

藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…

 

 

孔子にこういう言葉がある。

 

 

《苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者あり。秀でて実らざる者あり》

 

 

学問をしても苗のままでいつまでも穂を出さない者がいる。

 

折角穂を出しても実を結ばずに終わってしまう者もいる。

 

 

弟子三千人といわれる孔子。

 

多くの弟子を育ててきた実感であり、慨嘆(がいたん)であろう。

 

 

《之(これ)を如何(いかん)せん。之を如何せんといわざる者は、之を如何ともするなきのみ》 

 

 

孔子は『論語』の別のところでこうもいう。

 

どうしたら自分をもっと向上させることができるか、いかにしたら自分をもっと磨くことができるか。

 

真剣に問い、求めようとしない者は、この自分もどうすることもできない。 

 

 

苗のままで終わるか、実を結ぶ者になるか。その差は感奮興起のいかんで決まる――孔子、痛憤(つうふん)の言葉である。 

 

生涯を小中学生の教育に捧げた教育者、東井義雄さんに「心のスイッ チ」と題する詩がある。

 

感奮興起の大事さを託した詩である。 

 

 

 

人間の目は ふしぎな目 

 

見ようという心がなかったら 見ていても見えない 

 

人間の耳はふしぎな耳 

 

聞こうという心がなかったら 

 

聞いていても聞こえない 

 

頭もそうだ 

 

はじめからよい頭 わるい頭の区別があるのではないようだ 

 

「よし、やるぞ!」と 

 

心のスイッチがはいると 

 

頭も

 

すばらしい はたらきを しはじめる 

 

心のスイッチが 人間を 

 

つまらなくもし すばらしくもしていく 

 

電灯のスイッチが 

 

家の中を明るくもし 暗くもするように

 

 

小さな人生論・4 (小さな人生論シリーズ)』致知出版社

小さな人生論・4 (小さな人生論シリーズ)

 

 

 

 

 

 

「ロバを水辺に連れていけても、ロバに水を飲ませることはできない」ということわざがある。

 

ロバを引っ張って行って水辺に連れて行っても、ロバが喉(のど)がかわいてなくて、水を飲みたくなければ、ムチで叩こうが、鼻ずらを水につけようが、ロバは水を飲まない。

 

これは人も同じで、やる気がない人に、いくら言っても、脅すように説得しても行動しない、ということ。

 

 

「感奮興起(かんぷんこうき)」とは、心に深く感じ、感動して、奮い起こること、発奮すること。

 

「発奮」とは、自分の、恥や、劣等感、貧乏などをバネにして、心を奮(ふる)い立たせること。

 

 

「やる気」とは、まさに、この「感奮興起」のこと。

 

 

ただし、「やる気」や「発奮」は熱いばかりではない。

 

冷静で、淡々とした大人の「やる気」や「発奮」もある。

 

それが継続だ。

 

継続は一時的な、燃えるような情熱だけでは長くはできない。

 

それが、「心のスイッチ」が入るということ。

 

 

スイッチをカチっと入れ…

 

黙々と継続する人でありたい。

 

 

 

小さな人生論・4 (小さな人生論シリーズ)

 

 

 

 

★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

 

 

■メルマガの登録と解除はこちらから

http://hitonokokoro.com/

 

■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪

http://www.facebook.com/hitonokokoro

 

■【人の心に灯をともす】のブログはこちら

http://ameblo.jp/hiroo117/

 

■Twitterはこちらから

https://twitter.com/hiroo117

 

小林正観さんの心に響く言葉より…

 

 

人との縁は、自然に切れることはありません。

 

「袖(そで)すり合うも他生(たしょう)の縁」というとおり、出会った人とはすべて大事にすべき「他生の縁」があるのですが、その縁が切れるときはみんな気づかないうちに自分から切っているのです。 

 

出会ったときは名もなき若者であっても、10年後に社長になっていて、思いがけないところで助けてくれる人であるかもしれません。

 

そう考えると、誰を大事にして誰を大事にしないということはできなくて、出会う人すべてをあだやおろそかにはできないのです。 

 

 

私はラッキーだった、ついていたといえる人は、神仏、守護霊、宇宙を味方にしてきたということです。

 

そして、ラッキーで運がよくて生きてきたといえるということ は、「おかげさま」で生きてきました、と言っているということです。

 

「私」の力や実力で生きてきたのではなくて、みんなのおかげで、目に見える存在、目に見えない存在、みんなのおかげで生きてきました、ということです。 

 

 

そして、物事の本質がわかっている人は、素直に人のお世話になることができる人です。

 

自分ひとりでちゃんとやっているつもりでもたかが知れているということがわかってくると、人に甘えて生きるということができるようになります。 

 

 

「失脚」という言葉は、「脚」を「失」うと書きますが、この日本語はたいへん重要なことを教えています。

 

今まで支えてくれていた「脚」を失った状態を「失脚」と言っているのです。

 

失脚という場合、その人はそれまで、自分の努力で自分の脚で立っていたと思っていたかもしれませんが、実はその人を支え、押し上げてくれていたものから見放されてしまったというだけの話です。 

 

したがって、「失脚」したら、人間は人の間で生きているということを改めて思い知るのでしょう

 

と同時に、自分の実力ではなく、すべて「おかげさま」なのだ、ということに思い至るのです。 

 

 

人生という旅の中で出会った人すべてを味方にしていくことが人間の本質です。

 

反対に、お世話になった人への感謝を忘れていると、もう支援をしてもらえないどころか、敵をつくってしまうことにもなりかねません。

 

たとえ成功して自分の足で歩いていけるようになってからも、その恩を忘れておろそかにしてはならないのです。

 

人生は味方をつくっていく作業であり、味方をどんどん増やしていくと、その後の人生もずっと豊かで楽しいものになっていくようです。

 

 

 

小林正観さんの心がすーっと晴れていく言葉』主婦の友社

小林正観さんの心がすーっと晴れていく言葉

 

 

 

 

 

「いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび」

 

という相田みつを氏の言葉がある。

 

 

それを、松下幸之助氏はこう言っている。

 

『松下幸之助は、物事がうまくいったときは「これは運がよかったのだ」と考え、失敗したときは「その原因は自分にある」と考えるようにしていたそうだ。


つまり成功は運のお陰だが、失敗は自分のせいだということである。』(きっと芽が出る人の法則/PHP文庫)より

 

 

 

若いうちは「おかげさま」という心がなかなかわからない。

 

勢いがあるからだ。

 

うまくいっているのは、すべて自分の実力であり、努力の結果だと。

 

 

タレントや芸能人、起業家などが、若いときに大きく成功したとしても、この「おかげさま」の心を忘れると、失脚することが多い。

 

知らず知らずに、傲慢になってしまうからだ。

 

 

すべては自分の実力ではない、と気づいたときに「おかげさま」の気持ちが生じる。

 

 

もし、スポーツやタレントで成功したなら、ハードな練習やレッスンに耐えられる健康な体に生んでくれた両親のおかげ。

 

自分の才能を見つけ、引き上げてくれた監督や指導者、あるいは会社の上司のおかげ。

 

精神面や経済面で支えてくれた、友人や仲間や会社やスポンサーのおかげ。

 

そして、戦乱の地ではなく、この平和な日本に生まれたおかげ。

 

 

大事なのは、自分は「運がよかった」、「ツイてる」と思うこと…

 

「おかげさま」の心を忘れない人でありたい。

 

 

 

小林正観さんの心がすーっと晴れていく言葉

 

 

 

 

★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー

 

 

■メルマガの登録と解除はこちらから

http://hitonokokoro.com/

 

■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪

http://www.facebook.com/hitonokokoro

 

■【人の心に灯をともす】のブログはこちら

http://ameblo.jp/hiroo117/

 

■Twitterはこちらから

https://twitter.com/hiroo117