桜は咲いて、人は出て、私はここにいる | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

 

そりゃあ、人は出るのである。

緊急事態宣言が解除され、あたりはすっかり春になり、卒業式やら入学式があり、桜は満開になっている。
ずっとずっと我慢してきたみんななのだから、楽しそうに表に出るのである。

そんなことは分かりきっていたことなのに、感染者数が増えていくとまるで「気の緩み」みたいに片付けて、まるで人々が愚かしいみたいに言ってる為政者が私には理解不能だし腹立たしい。
分かりきった流れなのだから、ここから国や自治体が何の施策を積極的にやっていくかじゃないのか。大した対策もせず、ずっと人々の我慢だけに頼り切ってきたのだ。解除もして、さらにお前らの我慢で何とかしのげというのはあまりに無能じゃないのか。

ひとには、感情と日常と営みがあるのである。ばかにすんなと思う。

というわけで満開の桜咲く中目黒はたいそうな人出だ。
私たち夫婦は、夜中ひとけがなくなってから、ひっそり目黒川沿いを散策する。
本当に桜吹雪が舞う中をほとほとと歩いてゆく。

夫のiPhone11のカメラが良すぎて、いま見ているよりも素晴らしい光景が撮れるのでびっくりする。

 

今日の昼間、ガードレールに寄りかかってお弁当を食べている男性を見かけた。さっきまで歩いてたけどちょっといま弁当食ってる、そんな感じ。「食事をする」という体勢と環境を確保せずにああしてサックリどこでもめしが食えるって、他の色んなことも身軽なんだろうなと思ってちょっとうらやましくなった。

パン屋さんでは女子2人組が「え、どうしよう全部美味しそうなんだけど」と言いながらパンが陳列されたテーブルをぐるぐる回り、その間ずっと「これも美味しそう」「ねー、ほんと美味しそう」と繰り返してた。
私はああいう、女子同士で「かわいー」「すごーい」「美味しそー」を繰り返してその瞬間を盛り上げてくやつが好きだ。

「この店マジで美味いから!」「これ食べてみてよ。びっくりするよ」そういう、ちょっと大仰なくらいに美味いものをすすめてくれる友人のこともすごく好きで、こうしてことばで先導しながら気持ちを立ち上げてゆくことは、いちばん簡単かつ重要なしあわせ術だと思ってる。言葉には魔力があるもんな。

いま読みすすめている牧野圭太さんの「広告がなくなる日」で引用されていた、「見たこともない風景には言葉が真っ先にたどり着く」という文章を思い出す。ぞくぞくするほど希望に満ちてることばだ。



読む本は楽しく街はあたらしい季節をばく進してるけど、私は、自分とひとをつなぐ糸が一本ずつプツプツと切れてゆくような不安と焦りを感じていて、息が詰まる。

 

家族以外の人と毎日喋りたい。

誰かと、複数で、ああだこうだ議論しながらひとつの仕事を一緒に作り上げたりしたいなあと最近痛いくらいに思う。フリーランスだとしょせん「ここからここまで」って切られるので、そうじゃない最初の企画からアウトプットに至るまで、能動的に動いて何かやりたい。ひとりの仕事と、チームでの仕事と、両方あるといいな。


何も動いてなければ何ともつながらないのは当たり前なのだけど、どうしてこう運は私をよけていくのだろうと凹んだりする。人とのつながりが絶望的に下手くそだなあ。ふううう。何かの役に立ちたい。
 

明日から4月だね。